脱獄
リタは突然現れた3人の侵入者を前に、反射的に壁際へと後ずさっていた。身体を包んでいた熱が、冷水を浴びせられたように引いていく。
(……だ、だれっ!?)
こんな白いローブを着た人間はテヌール収容所にはいない。“白”――ブランを象徴する色、そして軍服ではなくローブをまとっていることから、リタがその正体に気付くのにさほど時間はかからなかった。
(……ブランの――魔術師っ)
それも、かなりの手練れだろう。でなければ、上層階の監視員や地上にいる兵士たちを相手に、最下層にいるラークのもとまで辿り着くことは出来ない。――3人の中で1番小さい、リタとそう変わらない背丈の魔術師が口を開いた。
「……よかったあ、ちゃんと生きてましたねっ」
声変わりの最中なのか、不安定に裏返る少年の声が監視部屋にこだました。ひときわ体格の良い大柄な男が、間髪を入れずに少年の肩をバシリと叩いた。
「コリンッ、ふざけてないで警戒しろ! 一刻も早く脱出するぞ」
「もうっ、ガイは心配性だなあ……」
「――私はガイに賛成よ」
涼やかな高い声は、細身の魔術師から発せられたものだ。声色からして女だろう。細身の魔術師はイライラしているのか、腕を組んだまま落ち着きなく指先をトントンと動かしていた。ガイと呼ばれた男は前にのしのしと歩み出ると、ローブから丸太のように太い腕を覗かせて鉄格子をみしりと掴んだ。
「……デトリュイールッ」
(……っ!)
ガイの手の動きに合わせて鉄格子がくしゃりと砕け散り、一瞬で人ひとり通れるくらいの穴ができてしまった。鉄格子にかけられていた保護魔術もボロボロになり、もう効果を発揮していないのは一目瞭然だ。――しかし、ガイが手招きしてもラークは独房から出てこなかった。
「…………誰の指示だ?」
無表情なまま男と対峙し、ラークが硬い声で確かめるように問うた。
「……聞いてどうする? こんなところに残りたいのか?」
「…………」
「お前に選択肢などない」
突き放すように男がそう口にしても、ラークは動こうとはしなかった。にらみ合う両者の間に割って入ったのは、コリンだった。
「陛下だよ。――意欲的なのは、クラージュ殿下だったけどね」
「コリンッ! 余計なことを言うなっ」
「ええ~、一刻も早くって言ったのはガイじゃん? ここで潰してる時間なんて無いと思ったから言ったのに……」
「っ! だからといって――」
ガイがコリンのフードを被った頭を、げんこつでゴンと殴った。
「もうっ、とにかくここを早く出ましょう! ラークッ、そんなところに突っ立っていないで早く出てきて」
細身の魔術師が声をかけると、ラークが鉄格子をくぐって監視部屋へと出てきた。奪還を命じたのがブラン王であるならば、問答無用で命を狙われることもないだろう。戦前に交わした“シエラと家族を保護する”という約束を先に破ったのは王の方だ。そう考えたラークは精鋭達について監視部屋を出ていこうとした。
(……だっ、ダメッ!)
それまで壁に張り付いたまま息を潜めていたリタは、ラークが逃げ出そうとしていることに気付いてハッと我に返った。監視として脱獄を見逃すわけにはいかない。
(……さっき書いた術式――杖があれば発動できるっ)
ブランの魔術師と戦うなんて到底リタには無理で、彼らもリタの存在など気にする価値もないとばかりにずっと無視されたままだ。それでも、助けを呼ぶくらいならかろうじて出来るかもしれない。時は一刻を争うとリタがテーブルの上の紙に手を伸ばすと、それを見透かしていたように細身の魔術師がくるりと振り返った。
「……余計なことはしない方が、身のためよ?」
「……っ」
高い声で忠告され、鷹に射すくめられたネズミのようにリタは身動きが取れなくなってしまった。細身の魔術師はテーブルへとつかつかと近づくと、術式の紙を一瞥するや否やビリビリに破り捨ててしまった。頼みの綱を消されて呆然とするリタを、彼女はあごに手を当てて訝しげに見つめた。
(……クーリエの術式?)
目の前の少女はここまで倒してきた監視員と同じ黒い制服を着ているため、監視であることは疑いようもない。あどけない見た目には似合わない桁違いの魔力量を持っていることから、ノワールの魔術師かと思って警戒していたのだが……。
(たかが基礎魔術の発動に、術式を書こうとしていたの?)
アンバランスな状況に、ウサギのように震えている少女への不信感が募った。基礎魔術に術式を必要とするような無能な魔術師かもしれないが、捨て置くよりも不安の芽は摘んでおいた方がいい。
「ミランダ? 何をしている、行くぞ」
ガイに催促されると、細身の魔術師――ミランダはリタに向かって右手をかざした。
「ええ、今行くわ――この子を始末して」
「……っ!」
「デトリュイールッ」
流れるように口にされた、鉄格子を砕き人体をも死に至らしめる破壊の呪文。蛇のように鎌首をもたげて襲ってくる銀の光を前に、リタはただ目を見開いて死を待つことしかできなかった。――しかしそんな彼女の前に、間一髪のところで銀色に光る盾が現れた。
「――シールドマキシマッ!」
駆け寄ってきたラークがミランダから庇うようにリタを背に隠し、盾に弾かれた破壊の呪文はキラキラと霧散して消えていった。リタの視界は銀の粉を浴びて輝く白い髪でいっぱいになり、極度の緊張から解放された彼女は腰を抜かして床にへたり込んでしまった。ドクドクと脈打っている心臓が、魔術師たちの怒号で吐き出してしまいそうなほど強く跳ねた。
「どういうつもりっ!」
「庇い立てしたのか!? また裏切るつもりかっ?」
「………………」
「何とか言えっ! 何考えてやがる」
魔術師達に掴みかかられても、ラークは謝ることはおろか言い訳すらしなかった。何故リタを守ろうと魔術を使ったのか? いくら考えてもその理由がラークにも分からなかった。ただ、自分にはこの少女を傷つけることはできないし、誰かに害されそうになれば動かずにはいられないというのは確かだった。
「……この娘に、手出しはさせない」
静かな覚悟を孕んだ言葉に、精鋭達は束の間絶句していた。リタからはラークの表情は見えないが、ブランの魔術師を敵に回してまで自らを守ろうとしてくるラークの姿にリタは驚きを隠せなかった。
(……どうして、そこまで)
妹に似ているというだけで、そこまでするものなのだろうか? 家族とは、そんなにも尊く絶対的なものなのだろうか? ラークの妹への想いはどこか逸脱している部分があるのではないかとリタが違和感を抱き始めたとき、一拍おいて精鋭達が勢いを取り戻した。
「馬鹿を言わないでっ。その女、助けを呼ぼうとしていたのよ」
「我々のやり取りも聞かれている。生かしてはおけない」
「…………」
「早く帰ろうよ? ラークは帰りたくないの?」
コリンが何気なく口にした“帰る”という言葉に、ラークはピクリと肩を揺らした。帰りたくない訳がない。故郷へ帰る機会をみすみす逃してたまるか。――帰るためにリタを殺すか監獄に残るかの2択を迫られたラークは、悩んだ末に3つ目の選択肢を導き出した。
「……連れていく」
「はあっ!?」
「……この子を、ブランに連れていく」
とんでもない提案が、ラークの口から飛び出した。耳を疑ったのは、リタだけでなく精鋭も同じだったようで――。
「……連れていくって、ブランへかっ!?」
「ノワールの人間を連れていくなんて――正気?」
ガイが首を横に振り、ミランダがヒステリックに喚きたてても、ラークは引こうとはしなかった。ふっと音が途切れた瞬間、黙り込んでいたラークがすっと口を開いた。
「……連れていかないのなら、俺はここに残る」
「………………」
精鋭達がこの脱獄を準備するのにかけた時間と労力、その全てを台無しにする発言に、彼らが折れる空気が伝わってきた。例えここで、力ずくでラークに立ち向かったところで、3人がかりでも精鋭に勝ち目など無い。――受け入れがたい要求だが、呑むしかなかったのだろう。
「………………連れて来いっ」
ガイが吐き捨てるようにそう口にすると、戸口をさっと抜けて監視部屋を出て行った。その後ろをコリンが弟のようにピッタリとくっついていく。ミランダはリタとラークの正面に立ったまま、組んだ腕にギリギリと爪を立てていた。
「とっとと行きなさいっ――時間がないんだから」
ついさっき殺されかけたことも相まって、冷たい目を向けられるとリタの足はすくんで動かなくなってしまった。蹲ったままじっとしていると、ラークがリタの腕を引っ張って起こし、ミランダの前を通って戸口へと歩き出した。
(……どうしよう)
今は守ってくれているが、この先もラークが守ってくれる保証などどこにもなく、ブランに連れていかれれば殺されてしまうかもしれない。幸いテヌール収容所には、武力に長けた軍人やブランには劣るが魔術師もいる。
――痩せて骨ばった手に引かれながら、リタは希望は薄くても誰かが気づいてくれる可能性を祈るしかなかった。




