彼女は確信する
レアは、概ねハンナの“答え”に見当がついていた。これまでの質問も、ほとんどがレアの考えを補完するような答えを得られている。
得られた情報をまとめると。同学年であり、女生徒であり、ナターシャよりも身長は低く、ハンナはその生徒の事を嫌っておらず、成績が良い。加えるとするならば、ハンナが答えに詰まったところを見るにナターシャとの身長差はそれほど大きくない。あとアメリア・ローハークではないらしい。
レアの質問返しに対して「半径20メートル以内にいるか」と言った事から、おそらくその範囲内にはいないと思われる。もしもいたならば、それは対抗策にならないからだ。もちろんそこまで読んでの質問という事も考えたが、それはレアが気が付かずに質問を返してしまうと瓦解する賭けだ。「わざわざ危険を冒してまできわどい質問をした」のか「確実にレアの質問返しを拒否する手立てを講じた」のか、どちらだろうかと考えた場合に後者であると判断した。
つまり、見下ろせる範囲にはいないのだろう
ちょうど、レアの思っている人物もその位置からでは見当たらない。
質問の回数も七回目となるのなら、そろそろ攻めてもいいだろうかと思えた。ハンナは何やら自信ありげに質問返しを始めているので、その流れを切ってしまおう。これが勝負であると同時に代表会の出し物であるというならば、観客のために多少戦況に変化を持たせたほうがいいのかもしれない。
「私があなたと初めて顔を合わせたのは、代表会に任命されたあの時ですか?」
「!!?」
ハンナが、驚愕に目を見開く。まるで予想だにしていなかったろうという表情だ。
「そ、それは“答え”についての質問ではありません!」
ハンナが反論する。いや、ハンナだけでなく観客まで不安そうな表情をしている。判断がつかないのだ。その類の質問が認められるのか否かを。
「規定では「はいかいいえで答えられる質問」と定められていたはずです」
「そうね、何も昨日の晩に何を食べたかとか、胸の大きさとかを聞かれたわけじゃあないわ。勝負に関係のある質問であるならば、それは認めざるを得ないわね」
ナターシャが笑顔で応える。ナターシャはいわばこの勝負の主催。彼女の意思によってこの勝負は執り行われる事となった。規定も、内容も、彼女の意思によって決定したものだ。
ならば、逆らえる余地は一つもない。ハンナは、レアの質問に答えなくてはならないのだ。
「いい、え……」
いまにも歯ぎしりをしそうな表情で、ハンナは一言そう答えた。
この質問が、大きな分岐だ。今までのような細かいやりとりなどではない。小賢しい知恵や度胸の張り合いなどではなく、すでに相手の喉元に手をかけたような状態。あとはジリジリと、その指に力を加えていくのだ。
「……その生徒は一学年ですか?」
低く唸るように、ハンナが質問する。この状況を正しく理解しているためだ。
「はい」
対するレアは平然としている。これもまた、状況を正しく理解しているためだ。
これからレアが首を締めるというのに、ハンナはいまだレアの首に手をかけられないでいる。先ほどまで余裕を見せていただけに、途端に返されてしまった有利に動揺を隠せないでいた。
現状“答え”からは程遠いのだろう。だから、当たり障りのない堅実な質問をするしかないのだ。
「その生徒は校舎の中心よりも上の階にいますか?」
「…………!」
この質問には、観客も息を飲んだ。
これまでの質問は“答え”が誰なのかを確かめるためのものであった。しかし、この質問は“答え”の居場所を探るためのものだ。ハンナが行った「20メートル以内にいるのか」という質問は見える範囲にいるのかを確かめて“答え”を絞ろうとしてのものだが、これは見えない範囲を指定しているのでその意図ではない事は明らかだ。“答え”が明らかであるのなら、この質問は非常に有効なものであるといえる。
そして何より、この質問は返す事ができない。“答え”が20メートル以内にいるという情報を得ているハンナにとって、この質問は全くの無意味であるからだ。
「は、はい」
それは、見るからの動揺。
レアは、ここから全ての質問で同じ類の質問を行うつもりだ。
「その生徒は、女性ですか」
「はい」
どうやら、ハンナはレアの行った質問を繰り返す事にしたようだ。はじめに遅れてしまった分を、仕方がないのでこの場で取り戻そうというのだろうか。しかし、これは苦し紛れに過ぎない。現状の質問に食らいつく事ができない事を誤魔化すために、せめてレアとの差を開かせないために質問をしている。巡らされた頭脳によるものではなく、直感に従った選択でもない。思考が及ばない事への言い訳として、辛うじて無意味でない質問をしているだけだ。
「その生徒は、偶数番号の塔にいますか?」
校舎は五つの塔が五角形を形作っている。この質問は、その中の第二塔か第四塔のどちらかにいるのかというものになる。
「いいえ……」
着々と、範囲が狭められている。ハンナはそれに焦りを感じていながら、どうやらまともな対策を立てられないようである。
「その生徒の事は、お嫌いでしょうか」
「いいえ」
またも、レアの質問を返すだけ。
レアが行ったような優位を維持するためのものではない。その後にハンナが行ったような自信の表れでもない。何も思い浮かばないからと言って、思考を半ば放棄した後ろ向きな行為だ。そこにはせめて食らいつこうという精神の元であるならばいざ知らず、今のハンナはどうか離れてしまわないようにと震えている。
あまりにも弱々しい。とても、勝負しようという人間の精神ではない。
だが、どうも違和感があった。
レアは、ハンナとそれなりの時間を過ごしてきたように思う。対抗戦の際は練習に付き合っていたし、公開祭の準備も同じ班だ。学年が同じという事もあり、度々合同の授業も実施される。同室のライラやリリアを除くなら、レアにとってだいぶ親しい部類に入るだろう。もちろんレアの交友関係が狭いという事もあるが、それでもある程度の付き合いであると自負している。
そのレアが、ハンナの行動に違和感を覚えた。
ハンナ・S・ムーアは、こんなにも弱い人物だったろうか。それは魔法的意味ではなく精神的意味で。それは肉体がという意味ではなくその心が。
多少都合が悪くなった程度で、ほんの少し状況が悪化した程度で、そんな程度で今にも泣き出しそうな表情になってしまうほど弱かったろうか。対抗戦に見せた驚異的な粘りは、果たして幻想だったろうか。どんな事をしても覆し難い実力差であったキューとの闘いで見せたあの超人的な気力は、果たして幻だったろうか。
レアが今まで受けた印象からすれば、ハンナ・S・ムーアという少女はこんな目をするような人物ではない。敗北が近くなれば近くなるほど、その瞳に炎を宿らせるような少女であるはずだ。
この印象差が何を意味するのか、現状では判断がつかない。
「その生徒がいるのは第三塔ですか?」
「……はいっ」
なんて苦しそうな声を出すのだろう。ハンナはもはや、レアの方を向く事すらできていない。
「…………」
「ハンナちゃん、質問は?」
とうとう、ハンナは黙ってしまった。もう、レアが行った質問の中で、ハンナが返して意味のあるものは一つもない。勝負が始まってから度々行われた質問返しという策によって、質問できる内容がなくなってしまったのだ。ここからは、ハンナ自身が質問をしなくてはならない。すでに半ば思考を放棄してしまったハンナ自身が。
「ハンナちゃ〜ん、お〜い」
「…………」
ナターシャが声をかけるも、ハンナは何か行動を起こす事はない。微動だにしないとすら言える。
しかしこの勝負、このままには終わらない。いくら消沈しているとしても、彼女はハンナ・S・ムーアなのだ。圧倒的な身体能力を持つ猫獣人のキューを相手にしてあれほどまでに食らいついた少女は、消沈したからと言ってそのままになるようなタマではない。落ち込んで泣き出してしまうような儚い少女であったならばいざ知らず、彼女に限っていればそんなはずは断じてない。
これは、ある意味では信用だ。レアはハンナの事を信用している。
「…………っ」
やがて、ハンナが瞳を動かして辺りを見回す。落ち込んで肩と顔を落としたままだが、ゆっくりとした動きで周りを確認し始めた。
「私から……」
「……?」
「私から……10メートル以内ですか?」
耳を済まさなければ聞こえないほどの小さな声で、ハンナは質問をした。拡声魔導具がなくては間違いなく聞き逃していただろうが、幾つか振りの鋭い質問だった。
「その生徒は、私から10メートル以内にいますか?」
前にされたものと似通った、それでいてとても効果的な質問だ。




