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魔術師ラークと灰色の混血姫  作者: 古都見
第2章 ブラン
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魔女との契約

 ラーク・ミュセルが“史上最強の魔術師”と呼ばれるようになるまで、この世界で最も力を持つ魔術師は、彼の師である“魔女ザハラ”だと言われていた。


 ――魔術の礎を築き、失われた古代魔術から禁術まで幅広い知識を保持するロンカイネン一族。彼らはグリーズ島の北西部に位置するレドン大陸に“魔女の館”を構え、何百年もの間絶えることなく血と知識を受け継いできた。そして現在魔女の館を管理している一族の当主こそ、天候を操る強大な魔術を持つザハラ・ロンカイネンだった。


 

「……また、海を見ていらっしゃるのですか?」 



 月明かりがほんのりと照らす魔女の館では、ザハラが2階へと続く階段の半ばで足を止めて、窓の外に広がる黒々とした海を見つめていた。そんな彼女に話しかけたのは弟子のシュルツで、手にした燭台の明かりが彼の金髪を照らし、その下で躊躇いがちな緑の瞳が揺れていた。


「……ええ」

「…………」 


 レンガ色の髪を向けたまま振り向くこともなく生返事をする思い人に、シュルツはかける言葉もなく唇をかんでその場を去っていった。師である彼女が南東の窓を見つめている理由など、ひとつしかない。――あの島には、ザハラを傷つけた男達がいる。二人とも、もうこの館へ帰ってくることは二度と無いだろうに……。


 

(……ラークは、どうしているんだろうな) 



 13年前に強制徴兵を逃れて、グリーズ島から単身飛んできた4歳下の弟弟子をシュルツは思い出した。狂気にも似た愛情でラークを縛り付けていたというのに、師は何を思って彼を島へと帰したのだろうか?


 

 ――二人が契約を交わしたあの日、部屋の外で盗み聞いていたシュルツにさえ、ザハラの気持ちは分からなかった。

 

 

◇◇◇

 


 9年前、貴重な書物や魔道具を保管している鍵付きの書庫で、ザハラは摘み取った薬草を鍋で煎じていた。ロンカイネン家に伝わる薬の知識は膨大で、季節を問わず館の花壇に植えられた薬草の管理に追われていたのだ。


(……おかしいわ)


 記されている手順通りに作っていた筈なのに、鶯色になるはずの液体は黒い鍋の中でぬめぬめと鈍色に光っていた。親や祖父母から十分に教えてもらう機会に恵まれなかったザハラは、魔術書を頼りにどうにか今まで知識をつけてきたが、こうして失敗してしまうことも幾度となくあった。 


(……もうっ――少し休んじゃおう)

 

 椅子に腰かけようとした矢先、コンコンとドアをノックする音が部屋に響いて、ザハラは戸口へと向かった。カチャリと鍵を開けると、そこに立っていたのは滅多に訪ねて来ないラークだったため、ザハラはいそいそと中へ招き入れた。

 

『珍しいわね? どうしたの、ラーク?』

 

『……先生に、お話がありまして』

『ふふっ。シュルツかと思ったわ』 

 

 部屋の中央に置かれたテーブルには、所狭しと薬の瓶や薬草、開かれたままの本や宝石などが散らばっていた。床はかろうじて歩ける程度には掃除されているが、気を抜けば何かを踏んでしまいそうだ。ザハラはラークに椅子に座るよう促したが、彼は首を振って断り、立ったまま震える唇で切り出した。

 

 

『……近々、グリーズ島で――戦争が始まるみたいです』

『…………』


 

 その噂なら、ザハラも耳にしたことがあった。しかし、小さな島で起きるいざこざよりも、この閉鎖された館で彼が“どのようにして”情報を得たのかの方が、彼女は気になった。かわいい愛弟子が万が一にも「島に帰りたい」などと言い出さないように、外の情報はなるべく口にしないようにしていたのだ。


(……私に心当たりはないから、もしかして――)


 シュルツがラークに何か余計なことを吹き込んだのだろうか? 忠実な弟子が自分の意に反することをするとは思えないが、ザハラは顎に手を当てて考え込んでしまった。長い沈黙の間に決意が固まったのか、様子をうかがっていたラークがザハラのレンガ色の瞳を見据えて口を開いた。


 

『……ブランに、帰らせて頂きたいんです』

『何ですって!?』


 

 ザハラは思わず自分の耳を疑った。開戦間近の母国に帰ることの意味を、この少年はきちんと理解しているのだろうか?


『……今帰っても、戦力として駆り出されるだけよ』

『承知の上です』

 

『あなた、バカなの? 利用されて死ぬだけだって言ってるのよっ』


 後半は嘘で、ザハラはラークが戦死するとは露ほども思っていなかった。ラークが魔女の館に来てから4年が経過し、すでに魔術の腕も知識もかなりのもになっている。――彼を殺すなど、ザハラほどの実力が無ければ到底無理だろう。自身の実力に薄々気づき始めているため、彼も戦場へと向かうことに意欲的であるに違いない。



『……帰らせないと言ったら?』

 


 とはいえ、ザハラにはこのままラークをあっさり手放すことなどできそうになかった。忘れられない初恋の人と同じ白い髪に銀の瞳を持ち、魔術の才にも恵まれている少年。こんな逸材をこれから先見つけられる可能性はとても低い。――試しにザハラが魔力をにじませて威圧しても、ラークの覚悟は揺るがないようで、砂が散るように彼の瞳に銀の光が舞だした。


 

『先生が相手でも、容赦はしません。――必ず故郷に帰ります』

『……』


 

 ザハラには、ラークを無傷で引き留める良い策が思い付かなかった。ここでラークを力ずくで押さえつけることも出来なくはないが、そうすれば彼は確実に身体の一部を失うか、廃人になってしまうだろう。――沸騰しそうなほど頭を悩ませている内に、ザハラは魔術書に書かれていた禁術――“人の心を奪う魔術”を思い出した。


 

(身体が帰ってしまうなら、心だけでも手元に置いておけばいいんだわ) 



 名案だとばかりに顔を輝かせたザハラは、もったいをつけてラークを上目遣いに見た。

 

『先生に向かって、随分な口を聞くようになったわねえ。……いいわよ。ブランに帰るのを許してあげる』

 

『……本当ですかっ!?』


 ラークは信じられないというように目を見開いていた。ザハラのように独占欲の強い魔女が、そんな簡単に一番のお気に入りである自分を手放すとは思えなかったのだ。少年の予感は当たり、魔女は瞳と同じレンガ色の髪を手で整えながら、彼に契約を持ち掛けた。

 

 

『ええ。――但し、条件があるわ』

『……?』

『あなたの心を、私に頂戴』

 

『……ここ、ろ?』


 

 意図が読めず呆けたように繰り返すラークに向かって、ザハラは血のように赤い唇をつり上げて笑った。


『ええ。戦場へ赴くのに、心なんて要らないでしょう? むしろ無い方が良いかもしれないわ。何をしたって、痛む良心が無いんだもの』


 無邪気な子どものように笑う魔女を前に、ラークは手足が冷たくなっていくのを感じた。慣れ親しんだ森を散歩しているときに、突然恐ろしい獣に出くわしたかのような感覚。


(……心が、なくなったら)


 自分はどうなってしまうのだろうか? こんな風に何かものを考えることも出来なくなり、自分という人間は消え去ってしまうかもしれない。後に自身を悪魔と呼ばれるまで残虐な魔術師に至らしめた元凶である契約を前に、ラークは尻込みしていた。――迷う彼の姿を見て、ザハラは禁術の絶大な威力に、真剣な表情を作ろうとしても口の端が緩んでしまっていた。


『私はあなたにここに居て欲しいのに、帰って良いって言ってあげてるのよ? 条件が吞めないのなら、ここにいればいいじゃない?』

『…………』 

 

 4年前に着の身着のままで島から逃げてきたラークに、衣食住を提供して魔術まで教えてくれたのはザハラだ。彼女の異常なまでの執着に時折違和感を感じることはあっても、ラークの中には師の提案が理不尽だという不満も憤りも無かった。


『……心を渡せば、帰れるんですか?』

『ええ。ロンカイネンの名に懸けて誓うわ』 


 この館から彼女の目を盗んで逃げ帰ることなど絶対にできない。何としてもブランに帰りたいラークには、魔女と契約する以外に道はなかった。 

 

『……分かりました。先生に――僕の心を渡します』

『本気なのね?』

 

『……その代わり、必ず僕を島に返すと約束してください』

『ふふ、もちろんよ』 


 ラークが心を失ってまでも島に帰るという選択をしたのは意外だったが、彼がこの先誰とも心を通わせることもなく生きていくのかと思うと、ザハラは満ち足りた気持ちでいっぱいになった。


 

(……お前は永遠に、私だけのものよ)

 


 ――このまま契約が進められれば、ラークは完全に心を失ってしまっていただろう。しかし、ラークの中に眠る家族――妹シエラへの想いが、契約の行く末を大きく変えてゆくことになるのであった。



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