彼女は否定する
この勝負は、レアとハンナは交互に番を進行する。レアが先行で、ハンナが後行だ。ならばレアは、常にハンナよりも多い回数の番を行えるという事である。レアの番で勝負が終わってしまうと、ハンナの番はレアよりも一回分少なくなってしまう。
なので、レアが答えた後にハンナの番を終わらせて初めて平等な勝負だ。この場でハンナが答えられたなら、この勝負は引き分けという事になる。
ハンナは、思考する。
まず、条件を見直さなくてはならない。
ハンナが持つ最も有力な情報を考えれば、それは間違いなく“答え”がハンナから五メートル以内にいるという事実だ。そんなに近くにいた者は少なく、ハンナは全員の顔を覚えている。
皆が皆その場を離れていないわけではないが、レアが答えた瞬間の範囲内にいた人物は狂いなく言い当てる事ができる。この中で、女生徒で、身長はナターシャよりも低く、平均よりも高い成績であり、一学年である。
かなりの数が絞られている。それは片手で足りるほどに。
だが、果たしてそれらしい人物はいるだろうか。全員が、レアとの間に接点を持たない。レアがあえて見ず知らずの相手を“答え”にしたとでもいうのだろうか。もちろん、その方がより難度の高い“答え”なのだろう。接点がそのまま予想の切っ掛けになってしまう可能性を考慮すれば、そういう考えも充分に考えられる。
しかし、レアは成績まで把握しているらしい。でなくては、「成績は平均以上か」という質問に答えられるはずがないのだ。もちろん少し調べればわかるような事ではあるのだが、この勝負が決まってから今日まで、レアにそんな素振りは全くなかった。
ならば、一体誰なのか。
レアがハンナのように全校生徒の情報をはじめから把握しているというのならわかる。それならば、接点のないはずの相手の情報を持っているのもうなづける。しかし、実際にはそうではないはずだ。貴族としての情報網を持つハンナと違い、レアは単なる魔術技師の養女である。たしかに高名な人物の子である事は間違いないのだが、本人の気質も相まって生徒間に繋がりはほとんど持たないはずだ。唯一あげられるのが代表会四位ナターシャ・ステン・ハングだが、ナターシャよりも身長があるという情報と一致しない。
「ハンナ」
「っ……はい」
不意にかけられた声。この世の誰よりも慕っていて、今後の人生の全てを捧げると誓った人物の声。凛々しく、頼もしく、ただ耳にするだけで心が満たされるような声。
親愛なるリスリー・ペル・イスマイルが、ハンナの方に手をおいた。
「ごめんなさいね。私、負けてしまったわ」
「な、何を!? たかだかそのような事でリスリー様が謝られるなど……!」
「また、様って言ったわね」
思わず口を噤む。噤まざるを得ない。リスリーの事を「様」付けで呼ばない事は、これまで何度も注意されていた事だ。
「失礼しました」
深く頭を下げて詫びる。リスリーの言葉を正しく行えないのは、自らの不甲斐なさが原因に他ならないのだ。
「顔を上げなさい。私は貴女の頭のてっぺんに話しかけているわけではないのよ」
「……はい」
ハンナの忠誠を、リスリーがわずらわしく思っている事は知っていた。しかしそれでも、ハンナはリスリーを凡百と同じように扱う事などできはしない。夜会の挨拶で初めて見かけたその日から、初めて言葉を交わしたあの時から、ハンナはリスリーの背中を見て歩いていたいと思ってしまった。それは、人を率いるべき立場にある貴族のあり方とは異なるものなのだろうが、それでもハンナはリスリーに支えたいとすら思っている。
そのリスリーが、自らに頭を下げるなど、ハンナにはこれ以上ない苦痛だった。
「私が迅速に“答え”を導けていたならば、リスリー……さんは出番すらありませんでした。高みから私たちを見下ろして、悠々と勝利の余韻に浸れたはずです。私の不甲斐なさで……」
「辞めなさい」
リスリーはハンナの方に手を置き、優しく語りかける。
「私はね、別に打倒レア・スピエルとか、そんなのは全然気にしていないの。貴女は私のためを思ってしてくれているのでしょうけど、この勝負に負けたからと言って、私が貴女に愛想を尽かしたりするわけないわ」
「しかし、レアは……」
「そうね、私は負けたわ。でもね、そもそも貴女を代表会に推薦したのはこんな事をするためではないの。きっと貴女にとっていい経験になると思ったからよ。貴女、いつも私の周りにばかりいるんだもの。少し他人と接した方がいいわ」
ハンナは頬を赤らめる。
随分と、心が楽になった。頭の中を必死に回転させて、あれも違うこれも違うとあらゆる可能性を疑って、確信を得られない事に不安を感じていたつい10秒ほど前が嘘のようだった。落ち着いている、澄んでいる、晴れている。
不安による恐れから後ずさるような思考から離れたハンナは、一つの答えを導いていた。
これ以外の答えは、考えられない。
大前提として、レアと接点のある者。
それに加えて、質問時点においてハンナから五メートル以内にいた事。一学年の女生徒である事。その上で、ライラ・ルゥジとリリア・エルリスではない事。
ハンナには、たった一人だけ心当たりがあった。友好関係の狭いレアだが、そのような人物がたしかに近しくある。
「——レア・スピエル、貴女です」
意外かもしれないが、実技と座学を平均化した時、レアの成績は平均を上回る。
この学園において座学と実技を同列に考えられる事はまずないため印象がないが、そういう見方をすればレア・スピエルは平均以上の成績を維持していると言える。さらに、魔導具の授業に関していえば学年最高峰なので、壊滅的な魔法実技の授業に目を瞑ればむしろ優秀な部類だ。
優秀を補って余るだけの不出来が学園で最重要な部分であるため常に退学の危機に見舞われているのだが、確かに平均以上の成績であるという表現はできる。
ならば、“答え”は一人しかあり得ない。それが、ハンナが導き出した解答。思えば、成績は平均以上なのかという質問の時点から、罠が仕掛けられていたのかもしれない。
ハンナはレアを見つめる。睨むのではない。先程までの荒んだ心はすっかり鳴りを潜め、穏やかにレアの答えを待つ事ができる。
「…………」
その場に集まる観客までもが、息を飲んでいた。
そして——
「ハズレです」
レアのその言葉は、驚くほど呆気なかった。
「——勝者、レア・スピエル!」
司会のナターシャが高らかに宣言する。観客は飲み込んだ分の息を全て吐き出すかのようなほどの大歓声をあげ、今この場にレア・スピエルありと学園中に知らしめていた。
疑う余地もない、敗北である。
「お疲れ様」
そう微笑みかけてきたリスリーに、ハンナは照れたような笑顔を返した。
「負けてしまいました」
それは先程までの苦しそうな表情とは程遠い、満面ではなくとも心からの感情である。
「“答え”はなんだったのですか?」
緊張のなくなったハンナが、穏やかに問いかけてきた。レアは、いつもの無表情で答える。
「貴女です、ハンナ・S・ムーアさん」
「まぁ」
予想外な解答だったのだろう。ハンナは目を丸くしている。
「一学年の女生徒ですし、ナターシャ先輩より背は低いですし、貴女の五メートル以内にいますし、とても優秀な生徒です」
「でも、貴女は“答え”を嫌っていないはずだわ」
「はい、何も間違っていません」
正直な事を言うと、わざとその質問をした。この勝負形式の中で、いずれ相手の質問を返すような場面になるだろうと言う事は容易に想像がついた。なので、ハンナが自分の事だと思わないような質問をあらかじめそこに置いていたのだ。ハンナが返してきた場合、勝手に勘違いしてしまうだろうと言う期待を込めて。
ハンナもそれを理解したらしく、クスクスと笑みをこぼした。それは自虐的なものではなく、卑屈さのかけらもない清々しいものだ。
「負けて気分が良いのは、初めての経験です」
「そうなんですか? 負けたのに気分が良いなんて変わっていますね」
「……私、やっぱり貴女とは気が合わなそう」
その後、代表会に配られた鍵を使って魔導具が開けられ、中に入れられていた“答え”の紙が確認された。どちらも不正を行っていない事が明らかになり、公開祭における代表会の仕事はひと段落といったところだ。
その後、ヴェルガンダとダライアスが模擬戦の続きをしようとするなどといった問題が起こったものの、つつがなく進行したと言って問題ないだろう。
この勝負によって、レア・スピエルの名は学園内外に広く知られる事となった。これよりも先、彼女の名を聞いて侮るような者は一人もいない。
エピローグは一時間後に投稿します




