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魔術師ラークと灰色の混血姫  作者: 古都見
第3章 過激派
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灰色の混血児

 がくがくと震えるリタに向かって、ディルが静かに歩み寄ってきた。


「……それが、例の混血児か」


 横倒しにされたリタの前にしゃがみこむと、ディルは彼女の顎に手をかけて強引に顔を上へ向けさせた。


「本当に――灰色の目と髪をしているのだな」 


 その声は努めて平静を装っていたが、微かに怒気を含んで震えていた。ディルは唐突に手を伸ばすと、リタの瞼を指先でつまんでぐっと開き、ビクビクと動く灰色の眼球をまんじりともせずに観察し始めた。

 

「混血児でも、まず見かけない」

「……!」  


 至近距離に迫った軍人の強面に、猿轡をかけられたままのリタは声にならない悲鳴を上げた。ディルの左目には縦に傷が走っており、頬まで達するそれのせいなのか、眼球は泥沼のように茶色く濁っている。


「ノワールにも混血児がいるとはな。……物好きな女もいたものだ」


 ディルはリタの目からぱっと手を離すと、今度は頭に手を伸ばしてぐっと灰色の髪を掴んで引っ張った。ひきつれるような痛みにリタが声を上げそうになると、何故か突然ふっと力が緩められた。

 

(……な、なんで?)


 このまま暴力を振るわれるのではと身構えていたリタは、彼の意図が分からず戸惑いながらも、距離を取ろうとずりずりと後ろに下がった。

 

「忘れるところだった。保護魔術がかけられていたのだったな」

「……?」

 

「どの程度のものかは、知らんが」


 どの程度とはいったいどういうことなのだろう? 不安に目を泳がせるリタに、ディルが冷たい声で言い放った。


「……奴から、聞いてもいないのか」

「…………」  

 

「長期間にわたって高い防御力を維持する保護魔術をかけるには、それ相応の魔力量と高い技術がいる。お前にかけられている魔術が“いつまで、どれだけ”の効果を発するのかは、奴の覚悟に左右されるということだ」


(……ラークの、覚悟に?)


 そんなもの、『必ず守る』とは言われたものの、敵国の監視相手に持ち合わせている方がおかしい。保護魔術がかかっていると知ったときは、闇の中で明かりを手渡されたかのようにふっと心が温かくなったが、その効力が無限ではないと知った途端、リタの背中を冷たい汗が流れた。


(……保護魔術が、切れてしまったら) 


 基礎魔術すらまともに使えないリタが、この倉庫から無事に出ることなど絶対にできなくなるだろう。


(……でも、もしかしたら)


 ラークが自分にかけたのは強力な保護魔術なのではないかと、そんな風に信じたいと思ってしまっていることに、リタは気が付いていた。あの感情の読めない、妹の名でリタのことを呼ぶ寡黙な魔術師は、肝心なところではいつもリタを守ってくれていたのだ。 


 ――足元に這いつくばる少女の目に、雲の合間から差し込む太陽の光のように希望がちらつきだすのを認めて、ディルは腹の底から苛立ちが湧き上がってくるのを感じた。

 

(……あんな奴のことを、信じているのか) 

 

 保護魔術の話をしたのは、希望を抱かせようとした訳ではない。――奴を疑い、絶望させるためだ。



(……希望など、根こそぎ奪い去ってやる)

   

 

 気持ちを切り替えたディルは、リタの後頭部へと手を回すと、はらりと猿轡を外して低い声でこう持ち掛けた。


「……ひとつ、質問をしよう」  


「……っ、はあっ、はあっ――」


 ようやく口でも息ができるようになり、リタは大きく息を吸い込んでむせそうになってしまった。長い間布を嚙まされていたため、頬と口の中が突っ張ったように固まって気持ちが悪い。


「……ブランには、黒髪の子どもが大勢いる」

 

 保護魔術が発動しないよう、ディルがリタの反応を慎重に見ながら、ギリギリのラインで痛めつけようと髪を引っ張った。


 

「何故だか分かるか?」  

 

 

 地を這うような声に、リタの背筋が震えた。ノワールを出たこともなく、まともな教育を受けてこなかった彼女には知り得ようもない話で、気を失いそうになりながらも必死に考えた。


 

(……白髪のブラン人から、黒髪の子どもが生まれる理由?)


 

 そこから導かれる答えは、いくら考えてもただ一つしかなかった。

 

 

「……の、ノワール人の――血が、入っているからですか?」

 

「ああ、その通りだ」


 

 ディルがリタの髪を手離す代わりに、彼女の下腹を指で突いた。


「お前らノワール軍の男がブランの女に何をしたか――想像できるか?」


 痛みを伴うような暴力ではないのに、先ほど兵士に蹴られそうになった時よりもずっと恐ろしく、リタはガチガチと鳴る歯を食いしばって止めようとした。


「お前らノワール人は、ブラン人の色まで踏みにじり――髪も目も黒く染めていく」

「……っ」

 

「授かった命と生むことを決めても、敵国の色に染まった赤子の姿に絶望する」


 ディルがリタの腹に突き立てた指を、ぐりぐりと押し込んでいく。リタは身体の中から沸き立つ嫌悪感に鳥肌が立ち、拭うこともできずに涙が頬を幾重も伝っていった。


「なあ、何故お前は灰色なんだ? 交わって生まれた子どもは皆黒く染まっているのに」


「……し、知りません」


 ディルが冷ややかに笑い、立ち上がると腰の長剣を抜いて振りかざした。


 

「そうか、残念だ」 


 

 そのまま真っすぐ振り下ろされた長剣がリタを両断しようとするも、保護魔術が働きディルの身体もろとも弾き返していた。吹っ飛ばされた兵士とは違い、ディルは足を踏ん張って反動に耐えている。


 

(まだ、効果はあるみたいだけど……) 


 

 保護魔術が切れてしまったら、リタに自らを守る術はない。縛られた手に汗がにじんだ。



◇◇◇  



 目の前で震える灰色の少女に向かって、ディルは休みなく攻撃を続けていた。何度攻撃を弾かれようと関係ない。ディルの愛する妻――ミナへの思いが、裏切り者のラークが敵国の女に抱いた浮ついた恋情に、負けるはずが無いのだ。


 

「やめて! お願いっ、やめてください……」 


 

 すすり泣く少女の姿に、ふっと泣き叫ぶ黒髪の赤子の姿が重なった。ノワール人に汚された、醜い悪魔の子。――ミナを苦しめ死に至らせた、おぞましい怪物。


 

『どこへ行くんだい、ディルッ! その子はミナの子じゃないかっ』

 

 

 頭の中に響くのは、故郷の村の隣家に住む老婆の声。戦後、故郷の村へと帰ったディルは、彼女から黒髪の赤子を手渡され、“その色”を見て我を失った。


『こんなものっ、違う! ミナの子どもなわけがあるかっ』


 害虫を思わせる黒い髪に目をした赤子は、乱暴に扱われてぎゃあぎゃあと泣き喚いていた。――その目の形が、薄い唇が“ミナによく似ている”、と思った瞬間、ディルは発狂して頬をかきむしっていた。


 

『化け物っ、化け物め! ミナを返せっ、ミナ……』

 

『……ディル、しっかりしとくれ』


 赤子を抱えたまま近寄る老婆の手を払いのけ、ディルは家を飛び出した。


『ミナッ! どこだっ、ミナ? ――ミナ!』   

 

 そのまま逃げるように村を出て、それ以来一度も戻っていない。ミナのいないあの家には、もう何の安らぎも思い入れも感じなかった。

 


(……ラーク・ミュセルさえ裏切らなければ)



 俺たちの子どもが死ぬことも、ミナが死を選ぶこともなかった。彼女を失ってから、ずっとラークに復讐することだけを心の糧にして、生き抜いてきたのだ。



(……この女を、殺せば)



 奴にも少しは大事な人間を失う痛みが分かるだろうか? 少女にかけられた保護魔術は非常によく出来ており、これだけ攻撃を仕掛けても破られる気配はなかった。

 


「随分、大事にされているようだな」

「……やっ、やめて――」

 

「これほどの力を持ちながら、なぜあいつは祖国を見捨てた」 


 ディルがリタの横腹に足をかけ、体重をかけてぎりぎりと力を込めていく。肌がねじれるような痛みにリタが歯を食いしばると、ディルは踏むのをやめて、まるで石か何かのように彼女を軽く蹴り飛ばした。


 

「あいつのせいで、ミナがどんな思いをしたか……」


(……ミナ?)



 ディルの声が『ミナ』という名を口にした時だけ、少しだけ柔らかくなったのをリタは聞き逃さなかった。ハッとして見上げると、銀色の隻眼に盛り上がった透明な雫が、一筋頬を転がり落ちていった。

 

「あいつさえ裏切らなければ、ミナは今も……!」


 泣き笑いのような表情を浮かべたディルが、ゆっくりと長剣を振りかざした。その状態のまま、思いの丈をぶつけるように大声で呪文を唱える。

 


「……ランフォルセッ」 

 


 術式の記述なしに発動された強化魔術は、ディルの長剣に銀色の光となって纏わりつき、見るからに一撃の威力が増していた。


 

(……さっきまでとは、全然違う) 



 全身から放たれる威圧感が、次で必ず保護魔術を破壊するという気迫が、先ほどまでのそれとは比較にもならない。光り輝く長剣は神々しくさえ感じられ、リタは硬直したように動けなくなってしまった。



「奴に関わったのが、運のツキだったな」


 

 ディルがそう言い終えるのと同時に、辺りに金属が擦り切れるような甲高い音が響き渡り、それが自分の口から発せられている悲鳴だとリタが気付く頃には、もうすぐ目の前に切っ先が迫っていた。

 

(……イヤッ)

 

 彼女を守るように銀色の盾が浮かび上がったものの、じりじりと猛攻に耐えぬいた末、ついに渾身の一撃を受けて砕け散ってしまった。

 

 

(……そんなっ、嘘――)


 

 打ち破られた保護魔術の欠片がキラキラと霧散して消えていくのを、リタは呆然と見つめることしかできなかった。


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