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魔術師ラークと灰色の混血姫  作者: 古都見
第1章 出会い
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ノワール王

 ――テヌール収容所のラーク・ミュセルが脱獄した。


 

 日が昇る前に王城へと伝えられたその知らせは、文字通りノワール王ファースを震撼させた。寝室で夜具に入ったまま、家令のオズワルドから報告を受けた王は、ベッドから跳ね起きるや否やすぐさま彼にこう言いつけた。


「リシャールはどこだっ!? 今すぐ連れてこい!」 

「……直ちに連絡して参ります」 

 

 燕尾服を着た家令は胸に手を当てて一礼すると、きびきびと寝室を出て行った。その姿を見送った王は、寝起きに急に立ち上がったせいか、血の気が引いてふらふらと倒れそうになってしまった。


「……陛下っ」

「…………すまない」


 枕元に控えていた中年の侍女――マチルダがすぐさま傍に来て王の身体を支え、ベッドに腰を下ろすのを手伝った。王に長く仕えている彼女は、何も言われずとも彼がこのまま起きることを察し、流れるように朝の支度を始めた。――シャンデリアには眩しくないよう明かりを半分だけ灯し、リラックス作用のある紅茶をシンプルな白いティーカップに注いでいく。

 

「……お加減はいかがですか?」 


 マチルダがティーカップを盆に乗せて差し出すと、王は素直に受け取り一口ふくんで目を閉じた。ファースは動揺しているときこそ、いつもと同じ習慣を繰り返したくなる傾向があるとマチルダはよく知っていた。王本人はそのことを柔軟性に欠けると批判的に考えていたが、マチルダの淹れた良い香りの紅茶を一口ふくむと、ファースは幾ばくか平静さを取り戻した。


 

(……ついに、過激派が動いたのか?)


 

 8年前にノワールがブランに侵攻したことで始まった戦争は、3年間の激闘の末ブランの降服宣言により終結した。しかし、属国となったブランにはノワールの支配に不満を抱き、反乱によって完全な独立を果たそうとする勢力――通称“過激派”が誕生してしまったのだ。


(……奴らを鎮圧するには、高位魔術師を相手にせねばならん)


 いくらノワールが武力に優れているといっても、犠牲なしに高位魔術師を倒すことなど無理に等しい。そうして手をこまねいている内に、先手を打たれてラーク・ミュセルを奪還されてしまった。――問題はブランが“何のために”ラークを連れ去ったのかだ。


(……単独投降した裏切り者を、クラージュが許すとは思えんが)


 ブランの第1王子クラージュは、勇敢でプライドが高い。先の戦争では降伏に最後まで反対し、今は過激派の筆頭ではないかと睨まれている。現ブラン国王はラークの力を利用する方向で考えていそうだが、王が病に伏せってからは、王位継承権第1位の座に君臨するクラージュが、次期国王の最有力候補として実権を握りつつあった。


(……反乱に際し不安材料となるラークを消そうと動くはず。だが、始末しようにも――)  


 ラーク・ミュセルを“確実に”倒す方法などあるのだろうか? ファースがぐっと力を入れてティーカップのハンドルを握ると、褐色の液体がなみなみと揺れて零れそうになった。


「お下げいたしましょうか?」 


 湯を用意しに水場へと席を外していたマチルダが、いつの間にか戻ってきて王の手の下に盆を差し出していた。王が盆にティーカップを置くと、すっと壁際の棚に下げに行き、代わりに水盆を持って戻ってきた。


(……相変わらず美しい所作だな) 


 ファースはマチルダを大層気に入っており、国王であるにも関わらず側に置くのは彼女一人にすることがもっぱらだった。気を許せる人間は片手で数えられるほどしかいない王城で、幼い頃からファースに仕えているマチルダは、王にとって心から信頼できる唯一の侍女だった。


「……失礼致します」

  

 マチルダが湯と水を水盆に注いで湯加減を調整し、乾いた白い布をひたして固く絞ると、王の額にあてがい手際よくぬぐっていった。いやな汗が拭き取られていき、心地が良い。されるがままに目をつぶると、王はため息をついた。


(…………長い1日になるな)

  

 過激派の反乱に備え、急ぎ会議を開いて態勢を整えなければいけない。水盆を片付けて着替えを用意しようとするマチルダに、疲れにくいゆったりとした服を用意するように言いつけると、王はよろよろとベッドを立ち上がった。


 

◇◇◇  


 

 リシャールが王城へと到着したのは、王の呼び出しから1時間半が経過した後だった。苛立つ王を必死でなだめていた家令は、息も乱さずに城門の前に現れたリシャールに眉を顰めた。


「……陛下がお待ちです」

「大変お待たせしてしまい、申し訳ございません」 


 リシャールが優雅にお辞儀をすると、耳に下がった青い宝石がゆらゆらと揺れた。王の諜報員として厚い信頼を得ているこの優男が、オズワルドはどうもうさん臭くて苦手だった。

 

「……どうぞこちらへ」 


 固い声で挨拶すると、オズワルドは衛兵にリシャールを通すよう合図した。謁見の間へと続く長い回廊をずんずん歩いていき、その後ろをリシャールが遅れないよう大股でついていく。遅い到着に当てつけるような態度とその慌てぶりに、リシャールはやや呆れていた。


 

(……このような事態が起こることなど、予想できただろうに)


 

 ラーク・ミュセルは時限爆弾のようなものだ。不用意に扱えば多くの犠牲を生みかねない殺戮兵器だが、その力を求める者は尽きない。敵に持ち出されないよう手元に置いて、極力刺激しないよう飼い殺しにする。――ノワール王は更にその過程でラークをノワール陣営へと引き込み、他国への牽制として機能させることを望んでいた。


(……それが、逃げ出したのだからな)


 過激派がラークを利用して反乱を企てているのであれば、ノワールにとって大きな脅威となる。ノワール王が乱心するのも無理は無かった。――謁見の間の扉が見えてくると、前を歩いていた家令が速度を緩めて息を整え、コンコンと扉をノックした後に脇へ逸れてリシャールに道を譲った。


「……陛下、リシャールを連れて参りました」

「……っ! やっと来たか!」


 謁見の間の正面奥に座っていたノワール王が、玉座を蹴飛ばす勢いで立ち上がり、足を踏み鳴らしてリシャールのもとへと走ってきた。大勢の者を迎えるときは大広間を使うため、謁見の間は2、30人しか入れない程小さいが、正面に備えられた大きな窓が開放的で、圧迫感を感じさせない。玉座から戸口までまっすぐ敷かれた黒い絨毯に視線を落とすと、リシャールは胸に手を当てて床に膝をつき、詫びの言葉を述べようとした。

 

「大変お待たせしてしまい、申しわけ――」  

「そんなことはいいっ! この状況をどうしてくれるっ!!」


 リシャールの謝罪は王の怒声によってかき消されてしまった。かきむしったのか乱れてチリチリとしている前髪の下から、真っ赤に充血した瞳がのぞいている。きらびやかなシャンデリアの明かりを反射するその目には、怒りよりも強く恐怖が滲んでいるとリシャールはすぐに見抜いた。――そのため彼は、王に不快感を抱かせないよう細心の注意を払いながらニコリと笑顔を作った。


「……ご心配には及びませんよ」 

「っ! 何か策があるのかっ」


 オズワルドや護衛が冷ややかな目を向ける中、リシャールは自信に満ち溢れた表情でこう言ってのけた。 

 

「はい――既に手を打っております」

「本当かっ!?」

 

「はい――ラーク・ミュセルが収容所から逃げる際に、監視の少女を連れ去ったのが何よりの証拠でございます」

「……何だと?」 


 怪訝そうな顔をしたファースが、素早く家令を振り返った。ラークの脱獄に気を取られ、テヌール収容所の被害は愚か監視員のことなど気にも留めていなかったのだろう。家令が話は事実だと肯定の意を込めて頷くと、王は改めてリシャールに向き直った。

 

「……その話が事実だとして――監視を連れ去ることに何の意味がある?」


(……食いついたな?)  


 ファースが話を聞く姿勢になり、護衛に導かれて玉座へと戻ったことに、リシャールはほくそ笑んだ。臆病なこの男はもっともらしいことを述べて煙に巻けば、いとも簡単に他人の言うことを信じてしまう。――8年前にレドン大陸がブランとノワールの位置するグリーズ島を狙っていると囁けば、戦力を増強しようと躊躇せずにブランへ攻め込んだように。


 

「拉致された監視は、ただの監視ではありません」

「……?」

 

「“開心の力”を持っている可能性があります」

「それは誠かっ!?」

   

 

 王の目が見開かれ、家令や護衛達も大きな音が鳴ったかのようにリシャールの方を一斉に見た。開心の力とは、人の心を自然に開いてその本質を引き出す力であり、初代ブラン王が有していたと言われていた。


「何にも興味を示さなかったラーク・ミュセルが、彼女にだけは反応を見せたと報告が入っています」

「…………」

「憶測ではありますが、連れ去るほど執着しているのであれば、彼女を使ってラークを取り込むことも夢ではないかと」


 よどみなく説明を重ねるリシャールの言葉に、王の頬がじんわりと紅潮してきた。王はリシャールを――先の戦争でラークを単独投降させると約束し、有言実行した暁に諜報員となった男を盲目的に信じてしまっていたのだ。



  

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