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魔術師ラークと灰色の混血姫  作者: 古都見
第1章 出会い
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ラーク・ミュセル

 ヒタヒタと、冷たい廊下を歩く足音が木霊する。前を歩く看守長の男は足が早い。裸足で追いかけるリタは、小走りだった。


(……まだ、着かないのな?)

 

 足の裏が氷のように冷たくなる。地下牢の最下層まで来て、ようやくエドガーの足が止まった。


「……こいつだ」


 看守長が道を譲る。鉄格子に近づくと、牢の中がよく見えるようになった。柵には、保護の魔術が幾重にもかけられている。


(……っ!)

 

 その中に、ボロボロの白い固まりがいた。リタ達に背を向けて横たわっている姿は、人というよりも獣のようだ。


「おいっ、起きろ! お前の新しい監視が来たぞ」


 柵を揺すられ、獣がゆらりと身を起こした。囚人だと分かっていても、サラサラと床にこぼれ落ちる美しい長髪に、リタは目を奪われた。


(……人間、だよね? 白い毛皮の狼みたい)


 銀色の瞳と目が合う。白髪に銀色の瞳――典型的なブラン人の特徴だ。獣はこちらを見据えたまま、逸らすこともしない。たじろぐリタの目の前に、看守長が手をかざした。


「……おい、やつの目はなるべく見るな。柵には遮断の魔術もかけられているが、魅了されないとも限らん」

「はっ、はい」


 ブランの魔術師の中には、魅了の力を持つ者がいると聞いたことがある。――魅了は相手を狂わせる恐ろしい魔術だ。リタは慌てて、お腹の辺りに視線を移した。


「……あの、ところで、この人は一体――」


 まだ囚人の名前を聞いていなかった。しかし、最深部でこれだけ厳重に保護されているとなると、かなり危険な人間であることは間違いない。不安そうに目を泳がせるリタに、エドガーが冷たく言い放った。 


「――ラーク・ミュセルだ」


 リタの喉がひゅっと鳴る。先の戦争で、何百人ものノワール人を葬った悪魔の名だ。彼が単独投降したせいでブランは負けたようなものであり、一人で戦況を左右するほどの力を持っていた。


(噓でしょう? ……そんなの、私に務まるわけがない)


 みるみる青ざめていくリタから目をそらし、看守長は辞書のように分厚い冊子を放ってよこした。表紙には『ラーク・ミュセル報告書』と書いてある。


「そいつの監視は重要な任務だ。――頼んだぞ」


 頼むという言葉が、くれぐれも逃げるなよと頭の中で変換される。リタまでもがここに収容されてしまったようだ。実際似たようなものではあるが……。


「……あっ、あの――」


 踵を返すエドガーに話しかけようとしたが、ふいと背を向けられてしまった。そのまま振り返ることなく、彼は部屋を出て行った。


(……どうしよう)


 さり気なく鉄格子の向こうに目をやると、ラークは向こうを向いて横になっていた。声をかける勇気はさすがにない。

 ひとまず、牢の前に置かれた椅子に腰かけると、報告書をテーブルの上にどんと置いた。


(……これでも、読んでいよう)


 読み書きは孤児院で一通り習った。ぺらぺらとめくってみるが、とても一朝一夕には読み終わりそうにない。適当に開いたところから、飛ばし読みしていった。

    

 

『……ここには半年以上勤めたが、遂に一度も声を聞くことはなかった』

『癇癪を起こすこともなければ、何か要求してくることもない』 

『食事を3日抜いてみても、顔色ひとつ変えない』 


 

 書かれた内容の異様さに、息をのむ。


(罰でもないのに、食事を抜くなんて……)


 やりすぎとも思える仕打ちに、リタは空腹で眠れない夜を思い出した。そんな仕打ちを受けても、悪魔は抵抗しなかったのだろうか? 不思議に思いながら次の一文を読み、はたと手が止まった。 

  

『この男には恐らく、――感情がない』


(……どういうこと?)


 日誌を読む限り、感情の起伏が著しく乏しいことは伺えた。ここに来る間にも、他の囚人は癇癪を起こしたり、暴れたりしていたのだ。彼らと比べれば、今のところラークは不気味なほど大人しいが、この世に感情がない人間などいるのだろうか?


(もっと、調べてみないと……)


 詳しい情報を求めて日誌を読み進める内に、睡魔が襲ってくる。これまでの疲労もあり、抗おうとしたもののリタはいつの間にか眠りに落ちていた。



◇◇◇



 柵の向こうで、少女が日誌の上に突っ伏したまま眠っている。成人男性用の椅子は大きすぎたようで、裸足が宙にぶらりと浮いていた。


「…………ごめんなさい」


 乾いた唇から、謝罪が漏れる。二度、三度と繰り返し寝言で謝る様は、さながら向こうが罪人のようだ。


(……ここまで気の緩んだ監視は、始めてだな)


 監視初日から眠りこける人間を、ラークは初めて見た。荒れ放題の手には血が滲み、監視の制服がぶかぶかなのが遠目にも見て取れた。けれど何よりもラークの目を引いたのは、彼女の髪の色だった。


(……灰色の髪か)


 灰色はブランでも見かけたことがない。純粋なノワール人ではなく、混血児であるのは疑いようもない。しかし、ブラン人に対する差別意識が強いノワールで、彼女がどんな風に生まれたのかは謎だった。この仕事を引き受けるあたり、散々な扱いを受けてきたのは想像に難くないが……。


(こんな娘を寄こすほど、人手が足りていないのだな)


 独房で過ごして、もう5年が経つ。入れ替わり立ち代わりやって来る監視達は、ラークを恐れて必要以上に関わろうとしてこない者がほとんどだった。――中にはブラン人への敵意を隠すこともなく、嫌がらせをして反応を引き出そうとする者もいたが。


『……おい悪魔、空腹か?』


 2人分の食事に舌鼓を打ちながら、太った監視の男が笑った。食事を抜かれて3日が経ったが、腹が空いても怒りを感じなかった。


『お願いします。食事を恵んでくださいって言えば、すぐにでもくれてやるぜ』


 高圧的な声の調子も、鮮明に思い出せる。だが、何の感情も湧いてこなかった。人も物も、目に映るものすべては、ただそこにあるだけ。自分の心を動かすことはない。


『もうこんな生活耐えられない! ここから出してくれ!』


 何人もの監視員が、看守長に泣きついて出ていった。それを見ても、自分の置かれている状況が辛いとも、苦しいとも思わなかった。



 ――そんな折、看守長に連れられて、やせっぽっちの小さな娘がやってきた。14、5歳くらいだろうか。こんなに若い、しかも女の監視は初めてだった。


『…………』


 少女と、目が合う。その瞬間、ラークは鳥肌が立つのを感じた。


(この魔力量。――ただものではない。)


 身体から立ち上る、桁違いともいえる膨大な魔力量。ここまで多い者は、過去にも見たことがない。史上最強と言われるラークをも、凌駕している可能性もあった。


(……気付いていないのか?)


 俯いた少女はおろか、看守長もその事実に気付いている様子はなかった。


 通常、これほどまでに魔力量に恵まれている者を、ノワールが戦力として放置する訳がない。ましてや、命すら危うい大罪人の監視に充てるなどあり得ない。


(…………ノワール側には、この娘の魔力量を認知できるものはいないのか)


 人間がイルカの超音波を聞き取れないように、同じ音でも自らの限界を越えるものを、人は認知できない。

 リタの魔力量が莫大すぎるために、看守長はそれを認識することすら出来ていないのだ。そして看守長はおろか、ノワール国内に彼女の魔力量を正確に測れるものは恐らくいない。


(彼女の価値を理解していないからこそできる所業だ)


 事実上、この少女がノワール最大の魔力保持者ということになる。当の本人は、ラークから目をそらして怯えたままだ。きょときょと揺れる灰色の瞳に、頭の片隅で何かが反応した。


『……いちゃん』


 腰まで伸びた白い髪。髪を結ぶ紫色のリボン。リボンと同じ色のワンピース。



『…………おにいちゃん!』



 フラッシュバックするように、鮮烈に記憶がよみがえる。そうだ、俺には妹がいた。何に変えても、守りたいと、守ろうとした妹が……。



(…………シエラ)



 ――ラークの中で、眠っていた感情が起こされた瞬間だった。


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