ウェルデン
応接室へと駆け足で戻ったトーマスは、待機していた案内役の一人に早口で命令した。
「今日イグリスに出入りしていた人間を洗ってくれっ、全員だ!」
「は、はい? かしこまりました」
すさまじい剣幕のトーマスに、案内役が不思議そうな顔をした。のんきな反応を返す彼らに対する苛立ちを抑え、トーマスは髪をくしゃくしゃとかき回しながら説明した。
「連れの女の子がいなくなったんだ。考えたくはないが、攫われた可能性が高い」
「……本当ですかっ?」
「ああ、1階はもう粗方調べた。他の階も見てきてほしい」
もう一人の案内役を見ながら頼むと、二人はそれぞれ受付への確認と捜索に出るために、血相を変えて応接室を出ていった。警備体制の高いイグリスで拉致事件が起きるなど、想像だにしていなかったに違いない。
(……僕は、ラークに知らせないと)
基本的にいつも感情を前に出さないラークが、あの少女に対しては“妹に向けていたような”強い関心を見せていた。通常であれば怒るのは当然の状況であるが、トーマスにはラークが怒る姿が想像できなかった。
(怒るどころか、泣くところも笑っているところも見たことがないからな……)
唯一、妹の話をしている時だけ口元が綻んでいた気がするが、気のせいかもしれない。
時は一刻を争うと、トーマスは応接室を飛び出して、レーヴの部屋がある5階まで一気に階段を駆け上がった。すっかり息があがってしまい、壁に手をついたまま数回深呼吸して整えていると、ふと左手から誰かの視線を感じた。
「……久し振りだね、トーマス」
あまり抑揚のない独特の話し方。振り向かなくとも声の主がレーヴの双子の兄――ウェルデンだと分かった。トーマスが顔を上げると、左手前の部屋の少しだけ開いた扉の隙間から、レーヴと瓜二つの少年が覗いていた。
「……ああ、久し振りだな。元気にしていたか?」
レーヴと見紛うほど似ているが、髪長姫のように伸ばされた弟の髪とは違い、ウェルデンの髪は短く切られて襟足が見えていた。トーマスの挨拶にウェルデンは皮肉を含んだ笑みを浮かべて答えた。
「おかげ様でね。体調を崩す方が難しいくらいだよ」
ウェルデンもまた希少な力を持つ高位魔術師の一人であり、彼の固有魔術はレーヴのように危険なものではないが、権力者が有益な力を独占して流出を防ぐために、イグリスに閉じ込められていた。頻繁に会うことのできない二人とは、できるだけ時間を作ってやりたいのが本音だが、今はゆっくりしている時間はない。
「……悪いが、ちょっと急いでいてな――」
「うん、知ってるよ」
事も無げに頷くウェルデンに、トーマスはハッと息をのんだ。ウェルデンの固有魔術は“先見の力”で、平たく言えば“未来を視る”ことができる。瞬間を切り取ったような断片的な光景に映されるのは、自身が視たいと望む未来ではなく、その時点で自分の運命に“最も深く関わる”出来事だというが、トーマスには話を聞いてもさっぱりだった。
(……見知らぬ人間や場所ばかりで、ウェルデン自身も解読できないことも多いしな)
だが、ウェルデンは今確かに『知っている』とそう口にした。
「何を視たか、教えてくれるか?」
トーマスが扉の前にしゃがみ込み、ウェルデンに閉められないようにがっと手で抑えた。いつになく前のめりな彼の様子にウェルデンは目をしばたいたが、落ち着いた声でこう口にした。
「……灰色のお姫さまなら、無事だよ」
「……っ!」
話しは愚か、会ったことすらないリタの未来を視たというのだろうか? それは彼女がラークだけでなくウェルデンにとっても重要な存在であることの暗示であり、いよいよトーマスは彼女が抱える謎について頭を巡らせずにはいられなかった。顎に手を当てて集中しているトーマスに、ウェルデンがぽつりと続けた。
「……あと視えたのは――左目に傷のある男。それだけ」
「左目に……傷だと?」
ブラン軍の中で左目に傷を負っている者は一人や二人ではないが、過激派に属するものであるとすれば、犯人と思しき人間はたった一人しかいない。
(……エバンズ軍曹か)
ディル・エバンズ――トーマスが管轄する部下の中でも、特にノワールへの憎しみを強く抱いている男で、軍曹という立場上、兵士と接する時間が長いために多くの信奉者を抱えていた。表立って聞いたことはないが、過激派に属しているのは明らかで、一瞬の隙を突くやり方も周到に準備をして機会を伺う彼らしかった。
「……ウェルデン、些細なことでいい。ほかに何か手がかりはないか?」
「そうだね……」
ウェルデンは何かを思い出すように天井へさっと視線を走らせると、トーマスに向き直った。
「日が暮れたら、手遅れになるかな」
太陽は既に傾いてきており、日暮れまではもう数時間しか残されていなかった。タイムリミットができたことにトーマスは焦りだし、礼を言ってすぐにその場を離れようとしたが、ウェルデンに囁くような声で呼びとめられた。
「……トーマス」
「なんだ?」
「……レーヴに伝言を頼んでいい? 『隠せ』って」
「隠せ?」
不穏な響きにトーマスは怪訝な顔をしたが、ウェルデンは悠然とした態度で頷くだけだった。
「……頼んだからね」
そう言い残すと、小さな予言者は部屋の扉をすっと閉めて姿を消した。
(……どういう意味だ?)
本当のことを言うと、力のせいかどこか浮世離れした雰囲気を持つあの少年が、トーマスは昔から少し苦手だった。レーヴやリタのような子どもらしさに欠けており、ときには少年の皮を被った老人を相手にしているような気さえしてしまう。――しかし、今は考えている場合ではないと、トーマスは振り返ってレーヴの部屋の戸を叩いた。
◇◇◇
「……ラーク、反動来てるみたい」
ノックをしてから暫くすると、ゆっくりと戸が内側に開かれた。上目遣いにこちらを見上げるレーヴの後ろには、白い絨毯の上で頭を抱えて身もだえしているラークの姿が見えた。
「大丈夫なの? あれ」
「多分。……ちょっと、覗きすぎちゃったから」
しっかり見てくれと頼んだのはトーマスであるため、指示に従ったレーヴを責めることなどできない。不安そうな視線を送ってくるレーヴの頭を撫でると、トーマスはラークの隣に膝をついて背中を揺すりながら声をかけた。
「おい、しっかりしろっ」
「……くっ」
「落ち着いて聞いてくれ――リタちゃんがいなくなった」
トーマスがそう切り出すや否や、唐突にラークの動きが止まった。スローモーションのようにゆっくりと上げられたラークの顔からは血の気が引いていた。
「今調べているところだが、恐らく過激派の仕業だ。ウェルデンによれば、エバンズ軍曹が怪しい」
「…………」
「日暮れまでは一応リタちゃんは無事らしいが――本当にすまない」
トーマスが頭を下げても、ラークが声をかけることはなかった。長髪の獣はゆらりと立ち上がると、一言も発さずにレーヴの部屋を風のように去って行った。
「おい、待てっ――」
「……カーシェル中尉っ!」
後を追おうとしたトーマスは、丁度部屋に入ろうとしていた案内役の二人と鉢合わせそうになってしまった。
「どうした? 何か分かったのか?」
「……はい。こちらが本日イグリスに入退した者の一覧です」
「……私も各階を見て回りましたが、お連れ様の姿は見当たりませんでした」
「……そうか」
話を聞きながら、トーマスはさっと手渡された帳簿に目を通していき、『ディル・エバンズ』の名を目にすると、こめかみに手を当てて目をつぶった。
(悪い予感が、当たったな……)
直接出入りした人間は部下のようだが、上官としてエバンズの名が記されていることからも、関与していると踏んで間違いなさそうだ。
「僕は取り合えずラークを追う。あいつの探知なら、リタちゃんを見つけられるはずだ」
相手もそれを見越して動いているだろうしな、とトーマスは頭の片隅で考えた。後手に回っている以上、リタを助けに行くのは自ら罠にかけられに行くようなものだが、作戦を立てている余裕などない。
「……かしこまりました。申し訳ありませんが、我々はイグリスを離れるわけには参りませんので――」
「ああ、分かっている。案内ご苦労だった」
足早にトーマスが部屋を離れようとすると、耳をつんざくような甲高い声が部屋に響き渡った。
「待って! どこ行くの!?」
「……レーヴ」
「遊んでくれるって約束したじゃん! トーマスの嘘つきっ」
今にも泣き出しそうな表情に、トーマスの頭にがんと殴られたような衝撃が走った。




