第2章「この宇宙の向こうで、キミの呼ぶ声がする。」第1話
人通りがまばらになった夜の道を、わたしは歩いている。
すれ違う人たちは、皆一様に「疲れた」という顔をしている。
今日は水曜日、週の折り返し地点。
会社勤めの人ならば、「やっと半分」とか「あと2日頑張れば休みだ」とか、そういうことを考えるのだろう。
でも、わたしにはそういうのは無い。
今日もまた、何もなく、ただ時間だけが過ぎていく、淡々とした一日を終えた。
現在23歳のわたしは、ストレートな歌詞で女性の気持ちを歌うシンガーソングライターとして、一気に人気アーティストへと昇り詰めた。
最初は何の自信も無かった。
「こんなんでいいのか」と、自問自答しながら曲を書いていた。
今歩いているこの場所で、路上ライブをしていたのが評判になり、メジャーデビューが決まった。
そしてその曲が、運良くタイアップに決まり、ミリオンヒットになった。
その後もシングル・アルバム共に順調に売れた。
順風満帆な歌手人生だった。
…でも、でもー。
自分でも何なのかよく分からないけど、わたしは少し、“ズレ”を感じるようになった。
新曲を作っても、ライブをしても、自分のやりたい事をやっているのに、モヤモヤした感覚がするのだ。
そして次第にそれは大きくなっていき、先月わたしは、歌を歌えなくなった。
歌手として、それはもう、致命的だった。
曲が書けない、歌えない。
そしてわたしは、『無期限の活動休止』を発表した。
担当のマネージャーさんは、最初は驚いた様子だったけれど、
「まぁ、そろそろ休んでもいいんじゃない?またやろうと思えたら、やれば良いんだから」
そう言って、会見の場まで用意してくれた。
ありがたかった。
でも、その思いとは裏腹に、『また戻る事は出来るのだろうか』という不安が頭をよぎった。
早く復帰して、ファンの皆さんの期待に応えなければと思うほど、わたしは自分を見失っていった。
『わたしらしさって、なんだろうー』
ーーーどん、とすれ違う人と肩がぶつかった。
『すみません』と謝ると、その人は怒るわけでも、『気にしないで』と言うでもなく、パアッと笑顔になった。
「きみ、千歳だよね」
⁉︎何でわたしの名前を知ってるの。
同級生?先輩?
いろいろ頭の中で検索するけど、何も出てこない。
「何で…名前…」
するとその男性は、悲しそうな、でも納得したような顔をした。
「俺のこと、覚えてない?」
「う、うん」
「そっか」
本当に一体誰なのだろうか。
顔をもう一度よく見てみても、いくら考えてもそれらしき人物は思い出せない。
でも、何故か少し懐かしい感じがした。
「ん、じゃあさ。きみが思い出せるまで、俺を家に置いてくれないかな」
「え?」
「実はさ、俺 家無くてさ。ほんと、思い出すまででいいから」
いやいや、そういう問題じゃ無くてさ。
「もちろん、タダでとは言わない。朝・夕の飯は俺が作ってやるからさ。な?」
そう言って、ニカッとモンダミンとかのCMみたいな笑顔をする。
「ていうか、ついてきて良いって言ってないし。そもそも、名前くらい言ったらどうなのさ」
「ああ…。俺はコウセイ」
男は穏やかに答える。
「字は、どうやって書くの?」
「光に星でコウセイ」
「ふうん」
わたしは言い、足を速めて自宅へ向かう。
すると、その光星とかいう男もスタスタとついてくる。
「もう一度行っておくけど、わたしは来ていいなんて言ってないから」
釘をさす。
「素直じゃないなぁ、千歳は…」
溜め息混じりに言ってくるから、わたしはもう、諦めるしかなかった。
全く、溜め息を吐きたいのはこっちだよ。
そんな事をしているうちに、自宅のアパートに着いてしまった。
「ここ」
最上階である3階の1号室の扉の前で、光星に言った。
「ほう、ここが千歳の家、か」
築30年近くなるこのアパートは、もちろんオートロックなどないし、駅からも遠く、普通に考えて若者は住まないであろう物件だ。
ただ1つ、『防音室』がある、ということだけで、わたしはここに住むことを決めた。
わたしはポーチから鍵を取り出し、差し込み、回した。
カチャッと乾いた音がして、鍵が開くと、わたしはギシギシいわせながら扉を開けた。
「お邪魔します」
言いながら、光星が部屋に上がり込んでくる。
1LDKのこの部屋には、デビューした時から使っているギターだったり、今までにリリースしたCDが所狭しと置いてある。
光星は早速興味を示し、
「千歳って歌ったりするの?」
と訊いてくる。
「まぁ…うん。一応シンガーソングライターだよ」
「わぁ、凄いね!」
「…そうかな」
「で、どうして歌手を目指そうと思ったんだい?」
いきなり核心を突いてくる。
あれはいつだっただろうか。
わたしが歌手を目指そうと思ったあの日は…。