現在の対人関係と、厄介な婚約話
こちらを見つめる複数の視線に気がついて、思考が過去の回想から戻ってきた。
最前のシオンの言葉に返事をしつつ、視線のもとをたどると、何人かの女の子からの視線だった。視線の先は私というよりは私を守るような位置に立っているシオンだろう。
その視線は、私に向けられた瞬間、温度が一気に下がる。なぜあの女がシオン様の隣にいるのか…とでも言うような視線だ。しかもそれはセアには絶対に向けないし、シオンを見た途端甘くとろける。器用な真似をするなと思わず感心してしまった。
「負け惜しみでもなんでもないけれど…ふふっ」
「アイリス?」
「シオン、見られているわよ。どこの家だったかしら…」
「あの方は、アゼリア家の次女カルミア様ですね。長女のエリカ様は、オーキッド公爵家に嫁いでいます。噂によればカルミア様が後を継ぐとかなんとか…シオンに婿入りしてほしいんでしょうね」
一番シオンを熱心に見ている、ピンク色の髪の毛に、少し変わった透き通った瞳をしている子を私が指すと、セアがすぐに情報をくれる。少し尖った言い方をするのは、シオンを家柄のみで見ているアゼリア家に怒っているのかもしれない。
困ったような顔をするだけで、私のそばを離れようとしないシオンを穴が空くほどじっと見ているので、少し面白くなってきた。
「行ってあげたら?」
「嫌です」
「そう言ったって、絶対に離れていかないわよ。あの子」
「そうだとしても…アイリスともうちょっと近づいておけばいなくなるかな…なんて」
ヘラっと笑うシオンをセアが引き剥がし、距離を取る。シオンにかなり近づかれていた私に向けられた尖った視線は、セアに向けられた訝しげなものに変わり、直後に一気に少女たちの瞳が輝いた。そして、その視線を制するようにカルミアが近づいてきた。下から見上げるように、騎士としての守護本能をくすぐられるような角度で、シオンの顔を覗き込み、控えめな声を出す。
「あの、シオン様。少しだけ、お話いいですか?」
「あ、いや、今は…」
「話していらっしゃい。私達は私達でやっているわ」
「アイリス…」
「いってらっしゃい」
「はい…」
すがるように見つめて来る視線を無視し、突き刺すような視線も無視し、有無を言わせない口調でシオンをカルミアのところに行かせると、シオンはちょっと顔をしかめながら、カルミアをエスコートして、端の方に向かっていく。私達から距離を取ったのに、視認でき、シオンなら何かあったときに間に合う範囲にいるのは、私達を守ろうという本能が働いているからだろう。
そこでふと、もうひとりが見当たらないことに気がついた。
「あら?サルビアは?」
「先程お父様に呼ばれてあちらに」
「いつも思うのだけれど、とても仲良しよね」
「そうですね。心なしか妹との距離が近い気がしますが」
セアの指す方を見れば、サルビアと彼の家族が固まって話しているのが目に入る。まだ明るい時間だからか、幼い彼の妹もいて、頑張って着飾った小さな淑女に、サルビアが頬を緩めているのがわかった。
「父上はどうしてこちらに?陛下のお側を離れてもいいのですか?」
「ローズマリーを一人にするわけにも行かないしな。陛下が時間をくださったのでいいかと」
「そうですか…ローズマリー、きれいにおめかししてきたの?」
「うん!おにいさま、わたしのきれいなところ、みたいかもって、おかあさま言ってたから!」
「そうかそうか」
「にあってる?」
「うん。ものすごく似合ってる。かわいいよ」
「ほんと?」
「本当」
普段の彼からは考えられないほど、優しい声を出していることへの違和感は置いておいても、たしかに、サルビアの妹…ローズマリーは可愛い。紫色のきれいな髪によく似合うピンク色のフリルの付いたドレスは、幼さゆえの可愛らしさを全面に押し出していて、サルビアが褒めちぎるのも理解できるなと思った。
「父上、ローズマリーが少し疲れているように見えますが…」
「…たしかにそうだな。そろそろいい時間だし、王族のお目見えの前に帰したほうが良いか」
「はい。母上もお帰りになられますか?」
「わたくしは、ローズマリーを家に届けたらまた戻ります。サルビアも、遅くなる前に帰ってくださいね」
「はい」
「ローズマリー、帰りましょう。家に帰ったら美味しいお菓子が待っているわ」
「えぇ…おにいさまは?かえる?」
「ううん。お兄様は、もう少しここにいるけど、帰ったら一緒にご飯食べようね」
「…うん。わかった。はやくかえってきてね」
「うん。じゃあまた後でね。母上もお気をつけて」
「えぇ。では、あなたも、また後で」
「あぁ。気をつけていってきなさい」
一家揃って仲がいいのは、サルビアの母であるペリラ家当主夫人の性格によるものだと言われている。彼女がサルビアたちをうまく教育しているからこそ、宰相として忙しく、普段家にいないペリラ家当主も、時間を見つけては帰ってくるのだとか。
いくら宰相家の優秀な教育を受けているとは言え、まだ幼い子供を王族の前には出せないと考えたのか、夫人がローズマリーを連れて帰っていく。その後ろ姿を少し淋しげに見送ったサルビアは、当主の方を真剣な面差しで振り返った。
「それで、父上。このような場にローズマリーを呼んでどうするおつもりだったのですか?」
「どう、とは?」
「ローズマリーのような幼い子供は他には来ていません。他家に教育の出来を見せるためだとしても、今の状態では無駄な婚約申込みが大量に来るだけですよ」
「無駄…ねぇ…」
「だいたい、ローズマリーと同じ年代の者に、あの子にふさわしい人間などいないではないですか」
「お前は、本当にあの子が好きだな」
「…まぁ。大事な妹なので」
なんとなく。なんとなくの勘ではあるけれど、サルビアがローズマリーを溺愛するのはそれだけじゃないような気がする。妹の話をする彼は、昔の人に重ねているかのような、そんな目をする時があるから。
「そういえば、セアはお友達のところに行かなくて良いの?」
「はい。私はこういった場では、アイリスを優先すると言っていますから」
「そう。じゃあ、なにか、ケーキでも取りに行く?」
「せっかくですから、行きましょうか」
会場の隅の方には、飲食物が置かれているスペースがあり、そこには軽くつまめるような軽食や、ケーキやクッキーなどが用意されている。私とセアはそこに向かい、いくつかのお菓子をお皿に取り分けた。
「アイリス、このクッキー美味しそうですよ」
「セアはこのケーキ好きでしょ?いちごがのっていて可愛いらしいし」
「わぁ!さすがアイリスですね。それ、いただこうかな…」
「シオンはこれかな。ちょっと子供っぽい甘い物、好きよね」
「セルビアは紅茶のクッキーとかでしょうか。シオンとは真逆で甘いもの嫌いですし」
「あとは、この柑橘のケーキでもつけておけば、セルビアはいいんじゃない?」
「じゃあ、シオンには私と同じケーキをつけておけば、足りるでしょうか」
いくつかのケーキとクッキーをお皿に盛り、ついでに、シオンとセルビアの分も取り分け、飲み物を適当に選んで、元々居たあたりに戻った。
「おしゃれなグラスですね」
「一見、お酒かと思ったわ」
「ジュースにしてはグラスが高級ですよね」
「中身は美味しいけれど、これだとお酒が飲みたくなるわね」
「アイリス。まだダメですよ」
「流石に飲まないけれど?」
自分が決めたときから変わらない決まりを自分で破るつもりはないけれど、お酒は結構美味しいものだ。セアだって昔は果物のお酒をよく飲んでいたのに、今は規制される内にいるし、慣らしのためにすこしだけ飲むことはあっても、それを超すことはない。
「そう言えば、先程は何を考えていたのですか?」
「先程?」
「シオンと話していたとき、少しぼんやりしていたでしょう?」
「あぁ、あのときね。あれは昔のことを思い出していたの。最初にセア達とあったときのこと」
「かなり昔ですよね。5、6年前でしたっけ?」
「そのくらいかな…懐かしいでしょ?」
「あのときは本当に焦っていましたからね、私達」
「そうなの?」
「だって、三人揃うのは早かったのに、アイリスだけ全然会えなくて、まさか、悪い噂になっている渦中の人物だとは思っていませんでしたし…あの頃は私も…」
セアが何か言おうとしたとき、カルミアから開放されたシオンと、ローズマリーを見送ったセルビアが戻ってきた。
「はぁ…」
「また、絡まれたのか?」
「うん。アゼリア家」
「アゼリア…?あぁ、最近台頭し始めている家だな。潰したいなら協力するがどうする?」
「セルビアは物騒だなぁ…潰すほどじゃないんじゃない?聖女の後ろ盾があるとかなんとか言ってたけど」
「聖女の後ろ盾があるって言ったの?」
「うん。『だから、アイリスと一緒にいるくらいなら私といて。』みたいなこと、言ってきたよ」
「そう…」
「私が聞いたことのある限り、あの家にそんな繋がりがあったとは聞いたことがありませんけれど…」
「…そうか。姉がオーキッド家に嫁いでいるからだ。あの家が聖女を養子にするから」
「そう簡単には潰せなさそうね」
「オレは潰したいとは言ってないけど」
「でも、シオンは迷惑だと思っているのでしょう?ならば、潰せばいいじゃない」
「セルビアもアイリスも思考が怖いって…家ごとは潰さなくていいけど、しつこいのをなんとかしてほしいとはオレも思う」
「わかった。手を打とう」
シオンに物騒だと言われながらも、私とセルビアは意見を変えなかった。セアは我関せずという顔をしているが、止めてこないあたり、否定的ではなさそうだ。
「さ、とりあえず、二人ともこれあげるわ。さっきセアと取ってきたから」
「ありがと!」
「こっちがセルビアのですよ」
「ありがとう」
「ん〜このケーキ美味しい」
「甘そうだな…」
「砂糖を使えるだけの財力があるってことよ」
「セルビアのは甘くないですよ。嫌いな物くらいは知っていますから」
「うん。柑橘の爽やかさが丁度いい」
「それは良かった。美味しいものを食べるのが一番よ」
つい、口をついて出た、前世からよく言っていた言葉。当時は子供たちに言うことが多かった。国に来た子供たちは満足にご飯も食べてない子が多かったから、美味しいご飯を作っては炊き出しをしていた。今は食事に困るような生活をしていないのに、口をついて出るのはこの言葉だ。美味しいものを食べてる人の顔は幸せそうだから、見ていて気持ちがいいなと思う。
「アイリス、そろそろです」
「もう?」
「貴族もほとんど集まっているし、父上もどこかに移動したな」
「あ、オーキッド公爵もいなくなってる」
「聖女のお出ましね」
今までいた主要人物がいなくなって、ざわついた雰囲気になってきている会場内を見回しながら、私達は、入口の方に視線を向けた。
「やっぱり、そこから入ってくるのよね?」
「さすがに、王族の方は使えないだろうし、注目を集めることを目的としているから、こっそりとはいってくることもないだろうな」
「あっ…来ますよ」
入口の扉が大きく開け放たれ、美しい白髪を持つ男女と、ふんわりとピンク味がかった髪の女性が入ってきた。
今日はこれが最終投稿です。次話は5日の朝6時を予定しています。