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薔薇屋敷

作者: 入蔵蔵人

リハビリ。余白しかない話です。

「珍しい、“御二階”が開いている。」


 馴染みの通いの商人がそんな好奇の混じった声を漏らした。


 大きな港町にほど近い居住区の一角に、薔薇屋敷と呼ばれる館がある。海を一望できる小高い丘の上に立つ、古びながらも手入れの行き届いた美しい白亜の館だ。庭には小さいながら海の女神を象った噴水があり、門へと続く煉瓦の小道の両側には丁寧に刈り込まれた低い植木が並んでいる。


 しかしそれは怪しげな商人が買い手を探していた、前の住人が失踪したという曰くつきの館だった。

 庭には一切薔薇が無いにも関わらず薔薇屋敷と呼ばれる所以、それは、館の床と壁の狭間から溢れるように伸びる棘のない蔦薔薇のせいだ。その蔦からは、決まって淡い黄色の小ぶりな薔薇が咲いた。


 太陽に当たらずとも水をやらずとも瑞々しく花を咲かせ自然には枯れないその不思議な薔薇は、切り落としてもすぐに伸びて数日後にはまた艷やかな花を咲かせた。しかしその可憐で美しい棘のない薔薇は、薔薇にしては上品な淡い香りの裏に、ひとたび摘めば摘んだ花の数の夜だけ悪夢に苛まれるという呪いの棘を隠していた。


 不思議と薔薇の蔓はある程度伸びるとそこでぴたりと広がるのを止めるため、あまり邪魔にならない。まれに薔薇目的で館に入り込んできた商人や新人の使用人が悪夢の犠牲になるものの、そこかしこに伸びている蔓薔薇は慣れれば不思議と生活の妨げにはならなかった。


 そんな薔薇屋敷に住んでいるのは、一代で財を築いてこの館を買い取ったとある壮年の元冒険者である。英雄と呼ばれたこともある彼は一人で何でもこなせるため、屋敷の掃除や洗濯、庭師など最低限の使用人ですら通いで、夜は館に一人きりだが、元冒険者である彼にとってはたかだか薔薇が生えてくるだけの家など、普通の家屋と何ら変わりはなかった。


 そんな代わり映えのなかった館が変わり始めたのは、ここ1年ほどのことだ。


 はじめに異変に気づいたのは、館の掃除を行っている使用人だった。

 黄色い薔薇ばかりの中にぽつんとひとつ、白い薔薇の蕾を見つけたのだ。それは次の日には開花し、小さいながら見事な純白の花びらを広げた。


 それから数日して白い薔薇の花がいくつか増えたころ、館の主は一人の美しい女を“保護”して館に連れ帰ってきた。清楚な雰囲気を纏った、透き通る白い肌の長い黒髪の女だ。しかし整った顔に宝石のように収まっているだろう瞳を黒い包帯で隠した、盲目の女だった。

 使用人たちはその対応に追われ、白い薔薇が増えつつあることは話題には登るものの、すぐに過去へと流されていった。


 …………


 屋敷の二階、館の主が使っていた部屋は主の寝室を除いてすべて、美しい盲目の女のために改装された。

 女が壁伝いで歩くため、割れるような花瓶台などはすべて取り払われ、壁沿いにあるのは大きな窓と手の届かない場所の絵画、女がすぐに休めるよう柔らかなソファ、あとは自然に生えてくる棘のない純白の薔薇だけだ。女が屋敷に慣れたころには、もう黄色い薔薇はどこにも見当たらず、いつしか白に混じって赤い薔薇も咲くようになった。


 しばらくすると、女が階段から落ちないようにと館の主が階段前に白い木の柵を設置した。使用人たちはその天井まで届く高い柵を見上げて、まるで貴賓牢のようだと思ったが、賢明な彼らはその戸惑いを表情にすら出さなかった。柵の鍵は館の主だけが所持していた。


 柵の周りには、黒い薔薇が咲いた。


 そのうちに使用人たちは盲目の女を“御二階様”と呼ぶようになった。使用人は誰も彼女の名前を知らなかったし、寡黙な館の主が誰かに教えることもしなかったからだ。女の世話は全て館の主だけが行い、使用人たちが女と顔を合わせることすら稀だった。

 一番長く勤めている女の使用人が、館の主が女を連れて庭を散歩している間だけ二階に入って掃除をすることを許されていた。


 …………


 今や、屋敷の蔓薔薇は赤と白、ピンク、そして黒と様々な色の花を咲かせている。


 口性無い商人が帰ったあと、裏庭を散歩していた館の主に手を引かれ盲目の女は二階へと戻った。館の壁沿いを歩く女の足をくすぐるのは、館の隙間から自然に生えてくるという慎ましやかに香る薔薇だ。


 目が見えない女には薔薇が何色かはわからないし、そもそも彼女は見えない色になど興味もなかった。華やかすぎない香りは気に入ってはいたが、花を切れば悪夢を見る恐ろしい薔薇でもある。それに、そこまで花自体が好きというわけでもない。

 この館の生活は女にとって退屈なものであったが、目の見えない女として生きるにあたりこれ以上望むべくもないほど恵まれているのだろうとも思っていた。以前居た場所は、自由に庭に出ることができたが、人々が自分を嘲笑う声が聞こえることもあったし、入念に匂いを消された腐った食べ物を与えられることもあったので。


 館の使用人たちは、今日も黙々と仕事をこなす。仕事で外に出る時間以外ずっと二階に籠もっている館の主がどう過ごしているのかも、二階に上がってすぐにある白い柵の周りには黒い薔薇ばかりが咲き、館の主のベッドサイドには赤い薔薇と白い薔薇しか咲いてないことも、自らの与えられた仕事には関係のないことである。



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