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天恵の門  作者: 夕凪沖見
第1章 ローラン・ユイマース
5/29

第5話

  ◇


 幾度も外敵を退けたという城門をユイマース男爵のくれた通行札で通り抜け、微妙に入り組んで見通せない白壁の街路を奥へと進む。

 ロロは時折通りすがりの人に道を尋ねながら前を歩く。

 雑多な雰囲気の市場の喧騒を抜け、岬の高台に向け立ち並ぶ商会の会長たちの邸宅街を歩く。

 坂の行き詰まりのひときわ大きな門構えの邸宅が、目的地たるフーシェ商会の会長のお屋敷だそうだ。

 こんな立派な邸宅に来るならせめてその前に水浴び位したかった。

 そういえばロロは、私から言わないとそういった配慮はしてくれない性質だったと今頃思い出す。

 案の定門番からは胡散臭い目で見られ、あからさまに鼻をつまむ仕草を見せられて少し凹んだ。推薦状が無ければ間違いなく追い返されていただろう。

 屋敷の玄関からは無愛想な執事の後ろをついて歩き、やって来た応接間は、永年この地で交易の一端を担っていた旧家の権威と実力を見せつけるような内装だった。

 

 三十分ばかり待たされた後、応接間には当主のミケラ・フーシェ氏がやって来た。

 さすがと言うか、私たちの風体に眉一つ動かさず、ロロの挨拶を手で制し、握手を求めて差し出した手を見えてないかのように無視し、私たちに座るように促す。

「推薦状は拝見させて頂いた。ユイマース男爵には色々力になって頂いているからね。二人の面倒を見るくらい訳はない」

「ありがとうございます」

「だが私も商人のはしくれだ。何の理由もなくどんな役に立つかもわからない人間を飼う事はしない」

「もちろんその点は理解しています。この町で名前と身分の保証を頂き、雨露をしのげる程度のあばら家でも貸していただければ充分です。あとは二人で仕事を見つけて何とか致します」

 控えめな事を言ったはずなのに、フーシェ氏の目にはあからさまな侮蔑が浮かんだ。

「殊勝な事だな。どうやってユイマース男爵に知己を得たのかは知らんが、流民風情がばらまく法螺に感心などくれてやらんよ」

「ごもっともです。法螺かどうかまあ、追々見て頂ければ良いかと」

「そうかね。言葉の中の真は、結果で示してもらうとするよ」

「ありがとうございます」

 私の知っているロロはこういう高圧的な話をされると、露骨に嫌な顔をして苛立っていた筈だけれど、今目の前にいるロロは落ち着き払って柳に風と受け流している。

その姿は素直にかっこいいなと思ってしまった。

「それで、どうやって身を立てるというのだね?」

「そうですね……フーシェ様がお困りの事があれば、解決にご協力させて頂きます。それで法螺かどうか見定めて頂ければと……」

「使い捨てにするやもしれんぞ」

「見捨てられないよう、務めさせていただきます」

 結局私は一言も話すことなく、私たちはこじんまりした眺めの良い家と仕事、そしてロロとレナという名前を手に入れた。

 言質は取ったと思ったらしく、フーシェ氏はその後ロロを便利に使い倒すことにしたようだ。


 ロロは港の入港管理者の所に潜り込んで不正を暴いて解雇したり、街道に出没していた山賊を壊滅させたり、逃げ延びた残党を歓楽街の用心棒に再雇用したりと、色々成果を上げていった。

 そうやって認められていくうち、だんだん割りの良い仕事を任されるようになり、今は商会の集金や支払いを任されている。

 私もパメラさん仕込みのレース編みの内職や、町の酒場の店員などをして生活の足しにした。

 ロロは無理に働かなくてもいいといつも言っていたけれど、おんぶに抱っこで食べさせてもらうのは私の矜持が許せない。

 とはいえここでの暮らしも二年目になったとき、大きくなったお腹を抱えて働きに出る事が出来なくなると、ロロに懇願されて家で大人しく内職するだけにした。

 一人家で取り残されたような時間を過ごしていると、時折聞こえてきていた生まれ故郷の話をふと思い出す。


 アナン商会はカミロ男爵領を拠点としたはいいが、それまでの羽振りの良さが嘘のように勢いを失い、領内のあれこれに出費がかさんで満足にロビー活動も出来ないでいるらしい。

 ユイマース男爵からの手紙にも、自領に逃亡してきた農民からカミロ男爵領内の惨状が伝えられ、ジンガー侯爵と教会が内偵を進めているという。

 ラザロ氏は領内の実情を巧妙に隠していて、なかなか尻尾を掴ませないらしい。

 だけどカミロ男爵領で起きていることを私に心配する資格すらないのは、重々承知している。

 けれども、ああそれでも……わずかに残った領内の人々の顔は今でもよく覚えている。

 あの人たちがあとどれくらい生き残ってくれているか……それを思うと衣食住の足りた今の生活を送り、生まれてくる子供に希望を抱くわが身の幸福は、彼らの犠牲の上に立って居るからと思えてきて、後ろめたさに身が引き裂かれそうになる。

 それこそ私は『吸血鬼』ではないか……

 覚悟はしていた。けれどまるで領民の屍の上に築かれたかのような今の暮らしは、私の心に暗い影を落とし続けている


 生きて、生き延びて出来ることを為す――――


 ロロはいつもそう言ってくれていた。私の罪悪感がいつか消えることを願い、今でもそのために生きてくれている。

 日々真摯に働いて生きる。私の出来る精一杯を、挫けることなくしていかなければならない。

 ロロはそれがとても尊い、大切なことだと言う。何が出来る訳でもないと思える人生だけど、私はロロのその言葉を胸に、これからも生きていきたいと、そう思う。


  ◇


 生まれた子供は女の子だった。

 ロロに似た赤いくせっ毛と私譲りの茶色の瞳。

私たちの宝物、エラン。

 二人が失った名前を合わせたその名を体現するように、エランは活発な子供だった。活発すぎて遊び仲間の男の子を喧嘩でしょっちゅう泣かせ、大人相手にも納得できないことがあれば平気で歯向かう事すらする。

 将来を不安に思う私をロロは笑い飛ばし、気の強いエランだったけれどロロの言うことは素直に聞いている。

 そう、エランは立派なファザコン娘に成長しつつある。たまにロロといちゃついていると邪魔しに来るのは止めて欲しいけど……


 エランが四歳になるころ、ロロが昔言っていたジンガー侯爵が先頭に立ち、ハテの森を切り開いての港町づくりが始まった。

 ロロもフーシェ氏の名代としてたびたび現地に向かい、ジンガー侯爵の家臣たちとの費用負担や利権の調整に苦労していたようだ。


 そんな中、相変わらずロロは仕事合間に私の汚名を返上するために動いているようだった。

 今のこの暮らしを送れているだけで十分だと言っても、聞いてくれない。

「どうしてそこまで、ロロは私の評判をどうにかしようとしているの?」

 何がそんな頑なにさせてしまうのか、ある日不思議に思って聞いたことがある。

「願いだったんだよ。神に祈り、その願いは叶えられた。『天恵の門』を潜り、私はレナを救うための機会を得た。けれど機会を得ただけで、神に委ねて叶えられるものではなかった……」

 私を膝抱きにして時折胸元に顔を埋めながら、ぽつぽつとロロは語る。

 授かった奇跡は十四年前にやってくることだけ。それとこの時代にやってくるまでに積み上げた経験と、これから起こる十四年分の記憶……それらが恩寵と言えばそうだろうとのことだ。

 あとはすべて自分の力でどうにかしなければならなかった。

 アナン商会に潜り込んだのも、そこから私を連れだしたのも、ユイマース男爵を頼ってフーシェ商会との渡りをつけたのも……取れる手段を総動員して、ここまでやってきたという。

 そして塗炭の苦しみに沈むカミロ男爵領の人々を救うことが、私にとって一番の救済となる事を、ロロは疑ってもいないようだ。

 確かにその通りだ。どれだけ幸せに笑う事が出来るようになっても、心の奥底から故郷の山河や、そこで暮らす人々の姿を消し去ることはできなかった。

「門を潜った人々に、神はそれ以上手を引いてくれない。与えられた機会をどうするかは私たちに委ねられる。願いを叶える事も、人によっては悪用する事も出来る奇跡だと思う」

 例えばロロのような奇跡の顕現で言えば、十四年分の記憶を使ってあくどく儲けたり誰かを陥れる事だって可能なのだという。確かに未来を知っているならばそうだろう。

「教会で『天恵の門』がどういうものか教えられたことではあったけど、自分が体験するとその大変さが身に染みるよ。実に誘惑が多い」

 苦笑いを浮かべてそう話してくれたロロ。

 国と教会を動かし、アナン商会を追い出して教会預かりの領地としてしまい、苦しいながらも少しずつ生活の再建がなされている。もうそれだけで十分なのだけれど、ロロはそれに納得しない。

「すべてを失ったあの時、それでも自分を犠牲にして領民を守ろうとした人の願いが、人々の怨嗟に塗り潰されて顧みられないこの現実こそ、私は受け入れない」

 愛されているのはよく判る。

 私が死んだと諦めてからも、十二年間も祈っていた人だもの。


 でもそろそろロロは自分の事に時間を使ったほうがいいと思い、家にいるときは幾度となくそう提案した。

 エランとももっと遊んでやって欲しいし、三人でゆっくり出かけたりもしたい。そんなに仕事を詰め込まず、もう少し休んでもいいと思う。

 つつましく暮らせば、エランを嫁に出した後でも二人で生きていける蓄えはもう手にしていた。

 子供が大きくなるのなんてあっという間だ。エランが日々成長していく様を、ロロにも見守って欲しい……

 けれどそんな風に夫婦でやり取りしながら当たり前に過ごす日々が、いきなり失われることがあるのを私はすっかり忘れていた。


――――エランが八歳になった一週間後、久々に家に帰ってきたロロは、少し疲れたと言ってベッドに潜り込み、そのまま目を覚ますことがなかった。

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