彼女は思考する
ハンナが立てた「レアは友人に嘘をついてまで勝負に勝とうとする性格ではない」という前提は、確かに間違えていないはずだ。事実、ライラとリリアは自分たちが“答え”でない事を知っていた。
ならば、ハンナが聞いたレアの言葉はなんだったのか。あの言葉は、ハンナの聞き違いや勘違いだったのだろうか。
いや、これも違う。ハンナの魔術によって高められた聴力をもって、確かにハッキリと『答えは二人の内片方』であると言っていた。これに間違いはないとハンナは自信を持って言える。
ハンナは、一週間ほど前の授業を思い出す。
レアが教材に落書きをしていたと、マクミランに見咎められていた時の事だ。本来であればあり得ならざる行動であるために、ハンナはその事をよく覚えていた。いくらレアが劣等生であるといってもこんな事をするのかと、心底呆れかえった。
だが、その認識は正しかったろうか。いくらなんでも、そんな事をするだろうか、不自然ではないだろうか 。レアは、座学に限って言えばそれほど成績が悪いわけではない。流石にリスリーやリリア程とは言わないが、それでも落第とまではいかないだろう。
そのレアが、なんと教材に文字など書き込むだろうか。不真面目ではあっても不謹慎などではないレアがそんな行動を起こすのは、いかにも不自然ではないだろうか。
そしてようやく、ハンナは気がつく。あの時は確か「違」という文字が書かれていたのではないだろうか。
何が「違う」のか。教材の内容なんかではない。レアは、自らの言葉を否定していたのだ。
自分のなんという言葉を否定していたのか。単純だ『“答え”はお二人の内から選びます』という言葉を話しながら、手元では文字を書き連ねていたのだ。自らの言葉が偽りであると。これならば、事実を誰にも知られないままに会話する事ができる。
ハンナは、これで大きく出遅れた。レアは「同学年である」事と「女生徒である」事の二つの情報を有しているにも関わらず。ハンナは全く情報を手に入れられていない。精々が「ライラでもリリアでもない」事くらいだが、その程度ではまるで情報と言えない。なにせ、絞り込めていないのだから。
「次はレアちゃんの三回目ね」
心底楽しげに、ナターシャが進行する。
「その女生徒はわたしと親しい相手ですか?」
「いいえ」
即答だ。一秒でも早く、次の番が欲しい。
「次はハンナちゃんの三回目よ」
「…………」
さて、ここで何を言うべきだろうか。何を言えば、レアを出し抜けるだろうか。
同じ質問をしていてはいけない。それでは同じ情報しか引き出せないため、ここから先の全てを後手に回る事になる。それでは勝利する事ができない。
つまり、レアが情報を得ていない方向から攻める必要がある。
「身長はナターシャ先輩より高いですか?」
これはうまい質問だろう。ナターシャは特別背が高いわけでも低いわけでもない女生徒だ。ならば、ここを基準として考えればうまく対象を絞れるのではないだろうか。
「いいえ」
これは即答。ならば、その身長は明らかにナターシャよりも低いという事だ。もしもどちらが高いか分からないのなら、少し悩むか分からないと答えるはずだからだ。即答できたという事は、つまり見るからにナターシャより低いに違いない。
となれば、同学年以上ではないものと思われる。もし同学年であったのなら目立って背が低い生徒。男子生徒であったのならもっと下の学年かもしれない。
この絞られ方は、レアの質問ではなされなかったものだ。
ハンナは内心ほくそ笑む。
次はレアの質問。これ以上遅れる事のできないハンナは、ここから先は一切気が抜く事はできない。
「身長はナターシャ先輩よりも高いですか?」
「……!!」
ハンナと、同じ質問。
恐らく、レアも分かっていてやっている。これならば、レアは常にハンナと同じ情報を得る事ができる。
レアが同じ質問を続ける限り、ハンナがレアよりも先んじる事は永遠にない。
「……いいえ」
失敗した。この答えは、毅然とした態度で平然と答える必要があった。
一瞬の逡巡。その後の自信なさげな答え。そこから導き出されるのは「似たような身長なのだろう」と言う事だ。どちらの方が高いか分からずに、恐らくそうだろうという方を答えた。レアにその情報を与えてしまった。
これはまずい。四学年のナターシャとそう変わらない身長の一学年の女生徒となれば、もうほとんど指で数えられるほどしかいない。ともすれば、レアはあと一回か二回のうちに“答え”を完全に絞り込んでしまう事だろう。対して、ハンナは全く“答え”の見当がついていない。
次はハンナの番。この質問で絞り込まなくては、レアの先を行く事はできない。
成功すればハンナの有力な情報となり、聞き返されても対して相手の役には立たないような質問をしなくてはならない。
——一つ、思いついた事がある。これは一種の賭けではあるが、やらない選択肢は存在しない。
「その人物は、私から20メートル以内に存在しますか?」
20メートル。これは、舞台の周りに集まった観客が概ね全員集まっているくらいの範囲だ。
「はい」
「……!」
笑みが、溢れた。
これで大きく絞り込む事ができた。現在見える中に“答え”がいるという事は、実際の人数以上に大きな意味がある。もしもハンナが知らない相手が“答え”であったとしても、最低限の推理が可能となるからだ。
そして、この質問はレアに仕返されても痛手とならない。なにせ、ハンナの“答え”は範囲内にいないからだ。それでは、ほとんど絞り込めない。
確かに、賭けではあった。しかし、全く根拠もなく適当な事を言ったわけではない。“答え”に親しい相手を選んでいるのならば、この勝負を見に来ている可能性は充分あると考えていた。もちろん、自室から見ている生徒もいるので確実にとは言えないが、そこまで悪い賭けではないと思えた。
「……その生徒の事はお嫌いですか?」
「いいえっ」
わずかに顔が引きつってしまう。
レアはハンナの考えに気がついたらしく、今度はハンナと違った質問をした。愚かしくも同じ質問をしてくれれば尚良かったが、こればかりは仕方がないだろう。どちらにしても、ハンナの思惑は充分に達せられたのだから。
これで、悶着状態からは脱した。それどころか、ほぼ対等にまで巻き返したと言ってもいい。敗北の目は初めから無かったとしても、レアに上手を取られているのは腹立たしい事この上なかった。
しかし、次の質問をどうするか。現状では、レアの“答え”はまだ見えていない。レアは絶対にハンナの“答え”にたどり着く事ができないので、言ってしまえば時間はどれだけでもあるのだが、あまり時間をかけて泥仕合を見せればレアどころかハンナの評価にも影響する。
ハンナはレアを惨めに下す事が目的なのだから、ただ長くグダグダと勝負をするのは目的にそぐわない。
ならば、より鋭い質問をしなければならないだろう。
その点で言えば、確かにレアは馬鹿じゃあないように思える。これまでの全ての質問は的確に“答え”の範囲を絞れており、始めに言った「アメリアが答えなのか」という質問ですら理にかなっている。
その質問は確かに確認しなければならない事であり、それでいて恐らくは偽りであるだろうとあたりをつけていたように思う。もしも本当にどちらか分からないのなら、質問という形ではなく回答をすれば良かったのだ。質問がもしも正しかった場合は回答が次の番になってしまうが、回答ならばその時点で勝利する事ができるのだから。
ならば、ここで甘い質問をするわけにはいかない。少なくとも、観客からは鋭く見えるようなものでなくてはならない。ハンナは勝利を確信しているのでそこの心配はしていないが、より圧倒的にレアを下した印象を与えるにはこれ以上後手に回るわけにはいかない。
「その生徒の事はお嫌いですか?」
ハンナが選ぶ最も鋭い質問はそれだった。同じ質問を返す事。レアにされた事を、ハンナもそのまま行った。
「いいえ」
この質問は確かに鋭い質問であり、しかもそれを返すという行為は観客への印象も悪くない。つまりは自信の表れだからだ。同じ情報を得る事ができれば勝つ事ができるぞという、相手への挑戦だ。
レアが行った時は、ハンナよりも先んじているがための自信だった。しかし、ハンナはレアと対等の位にたったうえでの自信だ。ここには、明確な差が存在する。
観客が受ける印象が、全く異なる。ハンナがとるべき方向性が決まった。
そしてレアの番。
「その生徒の成績は、平均よりも高いですか?」
「はい」
臆せず、奇をてらわず、鋭い質問をする。レアの事なのでハンナの意図を読めないわけではないのだろう。となれば、これは挑戦状に他ならない。
正面からの殴り合いだ。さながら、息がかかるほどの近距離で行われる非魔法戦。一度相手を殴りつけるごとに自らの拳も傷つけてしまい、やがて攻撃と自傷の垣根はなくなる。防御の余裕は互いになく、ただ捨て身で相手に打ち込むような、そんな闘い。
望むところだと、ハンナは身構える。当然体に疲労や痛みなど起こるはずもないが、それでも身構えずにはいられない。
「その生徒の成績は平均よりも高いですか?」
「はい」
即答。ここから判断できるのは、レアがその生徒の成績を当然のように知っているという事だ。
ただ、ハンナが同じ質問を返す事を知っていたのだとすれば、考える時間は充分にあった。自分が質問する段階からすでに答えを用意できるからだ。そうなれば、答えるまでにかかった時間は大した問題じゃあない。
唯一そこだけが、ハンナが不利になってしまう点。レアはハンナが答えるまでにかかった時間も考察材料にする事ができるが、レアはどんな質問でも即答する。
しかし、それがなんだというのか。
たかだかその程度で、ハンナがレアに敗北するというのか。
断言するならそれはない。ほんの僅かな有利不利程度で、覆せるはずなどないのだ。ハンナは確信していた。この勝負が終わったその時に、笑っているのは自分であると。




