第二話 塚田絵梨花 編
秋穂と別れた私は、重たい足取りで家に帰った。
玄関を開くと、バタバタと走ってくる足音が聞こえた。
「絵梨花ちゃん。お帰り!」
母は満面の笑顔で私の鞄を取り上げた。
「た、ただいま……。いいよ、鞄持ってくれなくて。」
「何言ってるのよ。変なものがないか確認しなきゃでしょ。」
そう言うと、母は私の鞄をリビングまで持っていき、勝手に中身を確認し始めた。
私は何も言わずにソファーに腰を降ろした。ピカピカに磨かれたリビングが、母の極端な完璧さを物語っている。
「うん。朝と一緒ね。良かったわぁ。」
母は上機嫌だった。
私は小さく息をついた。
何も変わってなくて当然だ。少しのお小遣いは貰っているが、母の気に入らないものを持っていると取り上げられるから、次第に何も買わなくなっていた。
「さ、早く晩ご飯食べちゃいなさい。早くしないとお勉強の時間が減っちゃうわ。」
「あ……。うん。」
私は、お茶を出そうと冷蔵庫に向かうと、母が既に出していた。それだけではなく、醤油や添え物なども全て食卓に並んでいた。まるで、母が選んだもの以外使ってはいけないというかのように……。
食事中も、母は私の向かいの席に座ってこちらをじっと見つめていた。チラチラと時計に目をやっているから、急かされているようで落ち着かない。ご飯は温かくて味付けも完璧なのに、ちっとも美味しいと思えなかった。
食事を終えると、母はニコニコしながら言った。
「20分ね。これだとお勉強の時間が十分取れそうだわ。」
「そうだね……。」
見張られているのが嫌で毎日慌てて食べているが、結局夕食の後も母の干渉は続いた。
「さぁ、お風呂の時間までお勉強ね。今日のノルマもしっかりこなすのよ。」
「うん…。」
母は、意気揚々とタイマーのスタートボタンを押した。 その音を合図に、私の体は勝手に勉強の姿勢をとった。嫌な筈なのに、幼い頃からの日課が体と心に染み付いてしまっている。なぜなら、母はいつもこう言うからだ。
『全部あなたの為なんだから。』
そう言われると、私は何も言い返せなくなる。そして結局、母の言う通りの1日を過ごすのだ。
家の時計が二十一時を指したタイミングで、タイマーの音が鳴った。
母は、私の進捗を確認しに来た。
「うん。丁度だったわね。本音を言うとノルマ以上に進んでいて欲しかったけれど…まぁ仕方ないわね。」
「ごめんなさい……。」
「やぁね、強制してるんじゃないのよ。あなたが公務員になるっていうから協力してあげてるだけよ。」
「私……」
「さ、早くお風呂に入ってきなさい。」
母は、私の言葉を遮るように言った。
私、公務員になりたいなんて言った事ないのに……。
そう言葉にしようとしたが、口にする前に消えてしまった。
私は諦めて、お風呂に入った。この間だけが、唯一の1人きりの時間だった。喉の奥につっかえていた息を吐き出すと、少しだけ目を閉じた。しばらく寛いでいると扉をドンドン叩く音が聞こえてきた。
「絵梨花ちゃん?もう20分よ。早く出てきて髪を乾かさないと。あぁ、もう。寝る時間が遅れちゃうじゃない。」
「ご、ごめん。すぐ出るから。」
私は反射的に立ち上がった。ここから少しでも遅れると母はいつもヒステリックに叫ぶから、私は従わざるを得ない。いつだって、母と時間に追われているのだ。
そうして、母の監視の1日が終わる。毎日毎日この繰り返しだ。
このまま母の言う事だけを聞くのだろうか。
いつか自分を見失ってしまいそうで怖かった。