第7話
☆
ハテルマの町はなんか全部『できたて』って感じでわくわくした。
教会もぴかぴかだった。聖堂も教場も中に入るたびに木のいい匂いがするのがなんか嬉しい。
そして何より父さまと毎日会える。もう会えないのかなと思っていたから、こんなに嬉しいことはない。
たまに父さまと司祭様を言い間違えるけど、『一人で勉強するためにハテルマに来たフーシェ商会関係者の子供』という事になっているから、親元離れてつい間違えてしまうそそっかしい子って多分思われてる。
勉強は、とても楽しい。父さまの教え方はすごくよく分かるし、ちゃんと出来たら頭撫でてくれるのが良い。褒めてもらいたくて頑張るからいっぱい撫でられるし。
それに死ぬ前の父さまはあまり家にいなかったから、いっぱいお話しできる今はとても幸せだ。
毎日が楽しい事ばかりで、一年なんてあっという間に過ぎた。
一年もすると学校で仲良くなった同い年のサラとイオと私は、司祭様から三人組と呼ばれるようになった。学校では教えてもらうだけじゃなく、小さい子たちの読み書きを教える手伝いもしている。
「エランは司祭様大好きだね」
「うん!」
「なんか時々親子みたいに見えるぞ?」
「だったらいいねー!」
今日も小さい子向けの教材を作るのに三人で居残りしてて、私と父さまがしょっちゅうじゃれているのをまた揶揄われていた。
二人にそう言われると、実は本当に親子だとバレたんじゃないかと一瞬思ってドキッとする。
父さまは記憶よりずっと若くて朗らかで、町の人たちも慕って集まってくる。
でもどこかで母さまの事をずっと思っているのが見てたらわかった。
それがちょっとかわいそうで、ついついまだ生きてるって言いたくなりそうになる。
先月は母さまがミケラおじさんに連れられてハテルマにこっそり来ていた。
夜になって町の中央広場で酔っ払い同士がいつものように喧嘩を始め、これまたいつものように父さまが喧嘩の仲裁に呼び出されていた。
喧嘩中の酔っぱらいの片方はミケラおじさんとこの従業員で、おじさんからは『ちょっと盛り上げてこい』と命令されていた。
だからと思うけど喧嘩も結構派手におっぱじめて、ひょいひょいパンチや蹴りを交わしつつ酔っ払いを制圧する父さまを、母さまと商会の二階からキャーキャー言いながら応援して楽しんだ。
二、三発パンチをもらった父さまは酔っ払いを並べて座らせるとその場で説教を始め、これもいつもの事って母さまに説明したら、父さまらしいねって言いながらけらけら笑う。
久しぶりに大笑いする母さま見れて私も満足していたけど、そのうち母さまは窓辺にぐっと身を寄せ、食い入るように父さまの姿を目で追い始める。
父さまの愛称を何度も口にして、両目からぽろぽろ涙があふれていた。
ミケラおじさんは私の背中をポンと叩き、一緒に外へ出ようと顎をしゃくる。
そうだね、直接会えないなら、父さまの近くに居られるのは、こんな風じゃないとできないものね……
そういえば小さいころ、父さまと母さまが二人きりになろうとするのを、取られた気分になってよく邪魔しに行っていたのを思い出した。
今思えば申し訳ないことしたなあと思ったので、明日母さまに謝っておこうと思う――――
☆
セムがやってきたのは母さまがハテルマに来た二か月後だった。
父さまの弟の子供だから従兄弟になる……のかな?従兄弟だってセムには言えないけど。
年齢は一つ下で、読み書きは私と同じくらいもうできる。学校には計算の勉強と、将来ユイマース領と商売すること増えるから、ここでジンミャクというのを築くために来たらしい。
ジンミャクって何?って聞いたら、よく分かっていなかった。そういうことならと司祭様に聞いてみいたら、難しいこと考えずに友達作って仲良くすればそれでいいそうだ。
そんなの仕事じゃなくて遊びだよと私が笑ったら、セムはムキになってそんな事無いと怒る。
父さまによると、友達を作るのが苦手な子もいるらしい。知らなかった。
セムも遠くからハテルマに来ているので、何だか似てるなあと思って気になったから、最初は寂しくないようにと思ってできるだけ一緒に居た。
そうするとセムはやたらと一緒に居たがるようになった。
なんだか必死についてくるセムが可愛くて、ちょっと一緒に居すぎかなあと思ったけど別に悪い気はしなかった。さすがにトイレに一緒に行こうとした時は怒ったけど……
サラとイオは秋の収穫期になると実家の手伝いで荷馬車の隊商に加わる事になった。ユイマース領やその奥の教会領に行く事になるらしい。
二人は前から仲良かったし、多分あのまま結婚するだろう。一緒に店持つとか言ってたし。
学校はセムが入って三人組が四人組になったけど、今は二人組になった。
時々セムがはにかみながらないか言いたそうにしていたり、時折大人の真似してエスコートみたいなことをしてくれる。
なんでそんな事をしてくれるのか、薄々どういうことなのか判っている。ユイマースが良い所だとやたらアピールしてくるし。
時々父さまがセムとのやり取りを温かい目で見てくれている。それは嬉しいんだけど、遠慮とか見ないふりとかしないでニコニコしているので、こっちが照れてしまう。
相変わらず面白おかしく時は過ぎる。気が付けばもうすぐハテルマに来て二年になろうとしていた。
ああ、もうすぐだな、と、ここ最近空を見上げてそんな言葉ばかりが浮かぶ。
来年からはユラにも授業を手伝ってもらおう。
イオの手書き文字は相変わらず不評だから、几帳面なセムに書き直してもらおう。
高等数学と法律は父さまの課題クリアして何とか教えてもらい始めた。全部は無理でも、何をどうしたらいいかをせめて聞ければと思う。
母さまを連れてきて私たち家族ですって言ったら、ここにずっといてくれるかな?
手を繋いでいたら、一緒に父さまと十四年前に飛べるだろうか?
お願いすれば、父さまは私を抱っこしてくれるかな?
お別れが近いと思うと泣いてしまいそうになる。でも、泣くな私と必死で言い聞かせて私は日々を懸命に生きる。
ほんのひと時、一瞬たりとも父さまと一緒に居る時間を無駄にしたくなかった。
でも、『天恵の門』は現れてしまった。
何事かと騒ぐ街の人が集まる中、私は司祭館に駆け込んで父さまの手を引いて門前に辿り着く。
門柱に出てきた変な水色の幕のようなもの、度胸試しで誰かが道からこっちに飛び込んでくる。でも何も起こらなくて、その人は何かの仕掛かと不思議そうに父さまに聞く。
「いえ、私にも何が何だか……」
なにかきっとぐるぐる考えているのだろう。私はぐっと涙をこらえ、これはお祝いなんだと必死に自分に言い聞かせて父さまに訊く。
「司祭様、これが『天恵の門』ですか?」
問われてそうかもとようやく父さまは思ったみたいだ。
ふざけた振りをして水色の幕に突進して通り抜ける。もう、近くにいて泣き顔を誤魔化せないと思ったのだ。
セムも真似してこっちに走って来るのを見て、こっち来るなと必死で願う。ばれて疑われたら元も子もない。だから来るな……
集まった野次馬も害はないと思ったらしく、水色の幕境目にを行ったり来たりして不思議そうにしている。
「司祭さまも試してみましょうよー!」
門柱の向こうにいる父さまに、楽しそうに見えますようにと願いながら、笑みを浮かべて手を振った。
ああ、父さまがこちらに向かってきてしまう。
最後にその姿を目に焼き付けたいと思うけど、視界が滲む。
「いってらっしゃい……」
私が言った言葉に不思議そうな表情を父さまは浮かべ、そのまま水色の幕と一緒に姿を消した。
★
父さまが消えたその後、私は一日中泣き止む事が出来なかった。
周りの人はきっと仲の良かった司祭様がいなくなったからと思っているのだろう。でも違うのだ。私にとっては、父さまが二度も死んでしまったからなのだ。
特に今回は楽しくて幸せな時間が長すぎて、父さまが消えたのは本当につらかった。
前の時は母さまがてんでダメだったけれど、今回は私がふさぎ込んで暫く何も手につかなくなった。
母さまには、すごい迷惑かけてしまった。
「父さまがね、母さまが死んだって聞かされた時、一年くらい何もできなくなったことがあったんですって。親子ってそういう所も似るのね」
母さまはそういって笑ってくれた。結構最近母さまもそんな感じだったから、家族みんな一緒じゃないかと思ったけど。
母さまはハテルマの町に暫く一緒に居てくれて、無気力に何もできないでいる間も愚痴も後悔もいっぱい聞いてくれた。
教会の奇跡認定局とかいう人たちが来た時も、母さまが一番に話を聞いてくれたり答えてくれたりした。
色々言いたい事もあるからとやって来たミケラおじさんと母さまは、父さまが十四年前に戻って母さまを助けてくれた事とか、全部話したらしい。
ミケラおじさんも父さまから聞いた話をして、なんか色々ツジツマが合ったとかいうので『天恵の門』が開かれ、父さまの願いが聞き入れられたと認定されたそうだ。
ついでに私もユイマース男爵家の血縁と認められ、カミロ男爵家の遺児という事にもなった。それで父さまが帰って来るなら嬉しいけど、そんな奇跡はそれこそ起こらない。だから私には関係ない事、どうでもいい事と思っていた。
教会にはラサ教区長という人がやって来た。次の人が決まるまでの臨時の司祭になるらしい。
学校で自己紹介をすると、すごく優しい手つきで頭をなでなでされる。
「ローラン・ユイマース司祭と、本当によく似ている……」
何というか、撫でられて気持ちよさそうにしている猫の気分が良く分かる感じだった。そしてラサ教区長さんは、教会に来たばかりの頃の父さまを知っている人だった。
授業の合間や、個人的にお願いした法学や高等数学の個人授業の合間に、昔の父さまの話をたくさん聞いた。ラサ教区長さんは父さまが本当に気に入っていたんだと思う。父さまとの何でもない、他愛もない話が、まるで母さまと話している時みたいに暖かかった。
そろそろ母さまとミケラおじさんがシソ・エルマに帰る話をし始めた頃、ミケラおじさんから父さまの昔話がいっぱい聞けるぞという殺し文句で誘われて、夜に母さまと連れ立って司祭館に向かった。
そこにいたのはミケラおじさんとラサ教区長さん、そして良く知らないしゃきっとしたおじいさん。
「お義父様……ご無沙汰しています」
「久しぶりだねエレナ。ローランを見送ってくれてありがとう」
母さまと懐かしそうな話をするのはユイマース前男爵。
父さまのお父様。私のおじい様だった。お母さまから私が誰か紹介してもらうと、おじい様は私を息苦しい位強く抱きしめて、生きていてくれて嬉しいと何度も言った。
特に死にかけた覚えはないので意味がよく分からなかったけれど、おじい様がいる事は嬉しい。こんど遊び行きますねと言うと、とっておきの場所に案内してくれる事も約束してくれた。
さて、私が目的を良く分かっていない話し合いが始まる……
冒頭に、母さまからお父さまの今まで聞いた事無い話がいっぱい出てくるけど大丈夫かと聞かれた。もちろんここまで来て嫌なんて言わない。
そして私は、集まった人たちはなにか似た雰囲気なのに気が付いた。
ラサ教区長さんも、ミケラおじさんも、お母さまもおじい様も、皆何かをやっている途中でお父様がいなくなったという関係者だった。もちろん私もだけど。
だから、お父様を懐かしむ素敵なお話も聞けたけど、半分以上は『大きな事を起こしておいて、途中で全部人に丸投げして消えたとんでもない似非聖人』という愚痴で埋め尽くされていた。
母さまはそんな中で擁護しよと頑張っていたけど、ただの贔屓だの騙されているだけだのとからかい半分に言い包められ、少し涙目になっていじけていた。
途中で興に乗ったのかラサ教区長さんが献上もののワインや蒸留酒をテーブルに並べだし、お母さままで参加して気勢を上げ始める。
私もこっそりお酒がどんなものか試してみたけど、まだ私は子供だなあってしんみり思った。
子供の私には良く分かっていなかったけど、この日集まっていたのは、国の中でも結構重要人物ばかりだった。
教会きってのやり手と言われ、教会中央にも絶大な影響力を持つ田舎好きのラサ教区長。
国内最大のフーシェ商会を永年束ね、下手な貴族より余程力を持つミケラおじさん。
どこにでもいる地方の小領主が、ユイマースの奇跡と称される繁栄の基礎を作り、大災害にも屈しない領地を築き上げたおじい様。
そして『カミロの吸血鬼』とも『教会の教導者』とも言われ、未だ賛否が度々議論されることもあるエレナ・カミロ男爵令嬢。つまり私の母さま――――
数年後、語り合っていた面々の経歴を見るに、何なんだこの面子はとあきれ果てるような重鎮揃いだった。
有難い事にこの方々が、これから先の旧カミロ領を大いに助けてくれることになる。
そして恐れ多くも気安く話し掛けて気楽に用を頼んでいた私が、皆様方の実力を思い知って、一生水飲み鳥のように頭を下げ続けることになる面々でもある。