彼女は罠にはめる
会場は、一瞬で騒然とした。
質問があまりに限定的で、まさか一番目の質問としてされるとは思ってもみなかった。
そして、なぜ回答ではなく質問という形にしたのか、その時点から理解ができない。何一つの情報なしに宣言してしまうほどに自信を持っているのなら、一度目から回答してしまってもいいはずだ。自信がないのなら、質問によって情報を集めればいいはずだ。その中間のどっちつかずの行為には、どうにも首を傾げてしまう。
だが、ハンナだけはその意図を理解できた。それは、ハンナの意思が正しく働いた結果であるためだ。
「いいえ」
ハンナは、その短い茶髪を軽快に揺らして首を振る。
会場は、再び言葉を失った。
的外れであるならば、なぜそんな質問をしたのかと。何か根拠か確証があっての事ではないのかと。
しかし、全てはハンナの策略にはまった結果だ。レアはまんまと醜態を晒してしまう事となった。これによってレアが動揺したりはしないだろうが、周りからの評価は間違いなく落ちた。あまりにも間抜けだ。
しかしレアとしては、可能性を潰す必要があったのだ。アメリアでない事を確認しなければならなかった。レアは、ハンナとアメリアの会話を聞いていたのだから。
そもそもから言えば、ハンナがわざと聞かせたのだ。「接点のない相手の方が“答え”だと思われにくい」という風な話をアメリアにしていたが、全てデタラメだ。実際には、レアたちの部屋の真上だったから選んだにすぎない。わざわざ窓を開けレアに聞こえやすいように取り計らった。聴力に優れるレアならば、意識せずとも聴き取れてしまうだろうと考えての事だ。ごく自然な会話を心がけ、自分以外の誰にもこの事を知らないように注意もしていた。当然、アメリアですら知らない。ハンナの紙には、全く違う人物の名前が記されている。
そして、実際にレアはこの罠にかかった。ともすれば事実かもしれないという可能性を、捨て切る事ができなかったのだ。
ハンナは口角が釣り上がるのを抑える事ができなかった。レアが悔しさに顔を歪めていればもっとよかったが、あいにくいつも通りのスカした顔をしている。もう間も無くその表情も崩れてしまう事だろうが、唯一それだけがハンナを不快にさせた。
「ハンナちゃんの番よ?」
司会のナターシャが声をかける。
このナターシャもレア側である事は分かっているため、警戒が必要だ。レアを代表会に入れたのはナターシャの独断であるらしいし、レアの義母と師弟関係なのだという。この勝負ならば心配はないが、何か際どい判定の時は常にレアに傾けるだろう。常に隙なく、明らかに勝利する必要がある。
ならば、ハンナが行うべき事は一つだ。
「回答をします!」
劇的に、そして衝撃的に勝利するのならば、この場で宣言するほかない。レアが攻めの姿勢を見せた次の瞬間に、より一歩踏み出した行為によって勝利する。これがもっとも劇的だ。
しかし、本当に回答など用意できるのだろうか。それがなければ、強気な態度もたんなる粋がっただけの小娘でしかない。
当然、用意せずにそんな馬鹿な事をするはずがない。レアが回答をしたのは、(本人が意図しない形とは言え)ハンナの会話を聞いていたからだ。ならば、当然その逆も成り立つ。
ハンナはレアほどの聴力を持っているわけではないので階下の会話を聞く事はできないが、代わりとしてレアよりも魔法技術がある。リスリーやリリアほどとまではいかないが、充分学年上位といえるだけの実力を持っている。魔術による聴覚強化によって、多少離れた場所の声を拾うなど造作もない。
その程度だ、レアの実力など。魔術で補助すれば必要なくなる程度の能力。
必要となる場面など、魔術の仕様が禁止されるような限定環境下のみだ。
ならば、本来評価に値しない。魔法などという理論上万能の力を持ちながら、それを抑えてまで特に注目すべき力など何もない。
「回答なら、その人を連れて来るのね?」
ナターシャが問う。ハンナの考えがわかったからだ。まだ始まったばかりのこの瞬間が一番の勝負どころであると、理解しているからだ。
だが、考えが分かっても答えを予想できていなかった。
「いいえ、連れて来る必要はありませんね」
「あらあら、どういう事なのかしら」
あの日、ハンナは確かにレアの話を聞いていた。レアは周りに誰もいない事を確認し、直上のハンナに気がつかなかった。本来誰にも聞かれてはならないような言葉を、ハンナは確かにこの耳で聞いた。
それは、非常に幸運だった。確かにハンナはレアのレヤの会話を盗み聞くつもりでアメリアの部屋を訪れたが、まさかちょうどその時に“答え”についての話をしているとは思ってもみなかった。
ハンナは知っているのだ。確かに、その“答え”を。
「ライラ・ルゥジさん。あなたを宣言します」
「……!」
ハンナとレアが立つ壇の足元すぐの場所にいるライラが目を見開いた。隣に立つリリアを顔を合わせる。
すでに会場にいる人間を宣言するならば、わざわざ連れてくる手間は存在しない。
あの日、レアは確かに話した。『“答え”はお二人の内片方です』レアの性格から考えれば、勝負に勝つために友人に嘘をつくような事はしないだろう。ならば、その言葉を聞いた時点でハンナの勝ちは確定した。
ライラとリリアのどちらなのかは分からないが、この場は賭けに出て正解であると判断する。どちらにせよ、二回以内に勝利する事ができるという事実に変わりはない。半分の確率で劇的な勝利をするか、残り半分の確率で単なる圧勝かの違いでしかない。
ならば、どうだと。ハンナはレアの答えを待つ。
いや、待つというのは大袈裟かもしれない。実際には別にもったいつけられたわけではなく、ハンナの錯覚があたかも長い時間であるかのように感じさせているだけなのだ。
忌々しいレア・スピエルを排除する事ができる瞬間を、無意識のうちに心待ちにしているのだ。
「ハズレです」
平然と紡がれたその言葉。いきなりの回答という事態にも動じないその態度が、あまりにも腹立たしくて仕方がない。
しかし、動じないという点ではハンナも変わらない。当然だ。なにせ、動じる必要などなにもないのだから。
「おや残念」
口元に笑みをたたえ、余裕の表情でそう言った。
「次はレアちゃんの二回目ね」
さて、唯一の懸念があるとすればここだ。ハンナはレアの“答え”がリリア・エルリスであると知っているが、それを答える事ができるのは次の番になる。これはレアが行う最後の番であるが、その最後が好機とならない保証はない。ハンナはレアが“答え”にたどり着く事などないと自信を持って言えるが、今までの小賢しさを思えば何か卑怯な方法でハンナを貶める可能性がないとは言えない。
果たして、レアは何をするのか。
「質問をしましょう」
勝利だ。
ここで回答をしないのなら、ハンナが敗北する可能性などありはしない。
「“答え”は同学年の女生徒ですか?」
なかなかに鋭い質問だ。一番可能性のありそうな選択肢を優れた観察眼によって判別し、質問によって確定させてしまおうという作戦らしい。
それは本来であれば褒められたものだ。一つずつ行うべき質問を二つ織り交ぜていくという事は、外さない限り二倍の速度で答えにたどり着けるという事に他ならない。凡百の人間には真似できない高度な観察能力を持ってして初めて行える策である。
その点を考えるのならば、確かにレア・スピエルは優れた人間かもしれない。他者にはない能力を持っていると言えるのかもしれない。だが、優れた魔術師でない事は明らかだ。なれば代表会としての椅子を速やかに明け渡し、魔術師とは無縁の優れた人間として生きていく事こそ分相応というものだろう。
「はい、その通りです」
この言葉には意味がない。確かにレアは一回の質問で二つ分の情報を得たが、それを活かす事ができる機会は訪れないからだ。
「次はハンナちゃんの2回目よ」
「リリア・エルリス」
全く考える時間なく、ハンナはそう答えた。たった二度、この勝負を行う上で想定されていただろう時間よりもはるかに早い段階の決着。もしかしたら、この後の日程に響いてしまうかもしれない。しかし、ハンナはそんな事をいちいち気にするつもりはなかった。
勝利のためだと、そう考えて。
「……凄いですね、レアさん」
「?」
その声は、今しがたハンナに宣言されたリリア・エルリスから発せられた。
「ええ、全く言った通りですわ」
その声は、さきほどハンナに宣言されたライラ・ルゥジから発せられた。
「ハンナさん、言った通りに私たちを宣言しましたわ」
「聞いてはいましたが、やっぱり驚きますね」
二人は顔を見合わせて、同じような表情を浮かべている。すなわち、驚愕であると、そう言っているのだ。それと同時に、誇らしげでもあった。自らの友人が何をしたのかを理解し、二人でその事を確かめ合っている。
「…………」
ハンナは言葉が出なかった。まさか、まさか、出し抜かれたのだろうか。自信満々に二回連続で宣言を行った自らは、もしや滑稽な道化だったのだろうか。
油を差していないからくり人形のような動きで、ようやくレアを見る。レアの口から紡がれた言葉は、やはりハンナを嘲笑うような言葉だった。
「ハズレです」
この瞬間、ハンナはレアに大きく出遅れる事となった。




