追跡
『落ち着いて聞いてくれ――リタちゃんがいなくなった』
トーマスがそう口にするのを耳にした瞬間、ラークの頭は時が止まったかのように真っ白になった。
『恐らく過激派の仕業だ。ウェルデンによれば、エバンズ軍曹が怪しい』
続ける彼の言葉の意味を理解するが早いか、ラークは何か思うよりも先にレーヴの部屋を飛び出していた。透視された影響で、頭が割れそうに痛み、身体も痺れて震えていたが、そんなことには構っていられなかった。
(……なぜ、過激派が動いたんだ?)
リタがノワール人だからというのも有り得ない話ではないが、それならば殺さずに生かしたまま連れ去る理由が見当たらない。――ラークは1階へと続く階段を駆け下りながら、リタがあくまで囮に過ぎず、彼らの狙いは自分なのではないかと思い至った。
(……だが、おびき出したところでどうする?)
真っ向から戦ったとして、過激派がラークに勝てる見込みなど絶対に無い。それを承知でこのような強硬手段に出てきたのならば、何か相手には勝機を掴む切り札があるに違いなかった。
(……助けに向かえば)
ラーク自らも敵の策にはまり、危険に晒される可能性が高くなる。だが、彼には“見捨てる”という選択肢は端から無かった。
(……何としても、日暮れまでに間に合わせなければ)
利用価値が無いと判断されれば、リタは即座に殺されてしまうだろう。移動にかかる時間を考えれば、一刻も早く探知でリタの居場所を割り出す必要があった。
(……無事で、いてくれ)
ひたすら走るラークの脳裏に、レーヴの部屋で別れる寸前、こちらを気遣うようにぎこちなく笑みを浮かべていたリタの表情が蘇った。魔女ザハラにかけられた魔術の状態を探るため、そして裁判で有利な証言を得るために、レーヴに透視してもらうことを優先し、リタから離れることを選んだのは、他ならないラーク自身だ。
『……頼んだぞ、トーマス』
おそらく危険はないと判断し、トーマスに彼女を任せた愚かな自分の声が頭に響いた。――何故あのとき、彼女を引き留めずに行かせてしまったのだろう? ずっと自分の傍に置いておけば、攫われることなどなかったはずだ。
そんな思考に頭を埋め尽くされそうになり、ラークは久方ぶりに自分が抱いた感情に思わず足を止めてしまった。
(……“後悔”、しているのか?)
シエラを失ってから、自分の生き方や選択に対して何の感慨も湧かなくなり、ブランを裏切ろうと、地下牢に閉じ込められようと、その行いを悔いたことは一度たりとも無かった。――だが、ラークは今確かにリタから目を離したことを“後悔”していた。
(あの子どもに、『術式が綻びてきている』とは言われたが――)
もしかすると、ザハラに奪われた感情が自分の中に戻ってきているのかもしれないと、ラークは反射的に胸に手をやった。詳しい話を聞く前に部屋を出てきてしまったため、自分に何が起きているのかは不明だが、何かが変わりだしたのはあの灰色の少女に出会ってからだ。
(……彼女を、殺させるわけにはいかない)
ようやく見つけた変化の兆しを、みすみす失うわけにはいかないと、ラークは再び走り出した。
◇◇◇
イグリスの外へ出ると、ラークは邪魔が入らないよう通行用の道から外れた森の中に足を踏み入れた。大分進んでから振り返ると、イグリスは生い茂る木々に隠れてすっかり見えなくなってしまっていた。
(……始めるか)
適当な木に背中を預けると、ラークは瞑想するように目をすっと閉じた。無意識下での固有魔術の使用は微々たる魔力量があれば事足りるが、明確な意図をもってその威力を上げようとする場合は、必要とされる魔力量も集中力もその比ではなくなる。――何より、術者への負担が桁違いに増していくのだ。
(……あの子どもにも、相当な負荷がかかっていたに違いない)
ラークの身体には、今なおレーヴによる透視の影響が色濃く残っている。被術者のラークでさえこうなのだから、施術者であるレーヴがただで済んだとは思えなかった。――実際に体感したことはなくとも、固有魔術を魔力切れを起こす限界まで使ってしまうと、数日寝込むことになり、悪くすれば昏睡状態や死に至ることもあると聞いたことがある。
(……それでも、探知を使った方が効率が良い)
ラークは自らを中心に据えて円を描くように魔力を張り巡らせていくと、木々の間を吹きすさぶ風のように少女の姿を探して駆け抜けていった。しかし、どこにもリタの姿は見当たらない。
森を出て近くの村へ入ると、家々を出入りする村人や家畜が、その位置から姿かたちまで鮮明にラークの脳内に浮かび上がった。だが、畑仕事や家事に勤しむ彼らに不審な点は見られない。徐々に増していくずっしりとした疲労感に、ラークは深く息を吸い込んだ。
(……集中しろ)
これ以上は魔力の消費量が一気に激しくなり、平時でさえ頭痛や倦怠感に見舞われたことがある。透視後の今の身体で無理をすれば、更にひどい状態になるのは目に見えていたが、ラークは迷うことなく更に遠い町の方角へと魔力をぐっと押し広げた。
「……くっ」
村よりも遥かに多い人々が、ぼんやりとした影のようなシルエットで目蓋の裏に映り、何十人も密集している様子に頭がくらくらとしてきた。そのひとつひとつに注意を向けようとしても、酷い吐き気でまともに見分けられそうもない。――一度町を抜けようと郊外へ意識を向けたとき、ふとラークは人里離れた森の中から異様なまでの人の気配を感じ取った。
(……何だ?)
ざっと三十人はいるであろう人々が、こぞって中に入っているのは古ぼけた倉庫のようだった。町からも離れた場所にあり、見るからに使われていないであろう倉庫に、何十人もの人間がいるのは、どう考えてもおかしい。
(……野盗の根城にでも使われているのか?)
不審に思ったラークが観察を続けていると、間を置かずに倉庫から見回りらしき人間がひとり出てきた。ぼやけた視界では性別すら分からないが、見慣れた白い軍服にラークは息を吞んだ。
(……ブラン兵かっ)
はっとして目を見開くと、集中力が途切れるのとともに固有魔術の効果が切れ、ラークは凄まじい疲労感で立っていることすら出来なくなってしまった。ずるずると木の根元にへたり込み、こめかみを抑えて頭痛に耐えながら、彼は回らない頭を無理やり働かせた。
(……あの兵士が、過激派の一味なら)
リタはあそこにいるに違いないが、日が暮れる前に町まで移動するには、馬か転移魔術を使わなければ間に合わない。最強と名高いラークでも、転移魔術を一人で使うことは不可能で、馬を調達しようにもそんな当てはない。
(……どうする? こうしている間にも――)
気持ちばかりが先走るなか、大量に魔力を消費して体力も限界に達したラークは、ついに地面に倒れこんでしまった。地面に手のひらを押し当てて、必死に起き上がろうとうめくも、まったく思い通りに体が動かない。
そんな彼の肩を、トンと後ろから叩く影があった。
「よっ。ボロボロだな」
「……トーマス」
元お目付け役の上官の手には、どこで手に入れたのか2頭の馬の手綱が握られていた。にやりと笑うトーマスの姿が、弱っているラークには今までになく頼もしい。この男には敵わないとふっと息を吐きだすと、ラークは力を振り絞って立ち上がった。




