白いローブ
でまかせを言ったところで、この隙のない軍人にはすぐに看破されてしまいそうだ。もともと嘘があまり得意ではないリタは、トーマスに正直に話すことにした。
「…………私は、彼の監視をしていました」
「ふうん、監視員か――兵士には見えないしね」
「……はい」
トーマスが手元の紙に、右手で何かさらさらと書き込んでいく。教本のような美しい文字にリタが見とれていると、顔を上げた銀の瞳と視線がぶつかった。
「名前は?」
「……リタです」
「リタちゃんね、了解」
(……リッ、リタ“ちゃん”っ!!)
突然“ちゃん付け”で呼ばれたことに、リタは目を白黒させた。丁度紅茶を飲み込んだ後だったため事なきを得たが、もう少し早ければ口から溢してしまっていたかもしれない……。こうしてお茶を振舞っていることといい、トーマスの距離感は敵兵というにはあまりにも近すぎるのではないだろうか? ――口元を押えているリタの動揺には頓着せずに、トーマスは取り調べを続けていく。
「いつから、ラークの監視を?」
「……4日――5日前からです」
リタがそう答えた途端、トーマスの手がピタリと止まった。
「……5日?」
「…………は、はい」
何かおかしなことを言ったかと不安になるリタから目を逸らし、俯いたトーマスが眉間に手を当てて「はあ~」と大きくため息をついた。顔を上げると、ずれた眼鏡を人差し指で直し、ぐるんとラークの方に首を向けた。
「この子の言ってること、本当?」
「…………ああ」
「……お前、出会って5日しか経ってない相手に――パーフェクトプロテクション使ったの?」
「…………ああ」
淡々と答えるラークとは対照的に、トーマスが頭を抱えて唸りだした。
「ああ~っ、もう分っかんねえ~!」
髪をかきむしるトーマスの姿を見て、詳細は分からなくともリタは何だか彼が気の毒になってきた。
「お前、レーヴに会ったら洗いざらい“見て”もらうからなっ。覚悟しとけよ」
「…………」
「おいラークっ、僕に何か言うことは?」
ごめんなさいだろ、と詰め寄るトーマスと、どこ吹く風といった調子で流すラークの間に流れる空気はどこか微笑ましく、リタの頬は自然と緩んでいた。――大した情報を引き出すことはできないとトーマスは早々に悟ったのか、両手で包み込んだティーカップが冷たくなる頃には、聞き取りは終了した。
「……そろそろ出ないとな。その前に、まずは着替えだ」
席を立ったトーマスはリタの背後に回り、ガサゴソと音を立てながら棚の下部の引き出しを漁りだした。ソファから身を乗り出して見る気にはなれず、リタが顔を正面に向けたまま横目で伺っていると、ついに引き出しの奥から白い袖が出てきた。
「よしっ、2着あるな」
トーマスが白い衣服を抱えてテーブルに戻ってきた。リタとラークの前に畳んだシワがついた服をグシャリと置き、上から羽織るように身振りで示した。
「これで我慢してくれ。特にリタちゃんのは小さいかもしれないが、無いよりマシだろ?」
ラークが服を手に取り広げると、白地に銀で唐草模様が刺繍されたそれは、トーマスが着ているローブと瓜二つだった。
(……魔術師の、ローブ?)
魔術の才能のない自分には、そんなものを着る機会が巡ってくるなんてリタは考えたこともなかった。敵国のものとはいえ、憧れの魔術師だけが纏うことのできるローブに胸を膨らませながら、彼女はテーブルに残された白い布に手を伸ばした。
「……えっ」
思っていたよりも随分サイズが小さく、リタの膝上までしか丈がない。女性というよりも子どもが着るような大きさに、リタは思わず声を漏らしてしまっていた。慌てて手で口を押さえたものの、トーマスの耳にはしっかり届いていたようだ。
「やっぱり小さい? 僕の従弟のなんだ。……まあ目隠しだと思って」
「……は、はい。すみません」
リタが袖を通すと、ゆったりとした作りのローブは想定していたよりも締め付けがキツくなく、手首や膝小僧が見えていても着心地は悪くなかった。
(……魔術師に、なったみたい)
ここがブラン軍の基地でなく、周りに誰もいなければ、リタは鏡の前に立って一回りしていたかもしれない。ほんのり高揚する気分で右隣を見た瞬間、リタは目を見開いたまま固まってしまった。
(……違う人間、みたい)
長さがバラバラの髪もローブの下から覗く古びた囚人服も変わらないのに、ただ白いローブを羽織っただけで、ラークは雪原に降り立った精霊のように凛とした雰囲気をまとっていた。胸元のくるみボタンを留める指は女のように細く、浅くかぶったフードからは長いまつ毛が飛び出している。――ぼうっとラークを見つめたまま突っ立っているリタに向かって、トーマスが自身の頭をポンポンと叩いて見せた。
「リタちゃんも、フード被って。君は如何せん目立ちすぎる」
「…………はい」
曇り空のように淀んだ灰色の髪のことを思い出し、リタは急に現実に引き戻された。彼女の髪がボサボサで傷んでいるのは、触れることすら嫌がられて誰にも切ってもらえず、自分で適当に切っていたためだ。
(……恥ずかしい)
フードを深くかぶり、首元から出てくる毛先を後ろへ流して視界に入らないようにした。首筋に手をやると、ふいにペンダントのチェーンがひんやりと指先に当たった。ポコポコとしたその感触を確かめながら、リタはそっと心の中で祈った。
(……見守っていてね、お母さん)
トーマスはそんなリタの様子を一瞥した後、扉の前へ移動してローブのポケットからカギを出し、ガチャリと開錠した。握りしめたドアノブを回す前に、彼はリタとラークに背を向けたまま、平坦な声でこう忠告した。
「これから馬車に乗って移動する。指示には必ず従うこと」
「…………は、はい」
返事をしないラークの代わりにリタが小さな声で答えた。振り返ったトーマスに、先ほどまでとは打って変わった、どこまでも無機質な目でリタは見下ろされていた。
「一応言っておくけど」
「……?」
「僕から離れて勝手な行動をしたら――命の保証はないからね」
さらりと告げられて、リタは咄嗟に言葉につまってしまった。彼女の返事を待つこともなく、トーマスが戸を開けて廊下へ出ていった。出入り口に近いラークが先に外に出ると、リタも続くようトーマスに目で促された。執務室を出たからか、どこか警戒するような硬い表情をしている彼をリタは直視できなかった。
「……ついてきて」
廊下の窓から差し込む光は、照り返しでリタ達の顔を照らすほど強くなってきており、どこからか微かに男達の声も聞こえてきた。早朝、猛獣のように襲い掛かってきたブラン兵の記憶が頭をよぎり、リタは次第に足がすくんで動けなくなってしまった。
(……ど、どうしよう)
今さっき離れるなと釘を刺されたばかりなのに、二人との距離がどんどん開いていく。10歩ほど進んだところで、ラークがリタのもとへ戻ろうと踵を返したのをトーマスが腕をつかんで止めた。
「……大丈夫、兵士はみんな練習場だ」
穏やかな声で宥められ、緊張から解放されたリタがふらっと横によろめいた。バランスを崩した彼女が体勢を立て直し、よろよろと前に踏み出すのを確認すると、トーマスはラークの腕を離して再び先頭を歩き出した。
「裏口から出るぞ。馬車を待たせてある」
カーテンのようにぎゅっとフードを顔の前で掴むと、リタは前だけを見て小走りで二人の後を追いかけていった。




