第2章「この宇宙の向こうで、キミの呼ぶ声がする。」第5話
目の前に座る光星は、じっとわたしの話に耳を傾けていた。
「じゃあ、その健一くんが千歳の今を作ってくれたんだ? 」
「そう」
わたしはコーヒーの入ったマグカップをテーブルに置き、時計を見た。11時。
あれから、わたしは歌手になるきっかけとなった出来事を、約2時間に渡って話したのだ。
「もう遅いし、シャワーでも浴びたら? 」
すると彼は体を動かした。
「じゃ、お言葉に甘えて」
彼がバスルームに入ったのを確認すると、わたしはタンスを開けた。
そして、元カレのパジャマと下着を適当に取り出し、脱衣所に置いた。
しばらくして、洗濯をしようと再び脱衣所に入った。
彼のことを多少疑っていたわたしは、彼の服のポケットを探ったけど、何も出てこなかった。
身分証も持っていないようだ。
ただ、赤色の宝石のついたペンダントが、洗面台に置かれていた。
少しくすんでしまったそれは、もう輝きを取り戻すことは無いのだろう。
水の音が止んだ。
わたしはそっと、脱衣所から出た。
モクモクと湯気を漂わせながら、彼が脱衣所の扉を開けて出てきた。
「いいお湯だったよ。千歳も入ったら? 」
「ちょっと、自分の家みたいに言わないでよ。ていうか、わたしは入らないから」
「入らないって、……不潔だな」
「女の子にそんなこと言わないの。嫌われるよ」
「いやいや、ごめん。お願いだから嫌わないで」
彼の必死さに、わたしは思わず吹き出しそうになる。
「あんたのこと、嫌いはしないけど、相当怪しんでるよ」
「まぁ、そうだろうね」
彼は勝手にわたしのベッドに身を投げて、ボフンと音を立てて沈めた。
「もー、わたしの寝るとこ無くなるじゃん」
「え? 本当は一緒に寝れるって喜んでるくせに」
「喜んで無いし」
そもそも、よく知らない奴と寝るなんて、この上ない恐怖である。
床やソファで寝るのは嫌だったから、仕方なくわたしは、ベッドに入った。
翌朝、目が覚めると、部屋にはトーストの焼ける香ばしい香りが漂っていた。
ーー香ばしい香りが漂っていた。
!?
掛け布団を跳ね除け、起き上がると、キッチンで光星が朝食を作っていた。
ああ、そうか。
『朝・夕の飯は作るから』とか何とか言っていたのを、ふと思い出した。
まさか、本当にするとは思っていなかったのだけれど。
「……千歳、おはよう」
彼はハムエッグを皿に載せながら、声を掛けてきた。
「ん」
とだけ答えると、
「何だよ、愛想ないなぁ……」
と言って笑った。
トーストとハムエッグの皿をテーブルへ運び、牛乳とヨーグルトまでもが用意された。
「さ、食べよ」
彼のその声で、わたしは立ち上がり、テーブルのところまで移動し、椅子に腰掛けた。
「「いただきます」」
最初は面倒くさい奴だと思っていたけれど、毎日こんな充実した朝食が食べられるなら、それはそれで良いかもしれない、と感じた。
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カラオケデート(?)から1週間が経ち、わたしは健一くんのことを「健ちゃん」と呼ぶようになっていた。
彼はクラスにも馴染んできたようで、今もクラスメートと談笑している。
わたしはそれを横目に見つつ、学級作品展のポスターの下描きを続ける。
この学校では、5月の下旬に文化祭が行われる。
全国的に見ても珍しいだろう。
その文化祭の最後に、“フリーステージ”、いわゆる有志発表があり、毎年盛り上がるとのこと。
わたしもすごく楽しみにしている。
「なぁ、千歳」
いつの間にか隣の席に戻っていた健ちゃんが、景色をボーッと眺めていたわたしに声を掛けてきた。
「文化祭、有志発表あるだろ? 」
「あ、うん。あるね」
「それで、千歳ってギター弾けるんだったよな? 」
そう。わたしはアコギを持っていて、どのコードも無難に弾ける腕前だ。
ギター、有志発表……。何か嫌な予感がする。
「俺とさ、やらない? 有志発表」
やっぱり…
「で、何やるの? 」
「実はさ、俺もギター弾けるの。だから、2人でギター弾いて、歌うんだよ。うーん。昔流行ってたさ、『ゆず』の男女版、的な! 」
彼が珍しく興奮気味に言うものだから、わたしも少し、やってみたくなる。
「いや、でも。もう2週間くらいしかないけど……? 」
「まぁ、大丈夫っしょ」
既存の曲を弾くだけだったら、何とかなりそうな気もするけど……。
「どうせなら、オリジナルでやってみない? 」
彼はわたしの期待をとことん裏切ってくる。
さっき言ったじゃん、あと2週間だって。
「もう詞は出来てるからさ……」
呆けるわたしをよそに、彼は机の中から一枚の紙を取り出した。
「『マリオネット』……? 」
「そう。マリオネットを日本語にすると『操り人形』。俺なりに色々考えて書いたからさ。千歳はこれに曲を付けてくれないかな」
尋ねているようだけど、その言葉には有無を言わせぬ響きがあった。
「まぁ、取り敢えずやってみるか……」
わたしは仕方なく受け入れた。
すると彼が言う。
「文化祭の3日前にオーディションがあるから、それまでに完成させないと」
そうだった。それまでに合わせたり、練習もしたい。
それまでには時間がなくて、もう、始めるしか無かった。
その日の夕方、わたし達は応募表を職員室へ提出しに行った。
「先生、今のところ何組あるんですか? 」
健ちゃんが尋ねると、先生は難しそうな顔をした。
「それがだな……。今はまだ2組しかないんだよ、君らを入れて。だから、最悪、もう1曲やってもらうかもしれない」
「はあ……」
2人揃って溜息をつく。そうなったらもっと大変だ。
「まぁ、その時は頼むよ」
そう言い残して、先生は奥の席へ戻って行ってしまった。
「取り敢えず、早く作るしかなさそうだね」
「そうだな」
わたしの言葉に、彼が頷く。2週間で仕上げなければならない。
そんなに上手くいくものだろうかと、わたしは不安になった。
わたしはその後、家へ帰るとすぐに自室にこもり、ノートとアコギを取り出し作業を始めた。
取り敢えずコード進行だけは決めることが出来た。
だけど、メロディになった途端、わたしの手は止まった。
何も思い浮かばない。
結局、2時間ほど考えたがペンが進むことはなく、わたしはベッドに身を埋めた。
次の日、わたしは近所のギター店へ向かった。『大村楽器店』と書かれた引き戸を開けると、見慣れた店主が顔を出した。
「ああ、千歳ちゃんか。いらっしゃい」
メガネを掛けた初老の彼は、わたしの母の兄、つまり伯父だ。
代々続くこの店を切り盛りする彼は、確かな腕を持っていて、有名アーティストもここのギターを使ったりしている。
わたしの相棒のアコギも、彼が作った物だ。
「おじさん。相談があるんだけど……」
「何だい? 」
他でもない。わたしは、作曲のアドバイスを訊きにここへ来たのだ。
伯父さんが手招きするので、それに促されて椅子に腰掛けた。
店内には、奥の貸しスタジオの音が、微かに聴こえてくる。
「実はさ……」
わたしは健ちゃんのこと、そして、作曲を頼まれたことを話した。
「そうか、それは大変だなぁ……」
どうしたもんかと、考え込んでしまう。
そんな時、ガチャっと音がして、スタジオの扉が開いた。
そこからは、わたしの大好きなseiyaさんが出てきた。
「おじさん、これ凄くいいです! 是非コレ、ライブで使わせて下さい! 」
「おお、そうか! 気に入ってもらえて良かった」
戸惑うわたしをよそに、伯父さんとseiyaさんは会話を進める。
ふと、伯父さんが頷いた。
「そうだな。聖也くんに協力してもらおうか? 」
「なんです? 」
seiyaさんが尋ねると、伯父さんは事情を説明した。