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ブラスフェミー実験室。あれから四日経つが、オルカは未だに水槽の中にいた。溺死して生き返りの繰り返しであった。
それをただ見ている白衣姿の女性。熱心にという訳ではないが、モニターに映し出された数値を見て、手元にある紙に何かを書いている。
その作業を進めていると、どこからか現れたカオスが女性に話しかけた。
「やぁ、ルナ君。経過はどうだい?」
ルナと呼ばれた女性は書く作業を止めてカオスの方を向いた。
「以前、彼が捕まった際に実験をされた時の通りです。不思議な体だという感想しか出てきません。
血中の酸素濃度が下がっていき絶命するのですが、生き返ると酸素濃度が死ぬ前と全く同じ数値が出ます。データにあった通りです」
「そうか。やはり、信じられないが、時間が止まっているとしか言いようがないな」
「と、言いますと?」
「君はロールプレイングゲームをしたことがあるかい?」
「まぁ、多少は」
「そのゲームの中に昼と夜の概念があるゲームは?」
「ありますが、一体何の関係が?」
「そのゲームの中には昼と夜があるわけだから時間が進むという概念があるわけだろう?
私達の現実世界では一年は365日だ。それを同じようにゲームに当てはめて考えてみよう。現実世界のように、昼と夜の一日を365日繰り返したとしよう。ステータス画面を開いても何の見た目の変化はない。だが、一年でそんなに見た目と言うものに劇的な変化はない。だからそれを十回繰り返す。つまり、十年経ったことにするわけだ。ゲームの主人公はおおよそ、十五~六歳だと仮定して、十年経てば二十五~六歳だ。流石に十年経てば、顔つきは少年から青年に変わっているはずだ。しかし、変化があるようには見えない」
「まぁ、ゲームですからね」
「そんな身も蓋もないようなことを言うな。例えばの話だよ。
私が言いたいのは、このオルカ・エルドルトにも同じような事が起きていると言いたいのだ。死んだら教会や城からスタートするようなことが起きている。無限の命もそれで納得がいかないかい?」
「…馬鹿げてはいますが」
「君はこの会社の社長に堂々と物をいうものだね。
まぁ、嫌いじゃない」
「時が止まっていると仰いたいのは分かりますが、それは有り得ないのでは?
人間は、いや、生物は今この瞬間も絶え間なく代謝繰り返しています。細胞の入れ替えが止まるという事は有り得ないことだと思いますが」
「だから、彼だけが時が止まっていると考えるのが妥当ではないかい?」
「時が止まっているというのならば、彼の特殊な能力はどう説明するのですか? 脳細胞に何かしらのショックがあってその能力を得たのですよね? 止まっているならば細胞は変化しないはずだと思いますが」
「それは偶然の賜物と言っていい。本当に奇跡だとしか言いようがない」
カオスがそう言うとその背後から声がした。
「偶然なんかじゃありませんよ。それはれっきとした必然です」
「君かい? 最近、何かと付きまとっているという胡散臭い魔法使いというのは」
カオスは後ろを振り向くことなくそう言った。
「胡散臭いとは心外ですねぇ。これでもちゃんとした魔法使いですよ」
いつの間にか現れたシャルルはニコニコしながら答えた。
「こんな科学が発展した時代に似非科学を魔法と言うのはどうかと思うがね」
「何を言っているんですか。私からすれば科学は似非魔法にしかすぎませんよ」
「埒が明かないな。まるで話しにならない。
ところで、君は一体どうやって入って来たんだい? ちゃんとアポを取ってもらわないと急な来客には対応致しかねるが」
「ちゃんと、正面から許可を頂いて入ってきましたよ。皆さん聞き訳が良くて助かりました」
「そうか。それで、何のためにここに? もしかして、オルカ・エルドルトを助けにきただとか言う訳じゃないよな?」
「そんな役割は私には荷が重すぎます。あなたの飼っている野良犬君たちを相手にするならまだしも、流石に飼い主を相手にするのにこの体だと力不足です。
それに、もうじきここに嵐がやってきますよ。その嵐がオルカ・エルドルトを救うでしょう」
「…ニアか」
「えぇ、そうです。どうも私はあの能力との相性が悪いようで、あまりベラベラ喋るのは得意じゃないですからね。
今回はただ、挨拶に伺っただけです。いずれちゃんとした体でお会いしますよ。それでは」
シャルルはそう言うと文字通り消えた。
「まるでチャシャ猫のような男だな。自分がトリックスターだとでも思っているのだろうかね。
ルナ君。君はどこかに避難した方がいい。直に嵐が来る。途轍もない最悪の嵐だ。彼女が通った後は何も残らない。だから遠くへ避難したまえ」
「カオス様はどうされるのですか?」
「私か? 私はここに残るよ。私はその嵐を対処する術を知っているからね」
カオスはそう言うとニヤリと笑った。ルナは首を傾げ、研究室を後にした。