戦いの賛歌
戦いに勝ったのは僕の方だった。完全なる粘り勝ち、使わなかったものは何もない。数千万に上る数の敵を殺し、死骸から落ちたものを糧にまた次の敵地へと向かった。僕はとっくに飛翔し疲れながらも単身で行く雀蜂。今はただくたびれた羽を休め、束の間の栄光と、その直後に訪れた静寂過ぎる静寂と、その板挟みに目を回しながら、一杯の水を飲んで普段のイスにもたれている。しばらくの間忘れていた平和のときを過ごしていた。
戦いには不向きな時代だった。闘争心がない、あるいはあっても隠さなければいけない。社会人であり続けることの方が生きるためにはよっぽど重要なことだった。しかしあるものはあるのだ。無視してはいけない。無視できるはずがない。戦いとは、どちらか一方が戦いだと思えば簡単に生まれてしまう。そうだ、合意など必要ない。相手がこっちの意思に気が付いてなくても関係がない。そのまま一人で戦えばいい。ときには開きすぎた差の前に、自分の渾身の一撃が軽くあしらわれ負けたって構わない。それが何回連続で続こうと構わない。挑み続け、一度でも勝てればそれが勝利だ。勝って目的は果たした。自分は依然よりも大きく、強くなれただろうか。それは次の勝負になるまでは分からない。戦いは生きている限りの特権だと思え。
軍国主義に帰ろう。言った僕の口は、家に帰ろうと同じ温度感だ。イデオロギーなんかない。ないが僕たちは知識として、あらゆる思想を頭に留めている。「スポンジがバケツの水をすくうように」。アメリカの繊細な詩人が言った。ソイツは引きこもりだからその声は、木造建築の壁を経由して聞こえた。くぐもって不思議とエロティック。エレクトリック混乱主義者のオレは? 防犯灯の上に腹這いになっていた。生卵なみにぐでーんと。ここなら悪さをしてもバレないと思ったのさ。ところがだ。紫煙の濃い夜。空から無数のサーチライトに照らされ、その中の一台のヘリコプターに僕は連れ去られてしまった。抵抗はするが相手は武装した男が数人。抑え込まれれば身動きなどとれるはずもない。徴兵だ。前線に駆り出されるんだ。そのまま僕は注射をうたれ、しばらく睡魔に引きずり込まれていた。目が覚めたころには僕は勝利を手にしていた。状況が飲み込めず目を回していた。隣に座り込んだ奴が、明日にはもう帰れると言ってほっとしていた。それを聞いて僕もほっとしていた。目の前には、国を丸ごと滅ぼした惨状を焼き付けている。明日には帰れると思うと、嘘みたいだったが近くに降りたヘリの轟音はマジだった。