第一話 塚田絵梨花 編
私は、親に愛されている。
父は弁護士で母は専業主婦。ごく普通の、少しだけ裕福な家庭だ。
普通の家庭は、子供の為に仕事や家事をして、説教をしたり、心配をしたり……。
それが当たり前の家族の形。
私の家も、多分、大まかに分けるとしたら「当たり前の家族」に当てはまるのだろう。
多分………。
そんな「当たり前の家族」に括られた子供は、必ずしも幸せだといえるのだろうか。
多分、私の場合は少し違う。
こんな「当たり前」なんて、無くなってしまえばいいのに。
これは、“家族”に希望を持てない塚田 絵梨花の物語だ。
午前七時。騒がしく部屋中に鳴り響く目覚まし時計の音で目が覚めた。
私は目覚まし時計のボタンを連打して、ゆっくりと起き上がった。
今日もあまり眠れなかった……。
昨日のダルさがまだ残ったまま、着替えを済ませてリビングへと向かった。
「おはよう絵梨花ちゃん。ほら、早く顔を洗ってご飯食べちゃいなさい。」
「うん……。」
私は母に言われるがまま顔を洗うと、朝食をとり始めた。
母は鼻歌交じりで私の前の席に着くと、1人で話し始めた。
「昨日の参考書見たわよ。この調子だったら明日には1冊終えられそうね。今日のうちにお母さん新しい参考書を買ってくるわね。何か欲しい参考書があるならそれでもいいわよ。」
「特に思いつかないかな。参考書ならもう沢山あるんだし、前の復習でもするから大丈夫だよ。」
「そう?じゃあ新しいのを買ってくるわね。」
母は上機嫌でキッチンへと戻っていった。
私は、母に聞こえない程度のため息をつくと、食器を流しに置いてから歯磨きとメイクを済ませた。
「行ってきます。」
独り言のようにお決まりの挨拶を済ませて、私は家を出た。
学校に着くと、問題集を開いて読み始める。毎朝のルーティーンを何となくこなしているだけだから、頭に入っているとは言い難い。
開いた問題集をぼーっと見つめていると、突然声をかけられた。
「おはよう絵梨花。」
声のする方に顔を向けると、隣の席の西浦秋穂が立っていた。
沢山人がいる中で、何故私なのか……。
そう思いつつも、愛想笑いをしながら返事した。
「おはよう秋穂。」
それだけ言うと、私は持っていた本に視線を戻した。しかし、あの一言で解放される訳もなく、秋穂は再び口を開いた。
「国家試験問題集、弁護士編…?え、絵梨花。弁護士目指してるの?」
秋穂の問いかけに、私は慌てて問題集を閉じた。どこまで説明すれば詮索されないだろうか……。
「あ、いや…。公務員の中から進路を探してて、父が弁護士だから…何となく…。」
言葉を濁しながら伝えたが、こんな返事では納得されないだろうか。
しかし、予想に反して秋穂の返事は軽いものだった。
「へぇ。凄いね。私なんて全く決まってないのに。」
私は少しほっとして会話を続けた。
「全然凄くないよ。実際、まだはっきりと決めた訳じゃないし。」
「勉強頑張ってるだけで十分凄いよ。私なんてほら、いつも赤点ギリギリ…。」
苦笑いを浮かべる秋穂は、何か言いたそうな顔をしていた。
あぁ、多分…。彼女は私のこういう答えを望んでいるのだろう。
私は、秋穂が望んでいるであろう返事をした。
「勉強、教えようか?」
すると、秋穂は一瞬驚いたものの、すぐに満面の笑顔を私に向けてきた。
「え、本当?絵梨花の勉強の邪魔しちゃわない?」
たかが勉強を教えるくらいで大袈裟ではないのか。そう思ったが、当たり障りのないことだけを伝えた。
「大丈夫よ。教えるのも勉強だって先生も言ってたから。放課後は難しいから、休み時間だけでも良ければだけど。」
「ありがとう!お願いしていいかな?」
「もちろん。」
私は笑顔を作った。
別に秋穂が嫌いという訳では無い。
本当は、誰にも構われたくないだけなのだ。
人は、私に過度な期待をかける。けれど私は、その期待に応えられる程の能力を持ち合わせてはいない。そのことに、ただ疲れていた。
でもまぁ…。過度な期待も、余計な詮索もしない秋穂は、他の人と比較して割と楽だった。
多分、それだけだ。