第1話 「チキンライスはレンチンした冷ご飯だと美味しくできる」
冬目伊香の日記
〈4月20日(土)〉
最初に言っておこう。
私は、男である。
伊香という名前が女らしいからよく間違われるのだ。
伊賀香る酒。
代々、継いできた実家の酒屋で使われている、キャッチフレーズだ。
それをそのまま、使ったのだ。
家の両親が、私に家を継ぐことを期待していたことが伺える。
しかし、人生とは思い通りにいかないものだ。
私は、そうそうに家を継ぐことを諦めた。
なぜなら酒が飲めないのだ。
匂いをかぐだけで、胃がからっぽになる。
そんな私は家を出て、在宅ワークをしている。
好きな時に仕事ができるのは最高だ。
収入は少ないが、十分、暮らしていける。
もともと欲、とういものがないのだ。
そして今年、24歳。
現在は、都会とも田舎ともいえない場所で悠々自適に暮らしている。
平凡な生活。
それは今日で終わりを告げる。
なぜなら、私の体に異変が起こったからだ。
気づいたのは、昼過ぎに起きたときだ。
私は、寝起き一番にスマホを触る。
特に連絡をくれる相手はいないが、
なんとはなしに毎朝やっている行為だ。
スマホを見ようとすると、そこにあるはずのものがない。
自分の手だ。
感情がさざ波のようだと言われる私でも、この時はさすがに驚いた。
思わず、スマホを投げてしまう。
自分の両手を顔にかざす。
かざしているはずなのに両手は見えない。
布団から跳ね起き、洗面所の小さい鏡を覗く。
そこには、白いTシャツだけがうつっていた。
襟や袖元がせわしなく揺れているだけだ。
私の顔はどこいった?
私は、シャツを脱ぐ。
鏡には何もうつらなくなった。
ここで一般的な人間であれば、どう行動するだろうか。
誰かに助けを求めて電話をかけるだろうか?
一生戻らないかもしれないと嘆き悲しむ?
夢だと思い、寝床に戻り二度寝する?
私は、こうだった。
「オレ、透明人間になったんだ」
ご名答。
さすが、さざ波。
私が、透明人間化をすんなり受け入れられたのは、日ごろの空想癖のおかげだろう。
よく子どもが考えることを大人になった今でも考える。
もし空が飛べたら、
もし学校に強盗が侵入したら、
もし過去にタイムスリップ出来たら、等々。
もし透明人間になれたら、は、すでにシミュレーション済みだ。
はじめは、いささか驚いたがもう心は落ち着いた。
そしたら次は、何をするか。
もうお昼を過ぎている。
当然、腹ごしらえだ。
私は、よく自炊をする
安上がりですむこともそうなのだが。
一番は日々に彩を加えるためだ。
在宅ワークをしていると一日中家にいることが多い。
その代り映えのしない毎日を送っていると、人生が薄っぺらいものに見えてきてしまった。
これはいけないと思い、何か新しいことを始めようという結論に至る。
そこで選ばれたのが料理だった。
調理道具や調味料がそろってくると結構、楽しいものだ。
ネットのレシピを見て、作る。
素人でも、普通に美味しくできるからすごい。
今日のお昼は、チキンライスと決めていた。
鶏肉と玉ねぎ、ピーマンを同じくらいにカットする。
鶏肉は先にバターで焼いて、カリッとさせるのがポイントだ。
ちなみに言っておくと、まだ透明のままだ。
冷蔵庫から取り出したご飯をレンジで温めているとき。
ふと、あることを思いつき、台所を離れる。
居間から戻ってきた私は、台所から数メートル離れたところに三脚を置き、そこにスマホをセットする。
そして、身に着けていたTシャツとズボンを脱ぎ、裸になる。
私はそこに存在しなくなる。
服をとっちらかしたまま、私はスマホのムービーを起動させ、料理に戻る。
スマホには、ひとりでに動く包丁が見え、具材が風にさらわれるように、フライパンの中に飛び込む様子が写っているだろう。
面白い映像がとれた。
トリックの使わないトリックムービーだ。
動画サイトに上げたら、話題になるだろう。
ご飯をいれ、ケチャップやウスターソースなどを入れて混ぜれば、完成だ。
台所に折り畳み式の机を持ってきて、そこで食べる。
目の前には、スマホがある。
撮影、続行中だ。
スプーンですくい、食べる。
うむ、上手い。
ほのかに甘く、肉がゴロゴロ入っているから、食べ応えもある。
私は、ふとひらめき、咳払いをする。
「うむ、上手い。ほのかに甘く、肉がゴロゴロ入っているから、食べ応えがあります」
よし、上手くいった。
これでひとりでに動くスプーン、存在が消えていくチキンライス、謎の声。
ホラー要素は十分だ。
うけるぞ、これは。
私は、何日かぶりの笑みを見せた。
その顔は、スマホに写ることはなかったが。
チキンライスを完食し、洗い物を済ませる。
こういうのは、食べた後に、できるだけ早くしておくのがいい。
時間を空けてしまうと、比例して、面倒くささも上がっていくのだ。
お皿を洗っているとき、また、ふと思い立つ。
自分のお腹があるはずの位置を目で見る。
何もない。
急いで手についた洗剤を洗い落とす。
タオルで拭き、スマホを手に取り、先ほどの動画を見返す。
気になったのは、チキンライスの行方だ。
もちろん私が食べてなくなったのだが。
問題は、食べた瞬間だ。
スプーンに乗っているときは確かにチキンライスはそこにあった。
では、私の口に入ったらそのチキンライスはどうなるのか。
咀嚼で粉々に嚙みつぶされたチキンライスが見えるのか。
それが液状化し、食道をながれていくのか。
だが、今の私のお腹には何も見えない。
途中で見えなくなったのは確実だ。
ことの真相を知るため、動画を再生し、食べる瞬間まで飛ばす。
ここだ。
チキンライスが乗ったスプーンは宙に舞う。
少し、奥側に傾いた。
次の瞬間、そこに乗っていたオレンジの物体は姿を消した。
「わお」
これが今日の第三声だった。
そのあと、水を飲んだところも撮影してみた。
同じ結果が出た。
どうやら私の体内に入ったものは同じく透明になるようだ。
そうか。
そうでなければ、私の便が空中に留まっているところだ。
そこで気づけた。
新たな事実を発見し、気持ちが浮足立つ。
気分のいいまま、とっとと洗い物を済ませることにした。
腹が膨れて、眠くなってきた。
膨れていることは、見えはしないが触って確認できる。
さて、これからどうするか。
仕事は明日に回してもいいだろう。
だとすれば、やることは一つだ。
透明人間になった自分を空想していたときに、行ったこと。
そう、女風呂を覗くことだ。
期待に私の股間が熱くなる。
欲はないといったが、人並みの性欲はあるのだ。
しかも女風呂とは、男が一番あこがれる聖域ではないか。
期待するなというのは、無理な相談だ。
私は、目的を遂行するために立ち上がる。
出かけるのに準備は一切不要。
服を脱ぐだけでいいのだ。
そして、もう脱いでいる。
私は、何日かぶりに小走りになり玄関に向かう。
扉を開けたところで気づく。
私が触っているものは透明にならない。
「家の鍵どうしよう?」
記念すべき、第四声だ。