第6話
☆
父さまが死んでいたのを見つけたのは私だ。
母さまに寝坊助さんを起こしてきてと言われて駆け込んだ寝室で、父さまは本当に眠るような死に顔だったのをよく覚えている。
父さまが死んじゃったと思った。何故か意外と冷静で、悲しくはあったけれどそれより母さまが大変な事になるんじゃないかという心配の方が大きかった。
冷たくなった父さまと向き合った母さまは、優しく声をかけて起こそうと一時間くらい頑張り、起きてこないと理解するとそのままベッドに臥せって昼過ぎまで泣き続ける。
私は二人の後ろに椅子を引いて来て座ると、父さまと母さまって綺麗だなってなんか思いつつじっと眺めていた。
様子がおかしいと近所の人が見に来たのは昼過ぎで、ベッドで動かない二人と椅子に座ったまま眠っていた私を見つけてくれた。
……一家全員死んでいるかと勘違いされて大騒ぎになったけど。
家の中を色んな人が出入りしてごった返す中、ミケラおじさんはその日の夜にやって来た。
父さまを見る瞳はとても悲しそうで、いつもは私を見つけるとすぐ叱り飛ばすのに、今日はひどく優しい。母さまにも、背中をさすりながら優しい言葉を掛けてくれた。
母さまのまわりには近所の人や父さまの仕事の仲間がたくさんいて、あんまし広くないうちの中は人でいっぱいになる。
明日はお葬式になるらしい。ミケラおじさんは貸衣装屋さんを連れてきて私と母さまのお葬式で着る服を用意してくれた。
誰かがあったかいご飯を持ってきてくれて、朝から何も食べてなかったのを思い出してがっついた。
食べ終わると眠くなってしまい、父さまの所に行って冷たくなった手を握りながら眠りに落ちた。
たまに教会で黒い服の人たちがたくさん集まっていて、泣いてる人もたくさんいるのを不思議に思って眺めていた。
今日は私がその中にやっぱり黒い服を着て立っていて、塀の向こうを隣町のメメとユトロが駆け抜けていくのを何となく眺める。
ずっと私の手を握っている母さまは昨日から寝ていないらしい。近所のおばちゃんにちゃんと母さまを見ていてあげてねと言われていた。
司祭様がなんか色々な事言ったり、儀式の何かをやっている。
時々父さまと話してた色街の警備隊の怖い顔の人たちが、みんなわんわん泣いて顔がくしゃくしゃになっている。
ミケラおじさんも目元を押さえている。隣にいるいつも同じ顔の執事さんが、今日は泣くのを我慢してるけど我慢出来てなかった。
父さまの仕事仲間って、こんなに沢山いたんだ……そんな事を思った。そして、たくさんの人が悲しむくらい、偉い人だったんだなとも思った。
墓地までみんなで移動する。
悲しい歌をみんなが歌っている。手を引いている母さまも泣きながら歌っている。
父さまの入った棺は私の前を男の人たちに担がれてゆらゆらと進む。
墓地にはもう穴が掘ってあり、先に到着した司祭様がお祈りをしていた。
教会当番のタシウが持っている香炉からは、盛大に煙を噴き出している。あれはたぶんお香を入れすぎたんだと思う。あとで司祭様に怒られる気がした。
母さまが父さまと最後のお別れをする。
何時まで経っても離れられない母さまに、ミケラおじさんが話しかけてようやく立ち上がる。
棺が穴におろさっれて土が徐々に覆い、十分もしないうちに穴はすっかり埋まって土が山盛りになった。
葬儀が終わりになって少しずつ父さまのお墓の前から人がいなくなる。
最後まで残ってくれていた執事さんも、心配そうに何かあったらすぐに来なさいと私に言うと屋敷に戻って行った。
陽が落ちて空が紫色になっても母さまは微動だにしなかったけれど、ごめんなさいだけど私がもう限界だった。
「母さま、帰ろう」
ようやく私を見てくれた母さまは、そうねと短く呟くと、手を握った私に引っ張られながら家に向かった。
「いなくなっちゃったなあ…………」
少し歩いて墓地を振り返り、母さまはそう呟くと再び歩き始めた――――
☆
その後母さまが元に戻るのに二年近くかかった。
一日中ぼうっとして家事もまともに出来なくなった母さまは、近所の人に助けられながら少しずつ元気になって行った。
その間に私はおばちゃんたちに一通りの家事を教えてもらい、時には手伝い仕事で日銭を稼ぐこともあった。
「がっこう?なんですそれ?」
たまには顔を見せろと伝言が来て、久しぶりに母さまと一緒にミケラおじさんの所に遊びに来たら、良く分からない所に行かないかと言ってきた。
「先日ハテルマの教会の献堂式があってね、教会には子供たちに勉強を教える学校を試験的に作る事になった。教える内容は文字の読み書きと計算、それから教典の勉強を予定している」
「そうなんだ」
ハテルマもここと同じ港町だったか……通りすがりの大人たちからその地名はよく耳にする。
最近開けた港で、ミケラおじさんのやっているフーシェ商会も一番最初に店を開いたと言っていたか……
「そうなんだではない。エラン、お前その学校に行ってみないかという話だ」
「はい?」
目の前の皿にあった干しぶどうをちょいちょいつまんでいたが、ミケラおじさんは、お前のことだぞと少し怒った感じで言われた。
最近ミケラおじさんは気が短くなったなあと思いながら、それからも生返事をしていたが、話の内容が私があちらに移り住んで学校に通って勉強するという話だと理解できると、逆にどうして私がという思いになった。
この町に子供は他にもたくさんいるし、多分そこはハテルマという町のための学校だと思ったのだ。
「エラン、お前何歳になった?」
「じゅ、十歳です」
十歳にもなって落ち着きもないだのといつも通り説教されるかと思っていたら、今日はちょっと違った。
「ハテルマの町は私も大きな投資をしている。だからエラン一人入学させるくらい訳はないんだよ。それに……」
何か言おうとしてミケラおじさんは言葉に詰まり、グラスの水を一気に飲み干す。
「ロロは……十年間本当に良い仕事をしてくれた。娘をよろしくとも言われていてね……その恩を少しでも返したい。そう思っているんだよ」
その言葉に母さまが静かに頭を下げると、ありがとうございますとお礼を言って言葉を続ける。
「でもフーシェ様、私たちはここで暮らせてこれただけでも、もう充分返してもらっています」
「レナ、それは仕事で得た真っ当な報酬だ。恩というのはそれとは別物だよ」
「ですが……」
母さまいいぞがんばれと心の中で応援する。まだまだ心配な母さまをここに置いて他の町に行ける訳がない。ミケラおじさんだってそれ位分かっているだろうに、何だか今日はしつこい。
「先日教会から、赴任する司祭の名前を聞いた」
「わざわざ仰るという事は、私の知る人ですか?」
「さあ……どうだったかな?」
すこしミケラおじさんが勿体ぶって、執事さんから手紙のようなものを受け取る。母さまは訝し気な顔になり、次の言葉を待つ事にしたみたいだ。
「ああそうだったそうだった。……名前はローラン・ユイマース司祭。まだ若いが教育者としても優秀で熱心な方……教会きってのやり手と名高いラサ教区長ご推薦だそうだ」
ミケラおじさんの渾身のドヤ顔に母さまが固まる。
「エラン……」
少し震える声だったけど、何だか最近にない張りのある声だなと思い、母さまに振り返る。
きっと私の気持ちを知って気合を入れて断るのだろうと思い、さすが母さまと思った直後、母さまの言葉に私は固まった。
「この話、絶対受けなさい」
「――――え?」
☆
その後母さまはさっさと私がハテルマのフーシェ商会に下宿して学校に通う段取りをミケラおじさんにお願いすると、意気揚々と一緒に家に帰ってきた。
昨日まで一人でいると父さまの遺品を触りながらメソメソしていた人と同じ人とは思えない変わり様だ。
最近ない豪勢な晩御飯を二人で食べると、母さまは洗い物を済ませてから、改めてお話ししましょうと言いながらテーブルの向こうに座る。
こういう改まった空気って苦手だ。
借りてきた猫みたいに大人しく座ると、母さまは父さまの昔の話を始めた。
十二年前、故郷が大雨と洪水で全滅したとき、婚約者だった母さまの所に父さまが助けに来てくれたこと。
本当はそこに残って生き残った人と一緒に復興しないといけないのに、父さまに説得されてシソ・エルマの町にやってきたこと。
父さまの本当の名前はローラン・ユイマースで、母さまの本当の名前はエレナ・カミロ。私の名前、エランは二人が隠した名前を合わせたもの……
大好きな父さまと母さまからもらった名前、それはとっても素敵だなと嬉しく思った。
でもそこでふと疑問に思う。
「母さま、ハテルマの学……校?の、司祭様が、父さまと同じ名前だよ?」
「……そうね……」
そして母さまは『天恵の門』の話をしてくれた。
天恵の門については、教会で司祭様が祭礼の後で子供たちに話してくれたことがある……あった気がする。
いっしょけんめいに祈る人には、神様が願い事を叶えてくれるという話は、そんな事私には起こらないだろうなあと思って真面目に聞いていなかった。
でも、二年後に天恵の門がハテルマに現れて、その門を潜って父さまは昔の時代にやってきたと母さまは言う。だから、ハテルマに来られる司祭様は、父さまと同じ人なのだと。
「でも、ハテルマに来る父さまは、エランの事も、私が生きていることも知らないの」
「父さまに教えちゃ、ダメなの?」
なんとなくダメなんだろうと思いつつ、母さまに聞いてみた。
「もし出会うことがあったら、他人のふりをしてほしいって、父さまは言ってた。そんなことしたら、父さまが母さまを助けに行けなくなるかもしれないって」
母さまはゆっくり首を振ってそう言った。ああそうか、母さまならすぐにでも会いに行きたいはずなのにそうでもなさそうなのは、そういう事か……
「でもきっと、エランは大丈夫と思うの」
「どうして?」
「ハテルマに来る父さまはエランと会った事ないでしょ?エランが自分で『娘です』って言わなければ、きっとわからないと思うの」
母さまから父さまに会いたいか聞かれ、迷うことなく私は頷く。そりゃあ、会いたいに決まっている。
父さまには絶対自分が娘だと言わないことを約束する。
そしてたまには帰ってきたり、難しければ手紙でもいいから父さまの事を聞かせてほしい事を、母さまからお願いされた。
それにしても、父さまがどこかで生きているって知ってるなら、会いに行けばこんなに落ち込むこともなかったのにと思って、母さまに聞いてみた。
まあ、母さまらしいとは思ったけど……どうも父さまが死んだあと、ショックすぎてハテルマにやってくる父さまがどこかで生きているというのを、今の今まで忘れていたらしい。
「でもミケラおじさんは知っていたんだね、父さまと新しい司祭様が同じ人って」
「え?どうしてそう思うの?」
「んーと、母さまに司祭様の名前言う時、なんか俺知ってるもんねって感じだった」
「…………確かに」
あ、これは父さま母さまに言ってなかったな。言い忘れてたとかならいいなー……母さま仲間はずれにされるとすごい拗ねるから止めてほしいんだけど……