襲来
証言台に向かおうとするも、サージュ王は胸を押さえたまま、立ち上がることすらできないようだった。額から流れた脂汗が頬をつたい、食いしばった歯の間からはうめき声が漏れている。
「陛下、その場で結構でございます」
裁判官が見かねて声をかけると、サージュ王は立ち上がろうと杖に込めていた力を緩め、背もたれに身体を預けた。数年前から脈のおかしい心臓は、時折こうして突発的に発作を起こし、痛みもさることながら、日々悪化していく病状は王の不安を掻き立てていた。普段は安静を優先して自身は床に就き、公務はクラージュに任せていたほどだ。
しかし今、サージュは病の悪化を顧みずに裁判へ出席し、意見を述べようとしていた。父王の覚悟を見て、クラージュはしぶしぶ証言台を離れて自席へと戻った。
「……ラークよ」
被告人、ではなくラークの名前を呼んで、向かいの席から国王はラークの目を覗き込んだ。よほど力を入れて握りしめていたのか、胸元の生地がぐしゃりとよれている。
「…………っ、……はあ」
大きく息を吐きだすと、王は前に垂れていた頭を更に低く下げた。床に落ちてしまいそうなほど王冠が傾き、重みに引き攣られて白髪が乱れる。
「シエラ・ミュセルの件は、“余に非があった”」
国王自ら、罪人への謝罪を口にする。にわかには信じられないサージュの言動に、傍聴席の人間達は一斉に腰を浮かせ、状況を少しでも良く確認しようとした。クラージュは思わず声を上げそうになったが、父王の言葉を遮るわけにもいかず、隣でこぶしを握り締めていた。
「そなたとの約束を破り、妹に出兵を命じたのは余だ」
「…………」
「だが、彼女を前線に立たせるつもりはなかった」
シエラはラークとは違い、索敵ができない。ということは、前線に立たずとも戦場から大した距離を取ることはできず、ノワール兵から標的にされれば命の保証がなかったのは明白だ。王の謝罪は、ラークには言い訳にしか聞こえず、湧き上がってくる怒りは胸を焼いてしまいそうなほど熱かった。
我慢の限界とばかりに、ラークは思いの丈を王へぶつけようとしたが、それを阻むように勢いよくクラージュが立ち上がった。
「父上! そのような者に詫びる必要などありませんっ」
泡を飛ばしてどなるクラージュには、父王の行動のすべてが理解できなかった。
「国のために戦うことは、民の義務であり名誉です! 力を笠に着て見返りを求める、あの男が間違っているのですっ」
サージュが先にラークを裏切り、シエラを危険に晒そうとしていた――そんなことは、クラージュにとって些末なことであった。ブランに生まれた、ブランの民ならば、どんな事情があろうと敵方に寝返るなど悪でしかない。民とは王族の“もの”であり、その生涯は国に捧げるべきである。クラージュの根底を支える、独裁的ともいえるその思想が、彼に無尽蔵に湧き出る自信を与えていた。
「……二人で、話をさせてくれ」
しかし、息子の叫びが父に届くことはなく、静かな拒絶が透明なカーテンを引くように、サージュとクラージュの間に横たわった。絶望の色を宿したクラージュの瞳など、風景の一部であるかのように気にも留めず、王はラークに問いかけた。
「我が国はまだ、そなたの力を必要としている。いまいちど忠誠を誓い、余に仕える気はあるか?」
この誘いを断れば、問答無用で謀反とみなされ、ラークは処刑されてしまうだろう。肯定以外は許されない状況下で、トーマスはひたすらラークが良い答えを返すのを心待ちにしていた。
「…………仰せの、ままに」
長い沈黙の後で、ようやくラークが小さく首を縦に振ると、張り詰めていた大広間の空気が微かに和らいだ。居合わせた者達は、ラークの行く末を案じてというよりも、国王と王太子がいがみ合うことを恐れていたのだ。建前であったとしても話はまとまり、これ以上クラージュが異を唱えることはないだろうと、皆胸をなでおろしていた。
「……では、判決に移るとしよう」
場の流れは死罪から贖罪へと転じたと判断し、裁判官が閉廷へと裁判を進めようとした。誰もがこれで裁判は終わると思っていたそのとき、クラージュが裁判官の許しも得ずに、椅子を蹴って立ち上がった。
「父上は騙されております! 被告人は既にノワールへ寝返っているっ」
勝手な発言に、すかさず裁判官が木槌を鳴らしてクラージュを諫めようとしたが、その必要はないと、サージュ王が左手を挙げて止めた。宵闇に沈む海のように、静けさを保った声でサージュは息子に語り掛けた。
「……何を根拠に、そう思うのだ?」
「被告人が、ノワールの女相手に“パーフェクトプロテクションを使った”と報告が入っておりますっ」
自身の最も大切に思う人間に対して施す、一生に一度きりの保護魔術。それをラークがノワール人に対して使ったという情報に、大広間は一気に沸き立った。自分の声も聞こえなくなるような騒ぎを鎮めようと、裁判官が木槌を打ち鳴らす。少しずつ傍聴席が落ち着きを取り戻すと、サージュ王が目を見開いたまま、ラークへと視線を戻して即座に問いただした。
「今の話は、まことか?」
「…………はい」
裁判の雲行きが怪しくなり、トーマスは唇をかんだ。一度逃した機会を再び掴むのは、更に難易度が高くなる。その上悪いことに、リタとラークの関係は不可解な部分も多く、弁解しようにも突破口が見つけられない。この場の全員を納得させる説明など、皆目見当もつかないのが本音だ。
「貴様が心から忠誠を誓うのであれば、件のノワール人を手にかけ、“証明して”見せろ」
そこへ追い打ちをかけるように、クラージュが高圧的な態度で、こう言い放った。リタを自身の手で害する――今のラークにとって最も耐え難い要求であり、ラークの体からは無意識に殺気が魔力となって溢れかけていた。
「……っ」
「――失礼致します!」
そこへ、大広間の扉を押し開け、転がるように伝令が飛び込んできた。あと数秒彼が到着するのが遅ければ、ラークは喉元まで出かかった断りの文句を、口にしていただろう。そうなれば、殺気も反逆の意思とみなされ、ラークの命の火は確実に消されていた。
裁判の最中にやって来た伝令に対し、クラージュや傍聴席の人間は冷たい目を向けていたが、伝言の内容を聞くなり、大広間は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
「海岸部の見張りより、レドン大陸から魔女が接近しているとの報告が入りましたっ」
これまでグリーズ島へ魔女がやってきたことなど、ただの一度もない。ロンカイネン家の魔女が襲来する、考えられる原因はひとつだけで、皆の視線が一斉にラークへと集中した。
「お前の仕業か!」
魔女と共謀して何を企んでいるっ、とクラージュが声を張り上げると、びりびりと空気が震えた。ラークが否定しても、クラージュが聞き入れる様子はなく、一刻を争う状況だというのに、大広間を混沌が支配しようとしていた。とにかく場を収めるのが先だと、サージュ王は手にした杖を床にドンとついて、全員の注目を集めた。
「……ラーク・ミュセル。そなたに、もう一度だけ機会をやろう」
しんと静まり返った室内で、サージュ王はなおも食い下がろうと息巻いている息子をギロリと睨みつけ、ラークに杖の先を向けた。
「その命を賭してでも、魔女から我が国を守ってみせよ。そなたの待遇は、その後決めるとする」
「…………はっ」
ラークに残された道は、かつての師と戦う未来のみであり、彼が頭を垂れて受け入れるまでに、そう時間はかからなかった。




