第1章「それでも、僕はきみと」第2話
アパートへ戻り、布団に入ってからも、僕は山岸さんのことを考えていた。
考える、というか、頭から離れなかったのだ。
夢と現実を彷徨いながら、何処か一緒に行きたいなと思った。
ようやく眠りについた頃には、午前2時を回っていた。
翌朝目覚めると、既に太陽は南東の空に昇っていて、辺りはすっかり昼の喧騒だった。
冬休みに入ってから、もう何日もこんなのが続いている。
朝9時か10時くらいに起きて、昼まで勉強し、朝食兼昼食を食べた後は、ギターの練習。
でも、今日は違っていた。
正午を少し回り、食事をしている時、いつもは何も知らせないスマホが、メールを受信したのだ。
僕は箸を止め、スマホの受信ファイルを開く。
『山岸冬月』
その表示を見た途端、僕の心臓はドクンドクンと大きく脈打つ。
息が苦しい。
恐る恐る、そのメールを開いた。
『皆川さん、おはようございます。メリークリスマス!今日は何か予定ありますか?もしよかったら、何処か行きませんか?』
もちろん、こうなったら断る気はない。
僕は迷わず電話帳から彼女の番号を表示させ、通話ボタンを押した。
コール音が、2回、3回…
彼女が出た。繋がった気がした。
『もしもし』
「もしもし、皆川です」
『おはようございます!』
「ああ、おはよう。えっと、メールありがとう。今日は予定ないよ。どっか行きたいとこある?」
『いえ。皆川さんの行きたいところでいいですよ』
「じゃあ、映画とかどう?」
『あっ、いいですね!』
「それじゃあ、昨日の駅前に2時くらいで大丈夫?」
『はい』
「じゃあ、また後で」
耳から離して、そっと親指で押した。
その瞬間、喜びが爆発した。
1人でいるこの部屋は、なんとも言えない達成感で満ちていた。
山岸さんとの約束を決めた僕は、せかせかと用意を始めた。
まずスマホから、この近くの映画館の上映予定を確認する。
2時半からのアクション映画。
昨日のファミレスで、彼女が激しい映画が好きだと言っていたからだ。
物静かな印象だったから、少し驚いた。
ほんと、人は見た目によらないんだなぁ。
駅前のオブジェへ行くと、既に彼女が待っていた。
驚くほど早くこちらに気づいて、手を振ってくる。
僕も軽く手を上げつつ、彼女との距離を縮めた。
「おはよう」
言ってから、この時間だとおはようではないかと、自分一人で恥ずかしくなった。
「おはようございます」
彼女はクスリと笑って言う。
「じゃあ、行こっか」
「はい」
僕たちの、初めてのデートが始まった。
チェックした映画館は、ここから歩いて10分くらいだ。
自分の住んでいる近くだから、僕は迷わず歩き続ける。
ちなみに、これも昨日聞いた話だけど、山岸さんは1カ月ほど前から、この街で一人暮らしを始めて、まだあまり慣れていないという。
なんでそんな微妙な時期からとは思ったが、きっと何か事情があるのだろうと、気にしないことにした。
そんなこともあって、僕が先に行って、彼女が後からついてくる、という感じだった。
「今日の服、可愛いね」
信号待ちで並んだ時、言ってみた。
彼女はさりげなく華やかな、「初めてのデートだったらこれくらい」という感じの装いだった。
「…ありがとう」
照れたように言う。
信号が青に変わり、人の波は再び動き出した。
「ここ」
指差しながら、声を掛ける。
「わぁ、すごい。趣ある!」
彼女が少しはしゃいだ声を上げる。
『南町昭和映画記念館』という名のそこは、読んで字の如く昭和風の外観だ。
近代的ビルの間に挟まれて、そこだけ時代に取り残された感じがする。
「じゃ、入ろ」
「うん」
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「映画、良かったね!」
「うん。良かった!」
外へ出るなり、僕たちは言い合った。
確かにネットの評価も高かったけど、ここまでだとは思っていなかった。
「あのオープニングがさ、何かグッと引き込まれる感じでさ」
「うん、そうそう!」
彼女が拳をブンと振って応える。
同じ思いを共有できたことが、何だか嬉しかった。
前にどっかで、『初デートで映画はNG!』って記事を見たけど、あれは嘘だ。
同じものを見て、聴いて、感じて。
僕と彼女の心の距離が、グッと縮まった気がした。
「じゃあ、お茶でも飲もうか」
「うん!」
すごくいい流れだった。
僕たちは、川沿いに立つカフェへ入った。
とても洒落た雰囲気で、浮いてしまっていないか、不安になった。
「この席いいね!座ろ」
彼女が言うから、窓際のカウンターに並んで腰掛けた。
そこから見える水面は、夕日を受けてキラキラと、幻想的に輝いている。
向こう岸の遊歩道には、ジョギングをするおじいさんが見え、元気だなぁと感嘆した。
「そうだ。この後どうしようか?」
自然な感じで問う。
「うう〜ん」
彼女はうっすら眉間を窪ませる。
そう思うと、パッとこちらに顔を向けた。
「じゃあ、服が見たい」
彼女の答えに、何とも女の子らしいなって感じた。
「新しいコートが欲しいんだ」
そう言う彼女に連れられて店を回り、早1時間が経った。
女性というのは、買い物にとても時間をかける。
僕はさっさと決めたい性分だから、子供の頃から買い物が苦手だった。
特に母と行くのが嫌だった。
それは今でも変わらない。
「これ可愛いなぁ〜」
だけど、彼女とだと不思議と感じない。
今も、商品を手に取っては、表情をコロコロと変える彼女を見て、僕は嬉しくなった。
「よし!」
彼女が一際大きな声で言う。
「何?」
「これとこれが良いと思うんだけど、どっちがいいかなぁ?」
両手に持ったハンガーを交互に上げて、首を傾げる。
右手には、ベージュのロングコート。
左手には、白くて襟にモフモフの付いたコート。
「えっと…」
迷う。
こういう時、どちらと答えるのが正解なのだろう。
昔、母にも同じことを訊かれて、『こっち!』と言ったら、『あんた何にも分かってないわね』と怒られたことを思い出す。
そう、こういう場合、もう自分の中で決めてから訊いているのだ。
絶対に外したくない。
「僕は、そっちの白いのがいいと思うけど…」
彼女はフワッと柔らかな印象だから、よく似合うのではないか、と感じた。
「だよね、だよね!」
その言葉に、ホッと胸を撫で下ろした。
「このファーが可愛いんだよねぇ」
彼女がモフモフを触って言う。
ーーーああ、それファーって言うんだ。へぇ〜。
「じゃあ、買ってくるね」
彼女はレジへ向かおうとする。
「いや、僕が買うよ」
「え?ありがとう!」
「いいよ、別に」
僕はレジに並んで、支払いをした。
店員さんが、『プレゼントですか?』とホクホクした笑みで訊いてきたから、僕は優しい彼氏を気取った。
支払いを終えると、店の前で待っている彼女のもとへ向かった。
「お待たせ」
「ううん。ごめんね、高かったよね?」
「大丈夫だよ、これくらい」
強がって言うけれど、確かに僕の懐事情からすると、ちょっと痛い額だ。
でも、彼女が喜んでくれたからいいだろう。
そして、またバイトのシフトを増やさなきゃな、とも思った。
そして今日、気づいたことがある。
それは、彼女が敬語を使わなくなったこと。
親しくなれた証拠だと考え、僕はとても嬉しくなった。