戦争の爪痕
夜になると冷え込みがきつくなり、しっとりとした空気が少しだけ開いた窓から入ってくる。ローブを羽織っていても身震いするリタに気付いて、トーマスは窓を閉めるとベッドへと戻った。
「――失礼します」
コンコン、とドアをノックして顔を出したのは、若い娘だ。娘は戸口で扉を抑えると、母親と思しき中年の女を中に入れ、後に続いて部屋へ入った。女が胸の前に抱えている盆からは良いにおいが漂ってきており、テーブルのない客室には置く場所もないので、素早く立ちあがったトーマスがさっと両手で受け取った。
「すみません、食事は普段もお出ししていなくて……」
盆に乗っているのは、パンが3つにスープが入った椀がひとつ。どう見ても人数分ないのは明らかだが、揃って頭を下げる二人をトーマスが咎める様子はない。
「いいよ。分かってるから」
「……お気遣い、痛み入ります」
「部屋を借りられただけありがたい。助かったよ」
なお頭を下げ続ける二人に下がるよう伝えて、トーマスが盆を手にしたままリタに向き直った。
「リタちゃんと僕で分けようか」
「…………」
トーマスがベッドの上にこぼさないように慎重に盆を置き、リタを手招きした。ラークは気絶しており、ディルは縄をかけられているため食べられないのだが、何となく二人に後ろめたさを感じてしまう。ベッドに腰かけ、勧められるまま手を盆へ伸ばしたものの途中で止めたリタに、トーマスがパンをひとつ手渡した。
「ブランの畑はかなり焼かれたし、貴重な収穫は重税がかけられてブラン経由でノワールに持っていかれる」
「……」
「これが、精いっぱいのもてなしなんだよ」
リタはのどが詰まったようになり、パンを口に含もうとしても上手くいかなくなってしまった。どこか遠くを見るような目で、トーマスが続ける。
「この町は、戦前は穀物の収穫量が多いことで有名だった」
「……はい」
「補給源を断つために、かなり焼かれて――すっかり様変わりしちゃったね」
リタはノワールにいた頃、孤児院と料理店に引きこもるばかりで、外に出ることはほとんどなかった。知識を得る機会など皆無に等しく、ブランがこれ程までに困窮していることも、そもそもなぜ戦争が起きていたのかすら知らなかった。指をいじる代わりに手の中のパンにギュッと爪を立てて、唇をかみしめる。
(……収容所の方が、まともな食事が出てきた)
誰かに教えてもらいたくて、でもリタの問いに答えてくれる人など誰もいなくて、自分には与り知らない所で起きている話だと、ずっと見ない振りをしてきた。それでも、黒髪黒目でなくてもリタが“ノワール人”であることに変わりはない。何故ノワール人はこうもブラン人に憎まれているのだろうか?
「……トーマスさん」
パンを手でちぎっていたトーマスが、リタの固い声に左の眉をピクリと上げた。
「こんなこと、お願いするのは――おかしいって分かってます。でも、トーマスさんにしか聞けなくて」
「……なに?」
彼の顔に警戒はにじんでおらず、純粋に不思議に思っているのが伝わってきた。
「ノワールとブランに何があったのかを、教えていただけませんか?」
「……どうして、僕に?」
静かに問いかけられ、リタは束の間答えに詰まった。彼しか聞ける人がいなかったというのが一番の理由ではあるが、トーマスが聞いているのは、その更に先であると感じたからだ。
「……トーマスさんは、私に優しいです。それが私になのか、ノワール人になのか、私には分かりません。でも――」
「…………」
「ブランの人達は、皆ノワールを憎んでいるみたいなのに、トーマスさんだけは少し違う気がしたんです。だから、つまり、その……」
「なるほどね」
気に障ることを言ってしまったのではないかと不安になるリタの前で、トーマスが手に取ったスプーンで、スープをゆっくりとかき混ぜ始めた。
「君の言っていることは、大方間違っちゃいない」
「…………」
リタも続きを待ちながらパンをちぎったが、口にいれる気にはなれず、手の中で小さな欠片を弄んだ。
「この力を授かったとき、決めたんだ。僕は――自分の見たもの、感じたものを信じると」
(……どういう、こと?)
その意味は良く分からなかったが、トーマスが気を悪くしていないことに、リタはほっと息をついた。
「どこから話そうか? リタちゃんは、ブランの成り立ちは知っている?」
「……いえ」
「じゃあまずは、ブランの建国から話そうか」
トーマスが部屋の明かりを落とし、部屋の中にはラークとディルの寝息と虫の声だけが静かに響いていた。
◇◇◇
はるか昔、トーマス達ブラン人の先祖となる白髪に銀の瞳を持つ民は、グリーズ島から海を挟んだ北西部にあるレドン大陸に住んでいた。
多民族国家である皇国メデストロフィに住む彼らは、ロンカイネン家の魔女により魔術が伝えられると、それぞれ特殊な力を発現した。固有魔術と名付けられたその力に、政略結婚や兵器としての利用価値を見出したのが、当時領土拡大を推し進めていた皇国上層部の人間たちだ。
約150年前、搾取されることに耐えかねた先祖達は、志を同じくする仲間を募り、グリーズ島へと渡ろうと画策した。しかし皇国の手から逃れることは容易ではなく、追っ手に捕まりそうになった彼らは、海岸部に位置する魔女の館へと逃げ込んだ。
事情を知った魔女によって彼らに与えられたのが、魔力を封印し、姿を隠し、髪と目の色を変えることができる、逃亡のための魔道具であった。宝飾品をかたどったその3つの魔道具こそ、後のブラン王家の秘宝である。
魔女は魔道具の譲渡と交換に、仲間の中で最も貴重な“治癒”の力を持つ男――エリアスに婿入りすることを求めた。彼女の娘は病に侵されており、ロンカイネン家の知識を以てしても、先は長くなかったのだ。交渉がまとまると、エリアスは一人館に残り、仲間達は船でグリーズ島へと渡っていった。
しかし、先住民であるノワール人が彼らを歓迎するはずもなく、領土をめぐる激しい戦いが始まってしまった。犠牲者の数ばかりが増えていく状況に立ち上がったのが、後の初代ブラン王となるクレールだ。
クレールは「開心の力」と呼ばれる、人の心を自然に開き、その本質を引き出す力を用いて、見事ノワールとの対話による和平を成立させた。国同士の貿易も商いも婚姻も、すべての関りを持たずに相互不干渉を貫くことで、島の西部に住まう許しを得たのだ。
こうして先祖達はグリーズ島西部に、クレール・ブランを王とする「ブラン王国」を建国し、両国においては長らく平和が維持されてきた。
しかし8年前、突如ノワールがブランに侵攻したことにより、再び戦いの火蓋が切られてしまった。ノワールが一方的にブランへと攻め入ったことで、心当たりのないブランはノワールに強い不信感を抱き、戦争が長引くにつれてそれは激しい恨みと憎しみへ形を変えていった。
両者の戦力は拮抗していたものの、史上最強の魔術師であるラークが力を奮ったことにより、ブランは一時優勢に立つことが出来ていた。
だが、3年もの間続いた戦争は、ラークの単独投降により一気に形勢が逆転してしまう。窮地に追い込まれたブラン王は敗北宣言を発表し、ノワールの属国となることを受け入れた。父王の決断に、第1王子であるクラージュは最後まで反対を続け、今や彼を筆頭に据える反乱組織「過激派」が誕生してしまったのだ。
――そして、ラーク・ミュセルの投降については、その場に居合わせた者は皆戦死しており、今もなお真相は謎に包まれている。




