残された記憶
『私の口から説明するよりも、見たほうが早いさ』
そう言うが早いか、男は近くにいた兵士の一人に、丸めた書状をぽんと投げて寄越した。
『彼に渡しておくれ』
『…………』
兵士は躊躇したものの、そっと包囲網から抜けると、ラークに走り寄って書状を差し出した。男から目を離さないように、片手で書状を受け取ったラークは、紐を解くと顔の前で書状をさっと広げた。――そこに記されていたのは、たった1文だけ。
『シエラ・ミュセルに対し、高位魔術師として出兵することを要請する』
それでも、書状を取り落としてしまう程、ラークを動揺させるには十分だった。――高位魔術師になるには、それだけの魔力量が必要になる。だが、シエラの魔力は周りの人間に比べても著しく少なく、母親のレイラの願いに反して、成長とともに増していくこともなかった。
(……なぜ、今更)
シエラは今年で“15歳”になった。仮に固有魔術を授かるだけの素質があったにしても、5年以上前までに力を発現していなければおかしい。10歳を過ぎて固有魔術を発現するなど、前代未聞だ。
『おい、大丈夫かっ? 何が書かれていたんだ?』
考え込んでしまったラークを何とかしなければと、兵士の一人が構えを崩さないようにしながら、地面に落ちた書状を拾い上げた。
『……召集令状か? なんでこんな――』
“こんなもの”と続けようとした兵士は、飛び掛かる前の猟犬のように険しい顔をしたラークを見て、慌てて言葉を切った。刹那、彼の頭の中で“ミュセル”という名字が弾け、兵士はハッとして口に手を当てた。徴兵されたのが、ラークの親類ではないかと思い至ったからだ。
『……それを、どこで手に入れた?』
目を見開く兵士を置いて、ラークが一歩踏み出すと、男に低い声で尋ねた。
『ブラン王城で見付けたんだよ。どうやって、という質問には答えられないけれど、本物であることは保証するよ』
余裕しゃくしゃくといった態度の男に、ラークは苛立ちを募らせ、あと数歩で男に届くというところまで、ずんずんと歩みを進めた。ローブのポケットから杖を取り出し、威嚇するように男の喉めがけて前に突き出す。
『……証拠を見せろ』
『疑り深いね。でも――そう来ると思ったよ』
男は唇の端で乾いた笑みを浮かべると、ラークに向かって紫のリボンを差し出した。数秒だけ目を閉じ、魔道具もなしに呪文を唱える。
『リコレクション』
『……!』
男が口にしたのは、物体から思念や記憶を読み取る“古代魔術”で、ラークは思わず耳を疑った。ノワールの魔術師は、魔道具を使わなければ一般魔術を使うことができず、それでも古代魔術どころか高等魔術も扱えない人間しかいないというのに。
(……この男は、いったい何なんだ?)
黒い髪をしているが、着ているのはノワールの軍服ではなく、ブランでもよく見かける、ありふれた茶色い外套だ。膨大な魔力量に古代魔術を扱う技術、そしてその知識――もしかすると、彼はグリーズ島の人間ですらないのかもしれない。
『そう構えないでおくれ。君に愛しい妹の、最期の姿を見せてあげたいだけさ』
『……ふざけるなっ』
ラークが杖を喉仏に触れそうなほど前に突き出しても、男は涼しい顔で気に留める様子もない。リボンへと注がれた視線が、黙ってそれを受け取れと告げていた。
『…………くっ』
真実を知りたいという気持ちが勝り、ラークは吸い寄せられるようにリボンに手を伸ばした。
『きっ、危険です!』
書状を手にした兵士が後ろから叫ぶも、その声はラークにもう届いてはいなかった。ラークの手がリボンに触れ、懐かしいすべすべとした感触に指を滑らせた途端、蛍火のように記憶のかけらが頭の中に飛び込んできた。
◇◇◇
来客用にしつらえられた、ブラン王城の1室。白い壁や木目調の家具には飾り気はないが、落ち着いた上品な空間が整えられていた。窓際に添えられたベッドに腰かけているのは、胸元まで伸びた白髪を紫のリボンで束ねた少女で――。
(……シエラッ)
10歳のときに島を離れてから、再会することは一度もなかったが、見間違えるはずもない。眉の下で一列に揃えられた前髪も、甘えたように垂れた目尻も、少しとがった小さな唇も、全部記憶の中のそれと変わらないままだ。
『……どうしよう』
肩を落として俯いていたシエラは、ドアがノックされると我に返った様子で、応対しようと立ち上がった。薄桃色のワンピースが、彼女の動きに合わせてふわりと揺れ、細い足首がちらりと覗いた。
『お父さん、お母さん! いらっしゃいっ……』
『久しぶりね、シエラ。急に呼び出すなんて、どうしたの?』
戸口から入ってきたラークの父母は、すぐにシエラの顔つきが暗いのに気が付いたようで、それからハッと何かに当てられたように頬を強張らせた。
『あなた、その“魔力”は何?』
そう言うや否や、母は狭い部屋の中に他に人がいないか、さっと首をめぐらせて確かめた。部屋に満ちる膨大な魔力が、娘から発せられているものだと信じられなかったのだ。
『呼び出したのは、このためか? 一体なにがあったんだ?』
焦った父に肩をつかまれ、シエラは取り敢えず父に1脚しかない椅子に座るよう促した。シエラは先ほどと同じようにベッドへ腰かけ、その隣には母が座った。
『……私にも、わからないの』
『どういうこと? 順を追って、話してごらんなさい』
母がシエラの手を両手で包み込み、まっすぐに柔らかい眼差しを向けてくる。上手く説明できる自信がなく、小さくため息をついたシエラは、左手首を隠すように巻いていた包帯を解きだした。――あらわになった細い手首に、実母であるセイラの腕輪がはまっていないのを見て、レイラが目を見開いた。
『あなた、腕輪はどうしたのっ?』
『…………あげたの』
『あれは、セイラの形見なのにっ。どうしてそんなことを!』
感情的になるレイラの傍らに父が歩み寄り、そっと肩に手を置いて落ち着かせる。しかし、父もまた眉間にしわを寄せており、シエラは消えてしまいそうなほど、小さく身を縮こまらせた。
『“誰か”に、ねだられたのかい?』
『…………うん』
『知り合いか? 上の人間で、断れなかったのか?』
『えっと、……そういう訳じゃ、ないんだけど』
“彼”に腕輪を渡したときのことをどう伝えたものか、シエラは頭を抱えた。腕輪は奪われたわけではない。欲しいと言われて、やっぱりシエラも最初は断ったのだ。けれど、次第に頭がぼうっとしてきて、渡したのは確実にシエラ自身の意思だった。
『とっても――素敵な人だったから。……なんだか、断れなくって』
『……?』
これには、父と母も顔を見合わせていた。シエラは危なっかしいところはあるが、考えなしに愚かなことをするような子どもではない。それは、親である二人が一番よく知っていた。それなのに、“素敵な人”とは一体どういうつもりで言っているのだろうか?
『お前から腕輪を取った人間のことは、――また後で考えよう。それよりも、お前の魔力が増えたのは、腕輪を外してからなのか?』
『わかんない。……でも、言われてみたら、そうかもしれない』
“彼”に会ってから、シエラはいつも頭の芯に鈍い痛みがあって、物事を集中して考えるのが難しくなっていた。面会には手続きが必要で、数日はかかると知っていて両親を呼んだのも、そんな自分の状態に不安があったからだ。
『詳しい話はあとだな。ともかく、こんなに魔力量に恵まれているお前を、国が放っておくとは思えない』
『……ええ、そうね』
『シエラ。お父さんとお母さんと一緒に、今日ここから逃げ出すぞ』
声を潜めてそう耳打ちしてきた父の言葉に、シエラは目を丸くした。
『だ、ダメだよっ。だって、私がここにいるのは、お兄ちゃんと王様が約束したからなんでしょう?』
『その通りよ。でもね、ラークはあなたの安全を――幸せを願って、そうしたの。このままじゃ、あなたは戦場に送り込まれてしまうわ』
『で、でも――』
シエラはただ、数日前に爆発的に増えた魔力量が、何かの思い違いで、気にすることはないと両親に励まして欲しかっただけだった。こんな風に、切羽詰まって国に背くような行いをする気など、さらさら無かったのだ。
腹を決めたように目の据わった二人が立ち上がり、なにやら話し込んでいると、部屋の扉が再びノックされ、外から声がかけられた。
『シエラ・ミュセル。陛下の命により同行を願う』
両親の顔色が、紙のように真っ白になっていくのを、シエラはどこか現実味の伴わない頭でぼうっと見つめていた。




