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魔術師ラークと灰色の混血姫  作者: 古都見
第1章 出会い
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リタ

 昼時の大衆料理店は、目が回るように忙しい。煌々と照らされた店内には、短い休憩時間に昼飯をかきこむ男たちの姿があった。喧噪から離れた薄暗い厨房の片隅では、――灰色の髪の少女が女将に怒鳴り散らされていた。


「このネズミがっ! また皿を割ったのかい」

「…………すみません」

「……本当っ、何をやらせても、満足にできやしない」

「…………すみません」


「ネズミはネズミでも、ドブネズミだねっ」


 大柄の女が灰色の髪を掴んで引っ張り、少女の頭に電流のような痛みが走った。


(やめて! 痛い、離して……)


 心のなかであげる悲鳴を、口に出すことは出来ない。出せば、もっとひどい叱責が待っている。ほかの店員は遠巻きに見るだけで、助けに動く者はいない。


(今度こそ、皿を割らないように気を付けなくちゃ……)


 ここをクビになったら、自分のような混血児を雇ってくれるような職場はもうないかもしれない。13歳の誕生日に孤児院を出てから、どんな理不尽な対応をされても、リタはひたすら耐え続けてきた。


(……お腹が空いた)


 毎日のように繰り返される暴言、暴力。少しでもミスをすると、罰として抜かれる食事。――それが灰色の髪と目をした少女、リタの2年続く日常だった。



◇◇◇



 3時を過ぎると、客足が減って店内は静けさを取り戻した。女将と店主の夫は休憩に入り、リタは他の従業員数名と後片付けにかかった。がらんとした店内には、食器が残されたテーブルが累々と並んでいる。洗い場へと往復する回数を減らそうと、リタは食器をこれでもかと重ねて胸の前に抱えたが、細い腕で支えるには限界があった。


 ――グラリ


 頭より高い位置に積んだ皿が、ズズっと後ろにずれていき、あっと思った時にはバランスを崩していた。


「……っ!」


 傾いていく視界の中、汚れた皿が宙を舞った。今日も食事抜きだと泣きそうになったとき、背後から誰かの手がリタの腰に回された。がっしりとした腕はリタを抱えたまま、落ちそうになった皿を数枚キャッチしていく。


「…………すごい」


 曲芸師のような身のこなしに、思わず感嘆してしまった。


「……一人で立てるか?」


 耳元でささやかれて慌てて振り向くと、鋭い眼光の男がリタを見下ろしていた。角切りの顔も相まって、いかつい印象だ。


「はっ、はいっ。すみません!」


 リタは皿が割れないように、そろそろと体を離すと一度近くのテーブルに食器を移した。離れた位置から改めて見ると、男はノワール軍の黒い軍服を着ていた。


「……ありがとうございます」

「…………」


 軍人はリタのお礼にも、何も答えない。仕方なくお辞儀だけしてその場を立ち去ろうとすると、低い声に呼び止められた。


「……リタというのは、君か?」

「……? はい、そうですが……」


 名前を知られていることを不審に思い、リタが眉根を寄せた。客と向き合ったまま作業に戻らないリタを見て、従業員たちがひそひそと何かささやきだした。


「……あの、何か?」


 値踏みするような視線に、リタはいたたまれなくなった。このままここにいては、女将や店長にサボっていると言いつけられてしまうかもしれない。


「……ご用がないのでしたら、仕事にもど――」 

「……私はこの近くのテヌール収容所で、看守長をしている。エドガーだ」

「……は、はい」


 テヌール収容所。罪人の中でも罪の重い者を多く収容する、危険な監獄として有名だ。そんなところの看守長が、リタの名を知っている。知れずと肩に力が入った。


「実は、とある囚人の監視が足りていなくてな」

「…………」


「今日は、君に頼めないかと尋ねてきたんだ」

「……私?」


 思いもかけない提案に、驚きよりも不信感が募った。囚人の監視なんて、体格の良い男や保護魔術に長けた魔術師がするものだ。間違っても、リタのような軟弱な少女がするような仕事ではない。


「…………あの、何かの間違いじゃないでしょうか?」


 だが、目の前の男が勘違いに気づく様子はない。皿を持ったまま途方に暮れるリタのもとへ、女将が般若のような形相で飛んできた。従業員の誰かが告げ口したのだろう。


「なにを油を売っているんだい! 仕事はどうした!」

「……すみません。あの、でも――」

「口答えするんじゃないよ! さっさと仕事にお戻り!」


 ――取り付く島もない。リタはすごすごと皿を抱えて、洗い場へ戻るほかなかった。後ろで看守長が女将に話しかけているのが聞こえた。


「事前に連絡もなくすみません。あの子のことで、少しお聞きしたいのですが――」

「……なんだい?」


 厨房へと足を踏み入れたリタには、その先を聞くことは叶わなかった。



◇◇◇



 流しにつけられた食器を片っ端から洗っていくも、30分経っても終わりが見えてこない。指先がふやけてきた頃、従業員のひとりがリタを呼びに来た。


「おい、ネズミ! 女将さんが呼んでるぞ」

「……はい、いま」


 まだ洗い物は終わっていないが、切り上げてすぐに女将の部屋へ向かう道すがら、前掛けで泡だらけの手をぬぐった。


「……お呼びでしょうか?」


 戸を開けると、女将と店長の他に先ほど会った看守長も座っていた。リタは戸を閉めたあと、立ったまま深く頭を下げた。


「遅くなり、申し訳ありません」

「……ああ。最後までアタシを待たせるとはね」


(……最後?)


 聞き間違いかとじっと女将を見ていたリタは、次にかけられた言葉に絶句した。

 

「……リタ、お前はクビだよ」


 女将が単刀直入に切り出した。


「うちはね、本当に人手が足りていないんだ。それこそ、ネズミの手も借りたいくらいにね。……でも、お前は仕事を増やすばかりで、少しも役に立ちやしない」

「……そんなっ」

「そこへこのエドガーさんが、いい話を持ってきてくれた」


 先ほどの、囚人監視の話だろうか? 口をつぐんだ女将から、看守長に視線を移した。


「君には、テヌール収容所で大罪人の監視をしてもらいたい」

「…………」

「監視は24時間体制で、交代はない。監獄の最下層の部屋で、ひたすら監視を続けることになる」


 看守長の話は、リタの想像する監視の仕事よりもずっと過酷なものだった。


 地上に出ることもままならないまま、囚人同然に地下牢に備え付けられた個室で暮らす。万が一の場合には、命の保証もない。――まともな人間なら、数週間もすれば狂ってしまうだろう。


「……どうして、私に?」


 職を失った今、新しい仕事を悠長に探している時間はない。雇ってもらえるだけありがたいのだが、どうしても理由が知りたかった。


「この街に、働き者の“混血児”がいると聞いたんだ」

「…………」


 予想もしない理由に、リタは目を見開いた。そうか、必死に働く自分のことが、そんな風に噂になっていたのか……。

 それでも、監視するだけで衣食住が保証されるという話しは、リタにとって魅力的だった。監視がリタ一人なら、容姿を理由に虐げられることもないだろう。


「――どうだ? 引き受けてくれるかい?」

「……分かりました。よろしくお願いします」


 エドガーに連れられて部屋を出るリタに、女将や店長が声をかけることはなかった。


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