彼女は飛びつく
よくもここまでと、感心していた。
リスリーは自尊心が高いが、決して他者を見下すような人物ではない。そのリスリーから見てすら圧倒的弱者であるレアが、今想像もしなかったほどの実力を見せている。
断じて、リスリーの目が節穴だったわけではない。見誤らず、正しく、彼我の実力差に天と地ほどの開きがある事は明白だ。ならば何故、瞬く間に勝負がついてしまわないのか。リスリーには羽虫を落とすほどの力でレアを下せる実力があるというのに、なぜレアは未だに健在であるのか。
それはひとえに、魔導具の力だ。
制限なく魔導具を扱えるこの状況下が、レアの最大限を出す事のできる理想的戦場。例えば対抗戦のように重量制限がかけられているわけでなく、アドミナとの神経衰弱の時のように使用制限がなされているわけではない。自由に、思う通りの魔導具を、好きなだけ使用する事ができる。日頃から魔導具を使い慣れている事から生中ではないだろうと予想していたが、それをしてさらに想像を上回るほどの実力であった。
リスリーですら、これほど卓越した制御は行えない。奇怪な特徴を持つ物を用いた奇策のみならず、王道を往くような物の正攻法といえる用途まで押さえている。単純な効率運用によって最高効率の出力を上げる。手持ちの魔導具が豊富であるという事もあり、凡百の生徒よりもよっぽど厄介な魔術師であるといえる。
しかしあくまで、たったそれだけ。
それは一般生に魔導具を持たせるだけで埋まるような差であり、ましてリスリーに肉薄するほどのものでもない。レアの勝利は、万一にもあり得ないのだ。
そもそもからして、この勝負自体がリスリーの有利なようにできている。
レアはただリスリーを下せば良いわけではなく、校庭まで連れて行かなくてはならない。力づくで行おうとすれば、気絶させる事が最も現実的な手段だ。リスリーがほんの少しでも動ける限り、なんらかの抵抗が予想されるためだ。完全に抵抗の余地をなくさなくてはならないというのは、決して簡単な事ではない。さらに言えば、引き分ける事も避ける必要がある。リスリー・ペル・イスマイルに対してそんな事ができる人物など、代表会を除いたらこの学園に何人もいるだろうか。
対するリスリーは、レアの攻撃を避けるだけで充分に勝利と言える。本当ならこの場で戦う必要すらなく、レアに背を向けて逃げ出しても良いのだ。リスリーにとってレアから逃げる程度そう難しいものではない。なんならここから飛び降りて、飛行の魔法で優雅に飛び立っても構わないのだ。自分一人くらいならば30分は空中で止まる事ができる。一学年でそんな芸当ができるのは、おそらくリスリーくらいのものだろう。
圧倒的力量差、絶望的実力差、そして驚異的状況差。何一つとして、レアに有利な点はない。
リスリーは腕を振るう。一見して優雅にも見えるその動作だが、触れればレアの身体を数メートルは弾き飛ばすだけの魔力が込められている。今この場に魔力を目視できる人間がいたならば、リスリーの卓越した魔力制御に息を飲んだ事だろう。
その攻撃を、レアは大袈裟な動作で回避する。
レア自身、決して体力のない方ではない。毎朝の走り込みは一日も欠かした事はなく、腕力はないまでも体力は人並み以上だろうと思われる。しかし、身のこなしについては素人のそれであると言わざるを得ない。
そもそもからして、レアの体力づくりは魔導具の使用に必要だからだ。レアがいくつか持っている魔導具の中には、高い効力を得る代わりに体力の消耗が激しい物がある。その運用を最大限とするため、どうしても体力が必要なのだ。それを思えば、レアがリスリーについていけないのも無理からぬ事だ。
ただでさえの実力差。それに加えての身体能力差。貴族として多くの教育を受けているリスリーは、当然運動面にも高い実力を発揮する。
さらに言うならば、レアは将来的に魔導具師を志望するはずだ。技術者と魔術師であれば、その間に実力差があるのは当然だ。この学園で唯一マティアスだけが例外であり、普通この常識は崩れない。
レアは、おそらく魔術によって強化されているのだろう平衡感覚によって、本来あり得ならざる姿勢で駆ける。手が床につくくらい体を倒し、しかし倒れずに駆ける。あまりにも無様で、不恰好で、それでもリスリーは彼女を評価する。その無様が不精によるものではないと知っているからだ。かつては、それを思い違っていたから無礼を働いてしまった。いくら身分差があるとしても、決して褒められた行動ではなかった。
だからこそ、決して手加減はしない。
「……!」
一歩踏み込む。雄々しく、華々しく、レアを追撃せんと踏み出す。
一切の加減なく、全くの手心なく、いともたやすく下してしまおうと駆け出した。
気がついている。レアは意味もなく隙を晒すような真似はしない。自らが隙のない行動を取れない事を知っているのならば、当然それを隠すために、あるいは利用するためになんらかの行動をとる。そういう小賢しい知恵を働かせる人間であると、リスリーは正しく理解している。
案の定、足元には木製の小瓶が転がる。対抗戦でハンナが行った搦め手。すれ違いざまに小瓶を転がす。自らの体を死角とする事によって転がす瞬間は相手から見えず、転がした後は足元であるため気がつきにくい。不意を打たれた相手は、無防備にその魔法を受ける事になる。
よく考えられた攻撃ではあるが、それは相手がそれを知らなかった場合の話だ。知っているならば、防御も回避もそう難しくない。リスリーは小瓶を蹴飛ばして、小瓶は見当違いの場所で魔法を発動させた。
たかだか、所詮は、その程度。
ほんの少し、蹴り飛ばすだけの時間を稼いだに過ぎない。それはたしかにレアがリスリーの方を振り向くだけの時間を稼いだだろうが、言ってしまえばそれだけだ。なんらかの策を立てる間もなく、あったとしても講じる暇はないだろう。精々がとっさに魔術を行使する程度。しかしただ真正面から魔法をぶつけたとしても、レアの実力ではリスリーを傷つける事はできない。
それを分かっているのだろう。レアはおざなりな反撃に出る事なく、柵を背にして構えをとった。背水とでも言うつもりだろうか。
右手に持った杖の先端をリスリーに向け、左手は楽にして肩よりも低い位置に添える。背筋は伸びて、しかし体幹を安定させるために、腰を落としてわずかばかり前傾に姿勢を保つ。どうやら自分から飛びかかるようなつもりはないようだが、リスリーからの攻撃を迎え撃とうという意思が感じられる。何一つ言葉を交わさずとも、リスリーにはハッキリと感じられた。
しかし、それも長くは続くまい。レアの息はすでに上がっており、肩がわずかに上下している。魔導具の副作用が出始めているのだ。前に魔法競技をした時は丸一日寝たきりになったらしい。ならば、レアの全力はそう長く続かない。
絶え間ない猛攻によって、その防御はあっけなく崩れる。リスリーにとっては大したものでなく、レアにとっては致命の猛攻。
一歩、踏み出す。レアの持つ魔導具を見れば、遠距離が愚策である事は明白だ。
変幻の砂状魔導具は、距離を取れば取るほどに厄介であると対抗戦で証明された。行動の隙を見ては辺りに小瓶を転がし、やがて一帯を自らの領域としてしまうだろう。だから、対戦者であったキューも接近戦を仕掛けた。当然その方が得意であるというのもあるが、一目でこの魔導具の厄介さを見破っていたのだ。
そして、戦闘一手目に行ったリスリーの魔法。あの目眩し程度の第三属性魔法を、レアは苦にする事なく容易くあしらった。大した力を入れているわけでもない囮の魔法ではあるものの、レアがあまりに簡単に弾いてしまったのは意外だった。当然それはレアが持つ魔導具の力なのだろうが、それは如何なる物による効果なのか。魔法競技で使われた出力を底上げするようなものであるならば気にする必要はないが、レア・スピエルが相手である事を思えば警戒が過剰であるはずはない。
レアが扱った魔法は、おそらく魔力干渉。
それは、一学年ではリスリーしか扱えない技術。代表会でいえば、二位シス・ハイネが得意とする。相手の魔力に比例した出力と卓越した技術力によって初めて扱える技術ではあるが、魔導具を最大に活用したレアならば扱えるのかもしれない。特に、目的が魔法の制御を完全に奪う事ではなく少し狙いをそらす程度なら、その難度は飛躍的に低下する。それならば、正面から魔法の打ち合いをするよりもはるかに低魔力で防御が行える。
故にリスリーは、レアに向かって踏み出す。持久力勝負でも負けるつもりはないが、しかしより面倒な方を選ぶつもりもなかった。魔力干渉ができないほどに強い制御をする一番簡単な方法が、距離を詰める事だ。単純な近距離戦によって、レアの思惑は脆く崩れる。
「さて、どうするのかしら?」
その距離こそが、必勝の一手。当然、初めからレアに勝利の可能性などないが、この距離はほんのわずかな抵抗すら許さない。
リスリーは手を伸ばす。一見して素早さも、力強さもない優しげな手だが、レアがなんらかの抵抗を見せた瞬間に転じる。それだけの力と、能力がリスリーにはある。
「どうする、つもりなのかしら?」
「…………」
リスリーの手が、レアの魔導具に触れる。杖の先端。押さえつけるわけでもなく、掴むわけでもなく、ただ触れているだけだが、たったそれだけの威圧感が無視できない。レアは微動だにせず、リスリーの問いに答える事もしない。
どうしようもない事だ。ほんの少しでも動けば、リスリーは容赦なく反撃に出る。これはそのための距離。
近づく事を阻止できないレアに、近づいた状況を打破する事などできるはずもない。
もし動くのならば、それは苦し紛れの抵抗でしかない。二人の間には、それだけの差が存在する。
「……っ」
「そう……そうくるのね……」
焦れたのか、レアが杖を手放して一歩踏み出す。不意打ちのつもりだろうか。まさか杖を捨てるとは思わなかったものの、その程度で遅れをとるリスリーではない。
充分な余裕を持って、レアの腹部を打ち付ける。拳は握らず、手のひらで衝撃を与えるように魔法を使った。
——しかし、やはりレア・スピエルは侮れない。
反撃を受けてなお、決して引き下がらない。それは勝機が見えなくとも立ち上がる不屈の闘志などではなく、勝ちを目前とした闘志だった。
ここを一番と判断し、この一瞬に賭けるつもりだ。この一瞬を越えさえすればいいという反骨の意思によって生み出された力に、本来圧倒的強者であるはずのリスリーが怯んだ。
それが分かれ目。
攻撃するでもなく、逃げるでもなく、防御するでもなく、レアはリスリーの背中に腕を回す。抱きつくような姿勢で、二人の体を密着させる。
「私の勝ちです」
レアのその言葉の次の瞬間、二人の体を浮遊感が包む。
全体重をかけ、レアはリスリーを引き倒したのだ。




