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『はあ……』

 ため息を一つ漏らす。

 時間だけが流れていく。

 青い空、白い雲、八月の暑い夏にふさわしい。

 ジリジリと焼けつくような日差しのはずだが、僕らは暑いとも感じなかった。汗だって出ない。

 僕とシンシア先輩は土手に座って、ぼーっと川が流れていく様子を見る。

 木々は青々と茂り、水面は太陽の光を浴びてキラキラと輝く。気持ちの良い景色だ。

 しかし、返ってそれが僕たちの心をうろんにさせた。

 何もやることがない。

 どこにも行くところがない。

『……おなかもすかないんだね』

 ポツリとシンシア先輩がつぶやく。

『そうですね……』

 どんなに時が流れても、おなかもすかないし眠くもならない。なんの生理的欲求も湧かなかった。

『幽霊って便利ですね……』

 僕はつぶやく。

『……私は食べたい気持ちだけはあるわ……』

 シンシア先輩は恨めし気につぶやく。

 しかし、言ったところでどうすることもできない。

 やがて日が傾き、空はオレンジ色に染まり、群青色に変わり、夜になった。

 星が瞬く。

 でも圧倒的に周囲が明るい。この世界では夜でも街灯が至る所についてあたりを照らしている。

 今いる河川敷は比較的暗いが、それでもあの世界で見た星の数には遠く及ばなかった。

『星、少ないですね』

『そうだね。……あの世界ではあんなに星が輝いていたのに』

 シンシアは空を指さす。

『あのひしゃくの形をしている七つの星が北斗七星』

 ぽつりとつぶやく。

『水をくむ部分の先にあるのが北極星。さらに進んでWの形になっているのがカシオペア座』

 草むらに寝転がる。

『上に行ってデネブ。アルタイル。ベガ。これを繋ぐと夏の大三角形』

『詳しいですね』

『夏は外で遊ぶことも多かったからね。子どもに教えてあげるのに覚えちゃった』

 ふふっと笑う。

『あ』

 流れ星が一つ流れた。

『家族のところに行ってもいいですよ?』

 ずっとこの世界にいるのならその方がいいのかもしれない。

 しかしシンシアは嫌そうな顔をした。

『私のこの世界での未練はもう終わったんだから、今さらくっついていきたくないよ。……みんな私からとっくに自立してたもん。立派にね』

 そう言った顔はすっきりしていた。

『モーガン君は?やりたいことない?』

『そんなのありませんよ。……ただ、帰りたいです』

 そうだ。こんなところにもう用はなかった。

『僕にも魔法が使えたらなあ』

 星を見ながらつぶやく。

『……私の立場ない。使えたってどうにもならないのに』

 シンシア先輩は手を上にあげて手のひらに魔法の光を灯す。

 僕はその光に照らされた横顔を見つめる。水色の瞳が光に揺らめいていた。

 僕も手を上に伸ばす。星がつかめそうな気がした。

 流れ星がまた一つ流れた。

 だから願った。

『帰りたい』

 僕の手にも光がともった。

 びっくりしてそれをまじまじと見る。

 シンシア先輩も驚いて僕を見る。

 そして、僕の光った手に自分の光っている手を重ねて手を繋いだ。

『帰りたいね』

『帰りたいです』

 光はどんどんと強くなる。

『私はっ……! こんなところで死にたくない!』

『僕だって! まだやりたいことがいっぱいあるんだ! 彼女だって作りたい!』

『レイモンド様とも結婚したいし! これからどう生きたいかだってちゃんと考えていきたい!』

『彼女! かわいい彼女を絶対に作る!』

 未練だらけだ。

 ここでは果たせない。あの場所でなければ意味がない。

 ずっと人生をかけてきたのはあの場所だった。

 いいことも、悪いことも、楽しいことも、悲しいことも、これからのことだってあの世界であればこそだ。

 だから。

『あの世界に! 帰りたい!!!』

 僕らは声の限り叫んだ。

 目もくらむほどまぶしい光が頭上に光の柱となって立ち上る。

 夏の大三角形まで届いたところで、何か小さな黒い影が落ちてきた。

『なにしてるんだ! 帰るぞ!』

 懐かしい声がして、バサバサと羽ばたく音が降りてくる。

 ヘンリー先生の声だった。

 つないだ手に大きな鳥が舞い降りる。

 爪が食い込んですごく痛い。

 それは一羽の鷲だった。

『!?』

 驚いて二人とも声も出せない。

 鷲は飛び立ち、羽ばたいて僕らに道を示す。僕らはそれについていく。見失わないように歩き出す。

『シンシア! モーガン! ずっと光らせておけ! 消えたら帰れん!』

『はい!』

 頼もしいヘンリー先生の声にホッとする。

 鷲が光の中を羽ばたいて進んでくれる。

『流星が流れている間だけだ! 夜が明けたら戻れん! 死ぬ気で走れ!』

 僕たちはあわてて走る。

 光の中を走って、走って、走った先の光にみんなで飛び込んだ。


――――――――


 目を開けると白い天井があった。

 そしてカーテンが見える。

 いつもの寮の部屋ではない。清潔な……病室。

「う……」

 モーガンは痛む後頭部を触る。

 包帯の感触がする。

 頭を動かして周囲を見る。水色のカーテンに囲まれた病室だ。白いベッドの上にモーガンはいた。

「……」

 ぼーっとした頭でしばらく天井を眺めていた。

 カーテンがシャッと音を立てて開けられる。

「あら、目が覚めたんですね」

 看護師の女性がにっこりと笑って言った。

「よかった。丸一日寝てたんですよ。今先生を呼んできますね」

 看護師はそう言って行ってしまった。

 しばらくして、壮年の医者と戻ってきた。

 シンシアと二人で転んで頭を打って倒れてしまったこと、病院に運ばれたことを教えてもらった。

 そしてケガ自体はただのたんこぶで何でもないということだった。

「あの、シンシア先輩は……」

「ああ、君より先に目が覚めたよ。会いに行くといい」

 医者に言われてモーガンは立ち上がり、看護師の先導でシンシアの病室に向かう。

 コンコンとノックをして中に入る。

「シンシア先輩!」

 柔らかな春の日差しが窓から差し込む中、外を見ていたシンシアが振り返る。

「モーガン君!」

 シンシアの顔がくしゃりとゆがむ。

 そして、駆け寄る。

 二人は抱き合って泣きながら生還を喜んだ。

「うわあああああああん!!! よかったようううう!!!」

「うううううううううっっっ!!! 本当にっ!よかっっっ……!!!」

 しばらくは泣き止まなかった。



 その日は念のためということで入院し、二人は翌日退院した。

 友人たちがお見舞いに来てくれたり、レイモンドが大きな果物のかごをくれたりした。

 だんだんと戻ってこられた実感がわいてきて、すぐに新学期が始まり、いつもの生活に戻った。


 そしていつもの占い部。

「……あのさ、ヘンリー先生から手紙きた?」

「……はい。」

 二人はあの後ヘンリーに手紙を出した。

 なんであの時ヘンリーが助けに来たのか、なぜ鷲だったのか、はたまた全ては夢だったのかわからなかったから。

 二人別々で出した手紙の返事を机に出す。

 返ってきた手紙には同じことが書かれていた。

『知らん。くそったれ。心配をかけるな』

「ヘンリー先生ひどい……」

「まあ、らしいといえばらしいですよね……」

 二人でため息をつく。

「シンシア先輩は魔法はもういいんですか?」

 シンシアはあれ以来魔法の特訓をしていない。

「うん、夢だったのかもしれないけど、あれで私の希望は全部叶っちゃったのかなって……我ながら単純なんだけど」

 モーガンが何度試してももう魔法は使えなかった。やっぱりあれは夢だったのだろうか?

「そうですか。……じゃあ、婚約するんですか?」

「ううん、やっぱりまだしない。前世のことが吹っ切れたと思ったらね、今度はこれからのことを考えられるようになったんだ。

やっと私は小林沙織を卒業してシンシア・ウィステリアになれたの。だからこの学校はちゃんと卒業したい。それからのことはどうしようかなって今考えてるところ。

今までの私は前世の知識のせいで『私が何とかしなきゃ!』って思ってたんだけど、これからはこの世界で生きるみんなと一緒に『一緒になんとかしよう!』って言っていきたいんだ。

もう、『お母さん』は卒業しました!」

 シンシアはすがすがしい顔をしている。

「レイモンド様とのこともね、ちゃんと進めたいと思ってる。もう待たせてる罪悪感とかで妥協しないよ。好きだから婚約して結婚したい。結婚以外の将来のことだってちゃんと話し合いたい。

だからまずはちゃんと『恋人』をするよ」

 えへへとうれしそうに笑う。

「そうですか、ごちそうさまです」

 モーガンも笑顔で答える。

 区切りがつくと、こうも前向きになれるのかと感心する。

「僕はまだ何をしたいか決まらないからなあ……」

 こちらの世界に戻ってきてからもっとちゃんと生きたいとは思うようになったけれど、さてどうしようと気持ちを持て余している。

「私だって全然何も決まってないよ。それぞれがんばりましょう。」

「そうですね」

 うなずき合ったところで、シンシアは突然ニヤニヤ顔になる。

「でも~、私知ってるんだよね~」

「な……なんですか……」

 モーガンは突然の変化に身構えてしまう。

「入院してた病院の看護師さんとつきあってるんでしょ?」

 キラキラした目で聞いてきた。

「えっ!? どこからそれを……」

 急に秘密にしていた話を振られてモーガンは慌てる。

 まだもうちょっと秘密のまま初交際を楽しんでいたかった。

「リガルド先輩が見たって」

 言われて「あー」と声を漏らしてモーガンは天を仰ぐ。

 そういえばリガルドは入院・退院の面倒を見てくれていて、現場も押さえらえていたとモーガンは思い至る。

「……そうです。入院中と通院中に仲良くなって……お付き合いしています」

 モーガンが赤くなりながら告白する。

 入院中に知り合った看護師と付き合う、王道中の王道を彼は進んでいた。

 手相を見てあげて仲良くなったのは内緒だ。

「ねえねえ、なんて名前?」

「……ミシェルさんです……」

 名前を教えてしまい、恥ずかしさが増す。

 彼女は小柄なかわいい朗らかな女性だった。ちなみに三つ年上だ。

「そっか、そっか! 良かったね!」

 シンシアは上機嫌だ。

「いや~、春だねぇ」

「そうですね、春です」

 窓の外を見る。もう五月だ。芽吹いた若葉はいよいよ青さを増し、風にそよいでいる。

 もうすぐ季節は夏になる。楽しみな予定が二人を待っている。二人の未来はこれから始まる。

 カーテンがふわりと揺れた。

「生きてるって素晴らしいね」

 シンシアが笑う。

 モーガンも笑ってうなずいた。


END 

本編完結です。

あと前日譚と後日話が入ります。

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