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魔術師ラークと灰色の混血姫  作者: 古都見
第3章 過激派
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追憶

 ――ミナが笑っている、子どもの手を取って。幼子の髪は美しい白髪で、銀色のくりくりとした目が俺を認めて丸くなる。


『おとうさん、おかえりなさいっ』


 腕の中に飛び込んでくるぬくもりに、涙が止まらない。ずいぶん長く、戦場に出ていた気がする。


『ディル、会いたかった』


 息子ごと前から抱きしめてくる妻の背中に、そっと手を回す。俺も会いたかった、と言いたいのに口が硬直したように動かない。


『おとうさん、どうしたの?』


 下から心配そうに見上げる子どもに、ぎこちなく笑いかける。心配いらないという意味を込めて。だが、不安そうな彼の顔は少しずつ曇っていく。


『うれしくないの? おとうさん』

『……っ』

 

 息子の顔が、奇妙に歪んでいく。冷汗が手ににじんだ。


『……あなた、今までどこにいたの?』


 ハッとして妻に視線を移すと、ひどく虚ろな瞳と目が合った。


『私がどんな思いであなたを待っていたか、助けを呼んでいたか――知らないっていうの?』


 ちがう、という否定の言葉が声になることはなかった。ただ金魚のように口をはくはくと動かし続ける。


『守ってくれるって、約束したのに』


 妻が両手で顔を覆い、かがみこむ。息子がその背中を撫でていた。墨で染めるように、上から髪が黒く染まっていく。妻の方を向いたまま、息子がポツリと口にした。


『……おとうさんに、あいたかった』



◇◇◇ 



 8年前、ノワールとの戦争が始まった。ディルの住む村にも、志願兵を募るビラが貼られ、親族や友人が出兵していった。元々正義感の強いディルは、祖国のためならと出兵に意欲的だったが、妻であるミナの反応は芳しくなかった。


『兵士になるなんて、本気なの?』


 家に戻って決意を打ち明けるも、ミナの表情は暗かった。当然だ。夫が戦地に赴くと聞いて、明るい気持ちになる妻などいない。


『ああ。この村は辺境に近い。ここでの暮らしを守るためにも、ノワールに負ける訳にはいかない』

『でも、あなたが行かなくたって……』

 

『この手で守りたいんだ。ミナのことも、この暮らしも』

『…………』


 二人はまだ結婚したばかりだった。強制的に徴兵されたのでなければ、わざわざ戦場に赴く必要もない。ミナの猛反対もあり、このときはディルが折れた。



 しかしそれから3年が経っても、戦争が終わることはなかった。ブランの勝利も目前との噂が流れているのに、一向に終戦の知らせは来ない。戦地に向かった友人達から手紙が来るたび、ディルはふがいない思いに苛まれていた。


『…………はあ』

『……最近、ため息ついてばかりね』

 

『……すまない』

『謝ってほしいわけじゃないわ。ただ、気になって――』


 夕食の片づけを終えると、両手にマグカップを持ったミナが椅子にこしかけた。座ったままだったディルの前にも、マグカップが差し出され、赤褐色の茶が湯気を立てている。


『……志願兵のこと?』


 不意打ちのように話を振られ、ディルはマグカップに伸ばしかけた手をピクリと止めた。わずかに揺れた瞳を、彼女は見逃さなかった。


『あなたのことだもの。引き留めたからって、あっさり諦めるとは思ってなかったわ』

『……さすがだな』


 それでも、ミナは志願を許してくれないだろう。自嘲気味に笑うディルの手を、柔らかい感触がマグカップごと包み込んだ。


『……いいわよ』

『えっ』

 

『いいって言ったの。兵士になっても』


 突然の心変わりに、よほど不思議そうな顔をしていたのだろう。ミナが長椅子の隣をトントンと叩いて隣に座るよう求めてきた。


『こっち、来て』

『……なんで?』

 

『いいから』


 訝しみながらも素直に腰かけると、ミナがディルの右手をとって腹の上にポンと置いた。その仕草にまさか、とディルの心臓が早鐘を打つ。


『この子にね――あなたのそんな顔、見せられないなって思ったの』

 

 はた目にはまだ何の変化も見られない。だがそこには、確かに小さな命が宿っているのだと告げられ、ディルは目頭が熱くなるのを片手で押さえて、もう片方の手で小さなミナの両手を握った。


『ありがとうっ、ありがとう……ミナ』

『ふふっ、泣き虫なんだから』


『約束する。お前のことも、お腹の子も――俺が必ず守るから』


 ミナが、泣き笑いのような顔でうなずいた。



◇◇◇ 



 戦地に送り込まれて数か月。ブランの圧勝は噂に過ぎないということをディルは思い知らされていた。いくらブランの魔術兵が強いといっても、やはりノワール軍に数で押し負けている部分はある。


(だが、こちらにはラーク・ミュセルがいる……!)


 最強と謳われる齢18の若い魔術師。丘の上に立ち次々と大きな魔術を放つ姿は、まさしく神のようだった。彼の前では、ウジのように湧いてくるノワール軍も、一瞬にして蹴散らされて消えていく。偶然近くですれ違う機会のあった顔見知りの兵は、ラークは顔も女のように美しいと絶賛していた。


(彼さえいれば、きっと勝てる!)


 ラークは、ディル達ブラン兵の希望の光だった。それなのに――、


『撤退するぞ! ラークが投降した。ここはもう終わりだっ』

『どういうことだ!? 逃げるのか?』

『もうノワール兵を抑えられん! 俺たちだけでも逃げるぞ』


 ほうほうの体で逃げ出すディル達の後ろから、黒々としたノワール軍が着実に進軍してきていた。ディル達は一度基地に戻って体制を立て直すことになったものの、その間にノワール軍は辺境の村々を制圧し、略奪の限りを尽くした。


 もちろんディルの村も例外ではなく、戦地から戻ったディルは変わり果てた故郷の姿に絶句した。所々焼け落ちた家屋、窓は叩き割られて道にガラス片が飛び散っていた。


(ミナは……、子どもはっ、無事なのか!?)


 もつれる足で家路を急ぐと、幸いたいして大きくもないディルの家が、標的にされた形跡はなかった。焼け落ちていなかったことに胸をなでおろしながら玄関扉に手をかけると、鍵がかかっていないのかすっと内側に開いた。


『ミナっ、俺だ! 帰ってきたんだ、どこだ?』


 がらんとした家の中に、人の気配はない。最後に二人で茶を飲んだ食卓には、ホコリが積もり、嫌な予感がして背中を冷たい汗が伝った。外に出て二人を探そうと振り向いたとき、いつの間にか玄関口に立っていた老婆と目が合った。


『……ディルかい?』


 隣の家に住む彼女は、何か痛ましいものでも見るかのようにディルを見つめていた。その手に抱かれているのが毛布でくるまれている赤子だと気づき、ディルの心に微かな希望が宿った。

  

『すみませんっ、その子どもは――ミナの?』


 彼女は一人で暮らさず老婆の家に世話になっているのかもしれない。嫌な予感は全部思い過ごしで、大切なものは全部無事だと早く安心したかった。

 

『この子は……、ミナちゃんはね……』


 涙ぐみながら、老婆は語りだした。


 ミナはノワール軍の男に乱暴され、そのせいでお腹にいたディルとの子は流れてしまったのだという。悲しみに暮れるミナに老婆が食事を運んでも、ろくに口にすることは無く、日に日にやせ細っていったらしい。


(じゃあ、その子どもは一体――) 


 ディルは足元がぐらぐらと揺らぎだすのを感じたが、老婆の話に口を挟みはしなかった。蛮行を尽くしたノワール兵は、それだけでは飽き足らず、ミナを再度襲って子まで孕ませたのだと聞いた瞬間、ディルは拳を机に叩きつけていた。


『おばあさん、聞いて。赤ちゃんが戻ってきてくれたのよ?』 

 

 ミナはうわごとのようにそう口にしていたが、妊婦を刺激するのは良くないと、老婆は否定することはしなかった。ひたすら母子ともに無事でお産を終えられることを祈っていたが、そんな願いもむなしく、ミナは出産で命を落とし、あとに残されたのはこの子どもだけだという。


『……ミナちゃんの、子どもだよ』


 そう言って毛布をはらりと退けた赤子の“黒い髪”を認めるや否や、ディルは正気を保てなくなっていた。逃げるように家を飛び出し、戦争は終わってなどいないと自分に言い聞かせるように軍へと戻った。 



(俺は守れなかった、なにひとつ……)



 数日後、ブラン王室が正式に降服宣言を発表した。ブランはノワールの属国となることが決定したが、到底ディルに受け入れることはできなかった。


(殺してやる、ノワール人はすべて。そして、ラーク・ミュセル――)


 投降したことを必ず後悔させてやる、とディルは心に誓った。

 

 元々腕の立つ彼は、軍に戻ると戦績も加味され、すぐに軍曹へと昇進が決まった。軍の内部で密かに仲間を集め、ひたすら復讐の機会を待つ日々が始まったのだった。


 

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