第三話 西浦秋穂 編
昨日の私は、自分の頭を守るようにして眠りについた。あいつが泊まっていく日は、何かあることを想定して過ごさなければならないからだ。流石に眠っている間に何かされているなんてことは無かったが、あいつの行動の全てが私を不安にさせている。
お母さんは、いつまであいつと一緒にいるつもりなのだろうか……。
翌朝、またいつもの様に家事をこなして家を出る。あいつの分の家事まで、何故私がしなくてはならないのか。最初はあいつと母に命令されて仕方なくこなしていたが、いつの間にか家事を終えないと気持ちが悪くて仕方なく思うようになった。慣れというのは、本当に恐ろしいものだ。こんな生活が日常と化してしまうのだから。
学校に着いたら、いつもの席でいつもの授業を受ける。毎日毎日同じことの繰り返しで、本当につまらない。けれど、今日からは違う。今日から絵梨花に勉強を教えてもらう約束をしているからだ。
絵梨花は…私との約束を覚えてくれているだろうか。母と違って…。私は、絵梨花から声がかかるのを期待して、自分からは何も言わずに放課後を待った。教えてもらう身で図々しいことは分かっていたが、絵梨花の方から気づいて欲しかったのだ。私との約束が、絵梨花にとってどうでもいいものか否か確かめたかった。
放課後になると、先程の不安が嘘のように絵梨花が私の近くへとやってきた。
「教室はまだ騒がしいから、図書室で勉強しよう。」
「う、うん!私はどこでも。」
私は、絵梨花から声をかけてもらえた嬉しさで大きな声で返事をしてしまった。
私が突然声のトーンを上げたからだろうか、絵梨花は少し驚いていた。
「とりあえず、しばらくは一緒に課題をしようか。それで分からないところがあったら教えてくれる?まずは秋穂がどれくらい出来るのか確かめたいから。」
「あ、うん。分かった。私…本当に酷いから、多分びっくりさせちゃうかもしれないけど……。」
自分に保険をかけるように言葉を選んでいると、絵梨花は真面目な顔をした。
「勉強を教わりたいってことは、勉強に対して悩んでるってことだろうし…。気にしないよ。……秋穂は課題を忘れてくることが多いから、終わらせて帰ることから始めよう。」
「……う、うん!」
私はじんわりと心が暖かくなるのを感じた。絵梨花は、私なんかの悩みに真剣に向き合ってくれる。私の事をちゃんと考えてくれて…決してバカになんてしない。やっぱり絵梨花は、母やあいつとは違うのだ…。私は先程までの黒い霧が晴れていくのを感じた。
勉強中、ちらっと時計を見ると3時間が経過していた。私の理解が遅いのが原因ではあるのだが…絵梨花はこんな時間まで大丈夫なのだろうか。
「あの…絵梨花、時間は大丈夫?まぁ、私がバカなせいなんだけど…。」
「………。あー。うん。今日は…多分大丈夫。」
絵梨花は言葉を濁していた。
多分、大丈夫では無いのだろう。無理にでもお開きにするべきか迷ったが、もしかしたら帰りたくないのかもしれないと思った。私もそうだから……。
それから私は、時間には何も触れずに勉強を続けた。