表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天恵の門  作者: 夕凪沖見
第1章 ローラン・ユイマース
9/29

第9話

  ★


 ユイマース領に来た当初、一緒に遠乗りしたいからというおじい様の要望で、私は乗馬の練習を始めた。

 よほどおじい様は嬉しかったのか、私に馬を一頭買ってくれて、はしゃいだ私はその馬にノワキと名前を付けた。

 以来ノワキと私は仲良しで過ごしてこれたと思う。何度かシソ・エルマの母さまの所に行ったり、イオとサラの荷馬車の護衛を買って出てハテルマまで往復したりしている。


 でも、この教会『預かり』領を半ば強硬に視察するという今回の任務。いずれこういう時が来るだろうと見越しての仕込みとどうしても疑ってしまう。

 孫と遠乗りに行きたいなら、普通日帰りするものだろう。

 でもおじい様はあえて野宿で数日出かけたり、遠くに馬がいる時に呼び寄せる訓練とか、馬の背に乗って遠見する訓練とかを遠乗り中に挟んでくる。

 私のまわりにいる人は、一体私を何者にしたいのかちょっと問い詰めてみたい。

 でもまあ、この視察、楽しいかと聞かれれば満更でもないのは確かなのだ。

「エラン、そろそろ休もう。ブランもノワキもちょっとしんどそう」

「んー。水場、あるかなあ?」

「大丈夫。水気あるから」

 教会『預かり』領の北西部の無人地帯をセムと一緒に探索し始めて八日位になる。

 協定締結時に見落としや補足が必要かもしれないという事で二週間の領内視察の許可をユイマース男爵側が得て、私とセムで行ってこいとなって今ここにいる。


 出発の朝、わざわざ一家総出で見送ってくれるあたり、ユイマース家は本当に良い性格をしている。きっと浮かれて地に足ついていないセムと私をからかいたのだろう。

「婚前旅行ね!」

 あのユイマース家唯一の良心と言えるような叔母様すら、こんな一言で息子をいじり倒して赤面させて遊んでいる。

 シソ・エルマに母さまがいて、よほどの用が無ければこっちに来たがらないのは幸いとしか言いようがない。

 面倒な性格をしているミケラおじさんが良識人に見えるくらいには、ここの人たちはアクが強いのだ。


 セムは三か月くらい前にこちらに帰って来て、私以上にユイマース一家にこき使われてきている。

 昔みたいに私と一緒に居たいのを全身に醸し出しつつ、悪意を感じる引きはがされ方をして、視察出発前まで遊ばれていた。

 そういう意味でこの視察旅行を言い渡された時のセムの態度は、やたらセムが二人きりを連呼したからではあるけど、私が赤面するくらいの喜びようだった

 それにしても、セムは意外と馬の扱いが上手かった。さっきみたいに水場や危険の察知能力が高く、精霊の声でも聞いているかのように振る舞うこともある。

 ちょっと開けた所があったので馬を下りる。セムは空になった水筒とバケツを持って茂みの中に躊躇なく飛び込んで行った。

 ノワキとブランを労いながら、確かにちょっと二頭ともへばっているのが見て取れる。

 木の根元に腰かけると、知らず知らずのうちに私も疲れがたまっていたのを自覚した。

「ちょっとはしゃぎすぎたかなあ……」

 セムも私も久々の二人きりだったのでやたらとテンション高かった。

 スキンシップも自然と増えて、お互いよりかかって眠る位まで接近している。

 けどどうしてこの人は一番欲しい言葉をくれないのか?何か言い出そうとして言葉にならないやきもきした態度を日に何度も見せつけられる。そのうち私が我慢できなくなって押し倒しそうで怖い。

 そんな事を考えながら、木々の間から覗く青空を眺める。

 茂みをかき分ける音がして、目の前にセムが現れた。

「あれ?ブランとノワキは?」

「さあ、仲良くその辺うろうろしてるでしょ」

 そりゃ呼べば来てくれるけどさあ……と半ばセムは呆れながら私に水筒を突き出す。

 私は短くお礼を言って勢いよく水を飲む。セムはブランたちを探してくると言って背中の方に消えた。

 ……なんで迷いなくそっち行くの?私そっちに行ったって言ってないのにさあ。

 木漏れ日のキラキラを瞼の裏に感じて、通り抜ける風を味わう。ここで寝たら王子様のキスでもあるのかとバカみたいなこと考えていたら、セムが帰って来て私に起きてとせがむ。

「ブランとノワキは?」

「それがさあ、変なんだよ。なんかふたりとも石をペロペロ舐めてさ」

「石を?」

「うん、舐めるんだ。何してんのと思って取り上げたらさ、他の石舐め始めるんだよ」

 それはあまりに異質な行動だ。というか意味が分からない。ほらこれと言って、セムはブランから取り上げたという薄いピンク色の岩石を私に差し出す。

 不思議な光沢のある石は、爪を立てるとわずかに削れる。

 ふと思い立って馬たちの真似をしようと思ってひと舐めしてみた。

「ちょ、エラン?」

 セムが吃驚して素っ頓狂な声を上げる。

 私はそのまま固まって、母さまのお父様……カミロ男爵が言っていた事、父さまが教会や王室に言っていた事が法螺じゃなくて本当だったとようやく理解できた。

「これ、岩塩だ」

「え?なに?」

「岩塩、塩だよセム。白い黄金、恵みの守り手、戦場の勝利の天使!」

「え?黄金?戦場?」

「とにかく!あぁえーと、みんなが幸せになれる、すごいものが出てきたの!」

 興奮してセムに抱きつき、すごいすごいと言い続けながらぎゅっと抱きしめてそのまま五、六回転転がる。

 海塩しかなかったこの国で岩塩が出た。塩の需要が多すぎて輸入に頼るこの国で岩塩が産出するのだ。こんな大発見そう立ち会えるものではない。

 今進んでいる領地の併合交渉が済んだ後この事実が出れば、旧カミロ領を今後より安全で豊かな土地にする事も十分に可能になる。

 そうなれば母さまだって誰に文句言われることもなく故郷に返り咲ける。

 私は次々浮かんでは楽しくなる妄想に浸りながら、これから自分の人生なんていい事ばかりじゃないだろうかと浮かれていた。

 そう、浮かれていたんだ。


 その後付近の山肌を探索して斜面を駆け上って岩塩鉱床の露頭を確認する。

 意気揚々とサンプルをカバンに詰め、帰り支度をしながら浮かれて口調も軽くなる。

「でも、ユイマースでここを開発するなら、暫く黙っていないといけないかもね……」

「うーん、それ、難しいかもしれないよ」

 セムは困ったような顔で答える。

「え?なんで?」

「なんかねえ、ずっと見ている奴らがいるんだ。大体四時間くらいの時間差でこっちを意識してついて来ている」

「え?誰が?」

 セムは妙に確信をもって問いに答えてくれた。

「そりゃあ、教会でしょ」


  ★


 領都に戻っておじい様と伯父様に報告を上げ、サンプルの岩塩を見せた時、二人は驚愕しつつ、素早く皮算用を始める。

「量はどのくらいありそうだった?」

「表面に見えているのはそんなに無かったから……専門家を連れてきて確認しないと何とも……」

「そうか。でもこれで併合後の領地経営のめどが立つ。この事は当分内密に……」

「あー父上、多分無理です」

「え?なんで?」

 セムが申し訳なさそうに伯父様の独り言を遮る。

「いえね、考えれば当たり前の話なんですが、ずっと監視されてまして、私たち」

「あー……まあ、そうか……そりゃそうだな」

「岩塩を探っているのを目撃でもされたか?」

 おじい様も思案顔でセムに尋ねる。

「いえ、それはないと思いますが、突然何もない所にとどまって周辺を探った形跡があれば、怪しいと思うのが普通かと」

「そうか、しばらく時間は稼げても早晩バレるな。これは……荒れるなあ……」

「国王の裁可も頂いて、もう少しで調印でしたのに……」

 伯父様も頭を抱える。

「というわけでエラン、当分単独行動は禁止だ。息苦しいだろうが護衛もつける。フーシェ会長にも手紙を出して、エレナにも手厚く護衛を付けるように伝えてくれ」

「えぇ……そこまでしてきますか?」

「岩塩の埋蔵量にもよるが、大きな金が動くのは間違いない。そういう時はな、人なんて簡単に豹変する。教会『預かり』領でとんでもない額の持ち出しをしているからね、必ず元手を取り返しに来るよ」

 ラサ教区長がいればそこまでしてこないのではと思ったけど、おじい様は聖地のお偉方が出張ってくる事態になると予想しているようだ。


 果たして一カ月も経過するとおじい様の言った通りになった。

 国は早々に教会『預かり』領を返還しろと迫り、教会は教皇の同意がないことを盾に応じない。同意がなされるまでの間、私は六回、母さまは二回ほど暴漢に襲われた。

 ラサ教区長様が周りの目を盗んで襲撃計画を漏らしてくれなければ、危なかった時もある。


 鉱床の発見から半年後、埋蔵量を国と教会の代表者を立てて調べ、『少なくとも』今後三十年分の国内需要を賄える規模と報告が上がる。

 関係者の鼻息はそれでさらに荒くなるが、教会は領内に人の出入りを制限して自分たちでどうにかしようとする。しかし国は周辺すべての道路を封鎖してしまい、開発資材の搬入を許さない。周辺領主も生活必需品以外の流通に高額の通行料を課して対抗する。


 全員が利権の独占をあきらめて意地の張り合いをやめるまで一年を無駄にした。


 なんて無意味な争いだろうと呆れたけれど、おじい様曰く人なんてこんなものだそうだ。むしろこじれる前に話し合いになって驚いているとの事。

 なんか事態がこじれて周辺領主に動員令がかかる事も想定していたらしい。いやさすがにそこまでは……あるのかなあ?


 なんにせよまた多忙な日々が始まるのは間違いない。

 国を大きく変える協定書を二十歳前に二回も作る男爵領の書記官なんて、多分私くらいだろうなと思って、ふっと変な笑いが出た――――


  ★


 その後一年で年間の生産量が決められ、税額が定められた。徴収する税のうち、今後三十年間教会に四割が支払われ、負債の補填措置が図られた。教会も結構ぶっちゃけて要求したらしい。

 また王家に一割、国庫に三割が納められ、残りの二割と三十年後以降の税金はユイマース領の取り分となった。

 莫大な税金が入ってくることになるが、旧カミロ領の開発や岩塩鉱山の経営、輸送ルートの確保と整備を思うとこちらもとんでもない額の投資が必要となる。

 なお、教会の公認となる『奇跡の塩』として教会の紋章入りの販売が許され、教会の権威付という品質の保証もなされた。

 勿論ここにも裏があり、公認の証紙と焼き印は、受け取りの際『浄財の寄付』が行われる事となっている。

 ユイマース領付きの書記官として、私も教会や国のお偉方と共に調整や協定の起草などで忙しく働いた。

 一生会う事なんてないと思っていた国や教会の上層部の人にも顔を覚えられ、可愛がってもらった。


 さらに一年後、今日からユイマース領カミロ地区となる中心地の修道院で、国王陛下と教皇様が同じテーブルにつき、真っ白になっている伯父様を交えて協定書が交わされる。

「あなたが聖人ローラン・ユイマースの娘御か」

「は、はいっ!」

 協定調印後、伯父様の後ろに控えていた私に教皇様が声を掛けてくる。

「そういえば『ユイマースの男装の麗人』がそうであったな。立派な姪御を持ったなユイマース子爵」

「お、畏れ入ります」

 国王陛下まで……仕事が終わってホッとしていた所に再び凄まじいプレッシャーが襲う。

 怖くて下げた頭が上げられない。あと、陛下まだ伯父様は子爵になるって発表はしていませんと言いそうになって、思い留まる。多分わざとだからだ。

 その後にこやかに別室を用意しているから母さまと来てくれと言われ、断れる訳もなくガチガチに緊張して案内された部屋に向かった。


 そこにいたのは教皇様と国王陛下。向かいに私と母さま。

 唯一の救いは母さまが落ち着き払っている事。さすがだなあと思っていたけど、ティーカップを持つ手が震えて水面が細かく波打っていた。違うこれ緊張して絶句してるだけだ。

「まあそう緊張しないでくれ、『天恵の門』の恩寵に触れたそなた達に、聖人ローラン・ユイマースの話を聞いてみたいと思っただけなのだ」

「天恵の門と認められ聖人認定された時も、恐らく願いの成就は半ばと報告を受けていてね、私もいい機会だからあなたたちに会ってみたかった」

 お二方からそういわれ、わずかに緊張が解れる。けど父さまが『聖人』というのはどうにも言葉の座りが悪い。

 とはいえ、それから母さまと私でお二方の質問に答える形で父さまの事を話した。

 そして母さまの汚名をきれいに返上するとき、父さまの願いが叶うだろうことも。

「それはまあ、教皇猊下と私がこの地に来て協定を結んだことで、恐らく果たされたであろう。まあ念のため、猊下とエレナ・ユイマース夫人も同席して貰い、天恵の門の奇跡がここに成されたと宣言する事としよう」

 あ、母さまが絶句している。助けを求めるように私を見るので、お二方に私も同席させてほしいと願い、快く了承いただいた。

 その後修道院の玄関前に関係者や住人たちを集め、国王陛下より天恵の門の奇跡がなされ、エレナ・ユイマース夫人の名誉は全て回復されたと教皇様のお墨付きで発表された。

 国と教会の一番偉い人が、かわいそうなくらい固まっている母さまを挟んで宣言したことに異議を唱える人なんて一人もいない。

 これで災害の事で逆恨みをしてくる人は少なくとも表面上は居なくなるだろう。もっとも二十年前の出来事を記憶してこの場にいる人じたい、もう一握りだ。

 加えて父さまがこの地にもたらした恩寵とやらで繫栄が約束されたという話までお二方がされる。住人達にはこちらの話の方が重要だろう。実際色めき立った顔をした人が何人もいた。

 それでまあ、大変お褒め頂いた夫婦の娘たる私は恐縮の至りですが、その、もう既にだいぶ大事になっていますけど、もうその辺でやめて頂けると、とてもありがたいですが……


 その後もなぜか国王陛下や教皇様からたまにお手紙を貰うようになり、お二方の引退時には臨席の栄誉まで頂く事となる。

 人脈という事だけ見れば、私は十八歳という年齢ではあり得ない人たちと繋がってしまった。けど未だに何故気に入られたのか判らない。まあ、珍獣扱いとは思うけど……


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ