彼女は実習する
入学から一週間。
わずか一週間で、レアにとって最悪の日がきた。
「とうとう実習ですわ!」
待ち望んでいた。そう言わんばかりの発言はライラのものだ。
レアとは対照的に、今日を楽しみにしていたらしい。いや、ほとんどの生徒はライラと同じなのだ。レアのみが例外である。
現在の場所は第一棟と第三棟の間を繋ぐ廊下(第二廊下と呼ぶらしい)の二階にある『第三実習室』だ。
棟同士を繋ぐ廊下は単なる渡り廊下ではなく、多くの教室が立ち並んでいる。棟にある部屋だけでは部屋数が足りないらしい。
内装は簡易的なもので、机はおろか椅子すらも部屋の後ろに並んでいるだけだ。黒板もない。
今回は心配ないだろうが、魔法には危険なものも多いため、邪魔な物を排してできるだけ部屋の広さを確保しているのだ。
「今日は簡単なものですけどね」
肩を落とすレアの隣で、リリアはよく落ち着いている。ただしその言葉は、レアの気を休めるにも、ライラの興奮を治めるにも、どうやら不充分のようだった。
「……ぁあ」
声にもならないその音は、まるで魂が体から出てしまっているようだ。そんな風に自虐するのは、別に落ち着いているからではない。どちらかといえば現実逃避からだと自覚している。
「何をしてるんですか? もたもたしてはいけませんわ、授業中ですもの!」
今回行う魔法は『ファイア・ボール』。
九等級の魔法だ。これを一定以上の力で維持し続ける事が課題となる。
等級が一桁台の魔法は難度と危険度が相応であると判断されたものであるため、行使には特定の免状が必要になる。
魔法学校の生徒証は、教師免許を持つ人物の監督下、または学園の敷地内で許可されている場所において七等級以下の魔法の行使を許可されたものだ。『ファイア・ボール』は九等級であり、一桁台では最低の難度であるため、学生でも使用することができる。
必要ないのに
レアは眉間に皺を寄せる。座学だけならばそれなりに自信はあるというのに。
「復習します! 大切ですから」
ライラは腰に手を当てて、レアとリリアに講義を始めた。
貴族でなかったなら、将来教師になってもいいのではないだろうか。レアは教卓に立つライラの姿を想像して考えを改める。教師にしてはかしましい。下らない空想が単なる現実逃避であることなど自覚済みであるが、それでも辞める気はない。
「燃焼の三要素は?」
二日前に習った化学の基本だ。原理を学ばないことには、その現象を起こすことはできない。
「酸素の供給と、燃焼物と、点火物です」
それらの要素を魔力で補うことにより、現象を起こす。この場合は火を起こすことになる。
「では燃焼とは何です?」
「激しい光と熱を伴う酸化現象のことです」
ライラはにっこりと微笑む。
他にも学んだことは多くあるが、『ファイア・ボール』ならばこの二つさえ押さえれば概ね事足りる。
「静かに」
ピシャリと。
初めての実習に湧いていた室内は、凛としたその声に静まり返った。
教室の正面。
教卓の位置に立つのはレアたちのクラス担当のトロント・マクミランだ。若干21歳という若さで『王国研究院名誉研究者』であり、今日の魔法界の一端を担う新鋭だ。
端正な顔立ちと落ち着いた態度が素敵であると、マセた女子生徒に密かな人気を博している。
「第二属性は危険度が高いので、扱いには注意が必要です」
10分ほどの復習と注意事項の説明の後、ようやく実習が開始する。
注意と言っても簡単なものだ。肩より高く火の玉を上げてはいけない。耐熱性の手袋を着用する事。他生徒とは人一人分以上の距離を離して行う事。どれも当たり前の事だ。
第二属性とは火の事で、全十属性の中で最も操作が簡単なものだ。
そのため魔法操作を覚える練習に適しているが、その反面とても危険なので、扱いには注意が必要になる。この学園では、低い等級の魔法であったとしても教師の監督がなければ使用できないことになっている。
「どうです!」
自信満々なライラが一言。確かに見事に炎の玉を維持していたが、それをレアに見せるために気を取られたために霧散してしまった。
「あぁ……!」
「集中力不足ですよ」
ライラは不機嫌そうに頬を膨らませる。腰に手を当てていかにも「不機嫌ですわ」と言いたげだが、わざとらしすぎて逆にそうは見えない。
「……できました」
今度はリリアの声だ。
ライラと違い、集中力不足で火を散らしてしまわないように絞り出すような発言であったが、二人は聞き逃したりしなかった。
振り返ると、確かにリリアの手の上に火の玉が維持されている。力強くメラメラと揺れており、手を近づけると確かな熱を感じる。見た所、課題を達するには充分に思える。
「さすがはリリアさん! 私もお友達として鼻が高いですわ」
「凄いですね、完璧じゃないですか」
二人の言葉は世辞などではなく、間違いなく本心によるものだ。周りを見ても、リリアほど制御出来ている者はいない。それどころかほとんどが火の玉を出そうとしている段階で四苦八苦している状態だ。
リリアの火の揺らめきが大きくなり、やがて形を保てずに消えた。維持できた時間を考えれば、今トロントに見せたとしても合格をもらえる事だろう。
しかしリリアは不満げにレアとライラを睨む。
「やめて下さいよ、恥ずかしいじゃありませんか」
そしてすぐに目を逸らして顔を赤らめる。
「……すみません」
なにやらレアまで照れてしまい、ボソボソと謝罪する。なぜ謝っているのか、当人すらわからない。
それを見てライラは満面の笑みを浮かべる。
「私のお友達はお二人ともとっても可愛いですわ!」
その言葉に何も返す事ができず、二人は赤くなった顔でライラを睨む。
だが、ライラに気にした様子がないのを確認すると、仕方がないのでため息だけ吐いておいた。二人で同時に、同じ長さだ。
そのあとは何事もなく練習に戻る。リリアはもう充分ではあるが、真面目な彼女は時間いっぱいまで練習を続けるらしい。
「……お二人とも随分お上手なんですね」
それは小声で呟いた独り言だ。
二人の魔法行使をしばらく観察していたレアの口から出た、自虐を含む本音であった。
「レアさんは苦手なんでしたっけ?」
全く悪意のないライラの言葉だが、レアの心にわずかに刺さった。
「はい……」
だから返事はため息交じりだ。
「でもレアさん、さっきからずっと維持しているじゃないですか」
リリアがレアの右手を指差す。
確かにそこには、二人と話しているにもかかわらず形を維持し続ける火の玉が浮かんでいる。とてもではないが、苦手などと言える持続時間ではない。
「こんなのじゃあ、三年間維持し続けたってダメダメですよ」
そう言って火の玉を握りつぶす。その動作でリリアはレアの言葉の意味を理解したが、ライラは首を傾げていることからどうやら理解からは遠いようだ。
「火の力が弱いんですよ」
レアのそれは、リリアの物のように力強い熱を出したりしていない。
メラメラと揺らめくのではなく、これは今にも消えてしまいそうな危うさだ。本来炎として形成されるべき段階にない物を、魔力によって強引に維持しているに過ぎない。これでは何かに触れた瞬間にかき消えてしまうだろう。
今度は左手に火の玉を作る。これも作るだけなら問題ではなさそうだが、やはり弱々しさがぬぐえない。
「制御は特に問題ないのですが……」
そう言って火の形を変化させる。一見すると槍のように細長い物だが、見た目通りの使い方をしたのならたちまち姿を散らせてしまうに違いない。
例えば、水の入ったバケツを想像した時、そのバケツの大きさが術者の力量であり、入っている水の量が魔法の強さだ。火の形を変化させるのはそのバケツを動かす動きで、形状の維持はバケツの高さを保つ動作だ。
想像すればわかると思うが、バケツを動かし続けるよりも高さを維持する方が疲労が溜まる。肩が凝ると言えばいいのか。
形状の維持とはそういうものだ。
「課題は来週まで。私の追試は確定のようですね」
ため息ひとつ。しかしそれは分かっていたことなので、別段気落ちしたというわけでもない。
しかしどうだろう。結果が出ないと分かっている努力を前に、人間の集中力がそう長く続くものだろうか。当然のように、レアの「訓練」はやがて「遊び」へと移っていくことになる。火の玉を作る単調な作業から、様々な形に変化させる試行錯誤へと。
「ふむ」
やはり生き物のような細かい形状は難しい。
形を正確に想像し、それを表すのは至難だ。どれほど鮮明に思い出せる景色だろうと、それを絵に起こすには技術が必要なのに似ている。
「むむ」
ならば三角四角など、単調な物で練習をしてみようとするも、これもまた上手くいかない。そもそも、火のように絶えず動き続けるようなものを固定しようというのが間違いだ。
これが水や土であったなら話は変わってくる。
「んー」
そして結局火の玉に落ち着く。それをジャグリングさせたり、できるだけ複雑な動きを与えたりというのは、レアの力量に合った遊びだ。
「まあ、レアさんお上手」
ライラが小さく拍手をする。
レアはお調子者というわけではないが、そう期待されたのならばと、いつになく乗り気で火を動かしてみる。
初めは先ほどのように細長く成形する物だ。
ただし、今度は槍ではなくいわば鞭のようにしなやかな動きを与える。そしてそれで円を描き、さらにそれを回転させて球を作るのだ。
「やあ、上手いものですねえ」
そして、リリアからも声が漏れる。
ならばこれはと、作った球を変形させて、もう少し複雑な形に挑戦する。
至る所を尖らせたり、逆に曲線的にしてみたり。二人からはその度に声が漏れている。行っているレアにしても中々楽しいもので、つい熱中と言わないまでも集中しすぎる結果になった。
そしてそれは不運なことに——
「楽しそうな事をしているね」
——と、トロント・マクミランに声をかけられるまで、背後に立たれている事に気がつかないほどであった。
レアは「補習」という言葉は聞き慣れる学園生活になる事だろうとは覚悟して入学したのだが、まさか試験前から言い渡される事になるとは夢にも思っていなかった。