地上へ
リタとラークはひたすら精鋭達に続いて、地下牢を上り続けていた。地上へと続く廊下の脇には、比較的刑の軽い囚人の牢がずらりと並んでおり、彼らの怒号でリタの鼓膜は痛くなってしまった。
「おいっ、ここから出してくれ!」
「俺は冤罪なんだっ」
「聞こえてるのか!? 出せっていってるんだよ!」
罪人が閉じ込められた柵の前には、うつぶせに倒れたノワールの監視員の姿が点々と転がっていた。走りながら横目に見ることしかできなかったが、出血はしていないようなので命に別状はないことをリタは願った。騒ぎの大きさに焦りを感じたのか、精鋭達の走る速度が一段と早くなった。
「地上に出ればこちらのものだっ、急げ!」
「……言われなくても、分かってるわよっ」
「早く早く~」
精鋭達が地上へと急ぐのには理由があった。――移動に関する魔術は屋外での使用が適しており、屋内や密閉された空間では危険が伴う。地下で発動させるのは言うまでもなく自殺行為のようなものだった。そのため、ブランに帰るのに魔術を使うのであれば、一度地上へ出る必要があったのだ。
「……はあっはあっ」
体を鍛えたことなどないリタは、あっという間に精鋭達に置いて行かれてしまった。癪なことに、寝てばかりいたはずのラークは息も乱れていない。――走り続けるのも限界でリタがしゃがみこんでしまうと、周囲を取り囲む囚人達の叫び声が輪をかけて大きくなり、わんわんと反響した。
「聞こえてんだろクズがっ! いいから鍵をよこせっ」
「助けてくれっ、俺は罪人じゃない! 捕虜だっ」
彼らにとっては、脱獄の千載一遇のチャンスなのだろう。柵の向こうからは手出しできないと分かってはいても、がらの悪い男達に四方から怒鳴られてリタは身を強張らせた。胸を抑えたままヒュウヒュウと喉を鳴らすリタの隣で、ラークがぽつりと呟いた。
「……サイレンス」
その声は小さく瞬く間に喧騒にかき消されてしまったが、二人を中心に銀の輪がふわりと現れ、波紋のように広がっていった。輪はどんどん大きくなり、それと共に男達の声が小さくなっていく。やがて完全に聞こえなくなると、息を整えたリタはよろよろと立ち上がって四方を見回した。
「……?」
囚人たちが暴れるのを止めたわけではない。音だけが耳栓をしたかのようにピタリと消えてしまったのだ。隣に立つラークはガラス玉のような目で、黒髪に交じって白髪もぽつぽつと点在する檻の中を見つめていた。
(……ブランの、敗残兵もいる)
金魚のように口をパクパクさせているのに、もうその声がリタ達に届くことはない。かける言葉を失い立ち尽くすリタをおいて、ラークは数歩先まで歩いてからこちらを振り返った。――その待っているかのような態度に、リタは唇をかんだ。
(少しでも、脱獄を遅らせなくちゃ……)
ここまでラークはリタに合わせて隣を並走していたが、このまま体力が尽きたふりをすれば、自分を連れていくことを諦めるかもしれない。そうなれば、先に行った精鋭が戻って来でもしない限り、また命を狙われることはないだろう。
(もう走れないのは、嘘じゃないし……)
収容所へ来るまではまともな食事を摂ることなど皆無に等しく、リタは同年齢の娘に比べて背も低く肉付きも悪ければ、体力もないため運動は苦手だった。だが、とぼとぼと歩くリタにしびれを切らしたのか、ついにラークが風を切って歩いて戻ってきた。――何の予備動作もなくラークは突然リタをひょいっと持ち上げると、監視服の袖を口元に運び、舌を嚙まないようにぐっと押し込んだ。
「……っ!?」
リタが目を白黒させて抵抗しようと暴れても、ラークはお構いなしに、荷物のようにリタを抱えたまま呪文を唱えた。
「……ブラスト」
突風が巻き起こり、目にも留まらぬ速さで回りの景色が流れていった。乗り物酔いになりそうで、リタはすぐさま目を閉じた。びゅうびゅうと風が吹きあたる耳がちぎれそうに痛い。――わずか数秒で風は収まり、リタの耳には精鋭達の驚く声が飛び込んできた。
「……遅かったわね」
「ブラストですかあ? ラークのブラストに晒されるなんて、かわいそう」
「……吐いても、おかしくないな」
散々な言われようだが、気持ち悪いのは確かだ。このまま下ろされたら、リタは多分まともに立つこともできない。ぐったりしたまま何の反応もしないリタを案じたのか、ラークが担いでいたリタを肩から降ろすと横抱きに抱えなおした。――急に至近距離に近付いてきた顔にリタは面食らってしまった。目眩がしたのは、走ったせいだけではない。
(…………妖精、みたい)
いつも鉄格子を隔てていたため、今までリタは間近でラークの顔を目にしたことはなかった。ラークは全体的に線が細く、中性的な顔立ちをしていた。筆ですっと書いたような細い眉に涼しげな二重の目元。――長い前髪で隠されていても、まさに人間離れした美しさだ。
時が止まったかのように見つめあったまま固まっている二人に、突き刺すように尖ったミランダの声が割って入った。
「……いつまでそうしてるつもりっ? もう出口はすぐそこなんだから、気を引き締めてよね」
「ミランダの言う通りだ。油断はできん」
ガイが先陣を切って地上へとつながる出口を潜り抜けた。地下牢を出ると深夜の月のない空はぽっかりと穴が開いたように暗く、キンと冷えた空気が押し寄せてきてリタは身震いした。出入り口の警備をしていたであろうノワールの監視は、侵入の際に倒されたのか皆地に伏しており、甲高い警報音だけが監視塔から鳴り響いていた。
「いたぞっ! あそこだ!!」
「絶対に逃がすなっ」
白いローブを見つけるや否や、監視塔から監視員がノワール兵を引き連れてぞろぞろと走ってきた。ざっと見ただけでも30人はいるだろう。リタにとって駆け寄ってくるのは味方の筈であるのに、その迫力に気圧されてしまった。――しかし、精鋭達とラークに動揺する様子は見られない。
「……うじゃうじゃ湧いてきますね」
「ほんと、害虫みた~い」
「……早く逃げるぞ」
ガイがミランダとコリンの手を取り、二人は空いた方の手をラークへと差し出した。その間に近付いてきたノワール勢がぐるりと精鋭達を取り囲み、ぼんやりと互いの表情を確認できるところまで距離を詰めてきたが、ノワールの監視服を目にして総攻撃を仕掛けるのを一瞬ためらった。
「……攻撃は待て! 監視が人質に取られているっ」
「何だと!?」
「いやっ、構わなくていい……あれは混血児だっ」
その言葉の意味を理解した瞬間、リタは手が氷のように冷たくなっていくのを感じた。無意識にラークの首にかける手に力が入ると、ラークはその上から手を重ねてリタの手をほどき、再びリタを肩に担いだ。空いた両手でミランダとコリンの手を取ろうとするラークを見て、攻撃を仕掛けようとしていたノワール兵が目を見開いた。
「転移魔術を使うつもりかっ!?」
「バカかっ! あんな魔術、高位魔術師が5人揃って初めて成功する代物だぞ」
周りの声に耳を傾けることなどなく、手を取り合った4人は息を揃えて呪文を唱えた。
「……ルヴニールッ」
ノワール兵が抜いた剣が精鋭達に届くことはなく、銀色の光に5人の姿が包まれると、真昼のように辺りが明るくなった。ラークを入れても4人では魔術で移動することは無理だと侮っていたノワール兵は、慌てて魔術師を呼ぼうとしたが、時はすでに遅かった。
「……嘘だろっ、何者だあいつらっ」
「看守長はまだかっ」
まばゆい光に視界を奪われ、このままではブランに連れていかれると悟っても、リタはラークにしがみついたまま離れることができなかった。
(……混血児なら――死んでもいいなんて)
リタの胸には、先ほどの兵士の一言が釘のように刺さったままだった。――光の柱は最後にひときわ大きく輝くと、縦に細くなり糸のように消えていった。
「……っ! 待てっ、その子を離せっ」
真っ白になった視界のなか、リタは看守長の声が聞いた気がした。
◇◇◇
テヌール収容所は、ラーク達が転移魔術で消えたことにより騒然としていた。
「看守長っ! どうしますか!?」
わらわらと集まってきた監視員と兵士を前に、エドガーは拳を握りしめた。
(……ついに、逃げだしたか)
ラーク・ミュセルについては、監視体制が甘いと、度々王城会議でも取沙汰されてきた。しかし対策しようにも、ノワールの魔術はブランに比べて精度が低い。脱獄の危険があっても、改善することは叶わなかった。
(……殺すこともできなかったしな)
最強と名高い魔術師であるラークを殺せる者など、ノワールにはいない。生かさず殺さず閉じ込めておいた結果がこの様だ。
(……急ぎ王に報告せねば)
ブランがラークを取り戻せば、必ず反乱を仕掛けてくるはすだ。単独投降したような人間をまた従わせられるのかは分からないが、もしラークをけしかけられれば、ノワールは危ない。――ラーク・ミュセルの脱獄は、すなわち平和な日々の終焉を意味していた。
「……被害の状況を調べるぞ! 監視員の安否及び、囚人の所在をくまなく確認しろっ」
エドガーの指示を受け、地下牢へと続く出入り口に部下達が走っていく。彼もその中に混ざり、地下牢をぐるぐると下っていった。
(……まさか、混血児まで連れていくとは)
ガリガリに痩せた薄汚い灰色の少女。彼女を連れ去った意図は不明だが、敵国に渡った以上殺されていてもおかしくない。
(……運が悪かったな)
精鋭部隊の突撃があと数日早ければ、その場に居合わせていたのはエドガーだっただろう。リシャールがリタを紹介してくれたお陰で命拾いしたと、エドガーは震える拳を握りしめた。




