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彼女は注意を受ける

「レア・スピエル!」


「……はい」


 授業中。

 ハンナの学級は、あの忌々しいレア・スピエルと合同授業を行なっていた。


 本来ならほんの一瞬たりとも視界に入れたくない手合いではあるものの、授業という事であれば不自然に避け続けるわけにはいかない。

 奥から詰めて座った結果、レア・スピエルはハンナの正面やや左の位置に座った。どうしても視界の端に映り続ける忌々しい存在に苛立ちながら、どうにも集中できない時間を過ごしていた。


 そんなレアを、担当教員のトロント・マクミランが怒鳴りつけた。


「なんだこの教材は!」


「うぅん……すみません……」


 ハンナの位置からでは見えないが、どうやらレアの教材に問題があるらしい。


 教材は、全て学園から支給される貴重品だ。薄く、それでいて頑丈な紙を何百枚も束ねた本を全校生徒分用意する学園の財力と技術力には驚くばかりだ。

 しかし、学園の財力をもってしても教材をもう一度提供する事はできない。一学年と二学年の二年間、三学年から五学年の三年間、同じ教材を使用する。そして、教材はそれぞれの期間でたった一冊ずつしか支給されない。

 その一冊目は無償であるために、リリアのような民間人でも能力があれば授業を受けられるが、その一冊を無下に扱うのなら教材のない授業を受けざるを得なくてはならなくなる。


 だから


「なんで教材に落書きなんてしているんだ!」


 そんな事をする者は、当然白い目で見られる。


「ちょっとしたメモを……」


「メモがなくても教材を使っちゃダメだろ!」


 授業は当然停滞し、生徒の視線が集中する。

 まさか、代表会員がそんな馬鹿げた事をするなどと思いもしなかった。


 レア・スピエルが魔術師として弱者である事など、この学園の全員が知っている事だ。しかしそれでも、まさか教材を蔑ろにするような事をするなどとは思ってもみなかった。


「あれがレア・スピエルなのか……?」


「一体何をしているんだ」


 コソコソと、教室が俄かに姦しくなる。

 あまりにも下らないレアの醜態に、レアを高く評価していた生徒たちが幻滅し始めているのだ。


 いい気味だと、ハンナは思う。

 そもそもが幻想なのだ。幸運に助けられて代表会に入り、またしても幸運に助けられて対抗戦を突破した。全てはレアの実力などではないというのに、誰もがレアの幻に評価を与えている。

 その幻想が、ようやく崩れようとしている。


 しかし、今はこの教室のみだ。レアの実態を知るのはほんのわずかな生徒だ。これではまだ充分とは言えない。全校生徒に知らしめる必要がある。

 そしてそれは「ゆくゆく」などではなく瞬く間に訪れる。


 公開祭の日に、一手のうちに知れ渡る。


 たった二週間後に迫ったその日を思い、ハンナはわずかに口角をあげる。


「あの、冊子(ノート)がなくなってしまって、仕方なく教材に書き込みを……」


「だったら相談しなさい。少しくらいなら私のを分けてあげよう」


 マクミランは手持ちの冊子から一枚を破り、レアに差し出した。女生徒に人気のマクミランから施しを受けたという事で、レアに厳しい視線が突き刺さる。

 ただ、レアは全然気にしていないようだった。どうせレアの聴力なら聞き取れていないはずないのに、それでも平然とマクミランと会話している。


 そんな態度があまりに不快だ。


「だいたい何が“違う”なんだ。教材に何が不満な事でも?」


「あ、いえ、別に内容と文字に関係は……」


「でもそんな風に見えてしまうだろう。全く、大切な教材をこんなにして……」


 ハンナが遠目にレアの教科書を盗み見ると、確かに「違」という文字が見えた。これは教材の内容に不満があるととられかねない。


「もう二度としないように」


「はい、もう二度と」


 平然としたその顔を、呆気なく叩き潰してしまうのが楽しみで仕方がない。

 そんな感情を、ハンナは抑える事ができなかった。




「レアさん、アレはダメですよ……」


「見られてしまうとは、迂闊でした。どうせ終わった授業の部分だったので、見られる事はないだろうと思ったのが間違いですね」


 授業を終えて周りに教師がいない事を確認したレアは、平然とそんな事を言う。まるで悪びれる事のない飄々とした態度だ。


 ライラは困った顔をする。


「まあまあ、それはそうと今日もお仕事ですわ。急ぎませんと先輩方に怒られてしまいますわよ」


「えぇ、そうですね。急ぎましょうか」


 三人は急ぐ。

 ただ、代表会の出し物については、ほとんどの準備を終えて最終調整といったところだ。

 準備の途中で出し物をレアとハンナの勝負に変更したためもっと遅れるかと思われたが、当初予定されていた「代表会員による魔導具の実演」の準備を流用したため大幅な時間短縮に成功した。


 お陰で、レア達は勝負の対策を練る事ができた。


「もう勝負の手立ては完璧なんですの?」


 早足で歩きながら、ライラがレアに問い掛ける。リリアも興味深そうに視線を向ける。二人はその内容を知っているものの、準備までに手を貸しているわけではない。二人では力の及ばない部分であるし、少しでも情報流出の可能性は避けたいためだ。


「今のところは問題ありません。お二人は普段通りにお願いします」


 それは二人を信用していないのではなく、純粋な心配によるものだ。ハンナが強硬手段に出るとは思えないが、必要以上に二人を頼ってしまうと危険であると判断した。初めから頼ってなどいなければ、二人に危険が及ぶ事はないだろう。


 ——そう、思っていたのだが。


「レア・スピエルだな?」


 三人の前に一人の男子生徒が立ちはだかる。制服の校章を見ると、黄色の糸で縁取られていた。それは、彼が二学年である事を表している。


「何か用でしょうか?」


 レアはそう問い掛ける。

 しかし、何の用かは薄々感づいていた。彼の目はあまりにも敵対的な上に、いつの間にやらレアたちを囲むようにさらに二人の生徒が背後に控えているのだ。


「何の用だと?」


 彼は笑う。いや、嘲笑う。

 あたかも矮小な小虫を見下すように、それとも舞う事しか能のない羽虫を眺めるように、彼はそんな目でレアたちを見ている。


「何の用など、言うまでもないだろう。言うまでもなく、ついてきてもらおう」


 有無を言わさぬその言葉。抵抗できるなどとは、全く思っていない。


「なんですの! 失礼ではありませんか!」


「なんだ貴様、逆らうのか」


「っ……!」


 思わず声をあげたライラも、強い口調で脅されれば逆らう事ができない。相手は上級生三人であり、力付くで来られればタダでは済まない。入学から現時点までにおいて学年次席を保っているリリアはともかくとして、学年どころか歴代でも最下層に位置する劣等生であるレアがいるのでは足手まといもいいところだ。当然、ライラとリリアはそんな事を口にしたりしないが、相手に対しての対応に気をつけなくてはならない。たとえどれほど礼を失した態度を取られたとしてもだ。


「ど、どこに行くんですか?」


「無駄口を叩くな。お前らは私達の質問にだけ答えればいい」


「…………」


 質問に答える。この言葉で、彼らの目的は概ね察せられた。

 つまりは不正だ。ハンナとの勝負(ゲーム)の“答え”が誰なのか、力付くで聞き出そうとしている。まさかこんな強引な手段に出るなどとは思ってもみなかったので、レアは対応する事ができなかった。

 当たり前だ。こんな事しては問題になる。レアとハンナの勝負(ゲーム)は全校生徒の知るところであり、それを控えたレアが馴染みのない上級生に囲まれている様を見れば嫌でも噂は立つ。現に、今時点で既にすれ違う生徒が訝しげにこちらを見ている。


「人目につかないほうがいいよな?」


「当然だ。どこかの空き教室に入ろう」


 そんな会話をする彼らだが、既に手遅れである事に気がつく様子はない。

 彼らは空き教室で私達を脅すつもりなのだろう。その現場を目撃される事が問題である事は分かるようだが、そもそもレアたちを連れているところすら目撃されるべきでない事には考えが及ばないらしい。

 レア・スピエルが、上級生の生徒に囲まれて歩いていた。そんな噂が広まれば、ハンナが不正を行った事が瞬く間に知られてしまう。

 せめて、彼らはレアの隣に並ぶべきだ。あるいは後ろ。それならば、囲んでいるのではなく連れ立って歩いているだけだという言い訳ができる。


 あまりにも愚かしく、あまりにも馬鹿馬鹿しい。

 そもそもレアは準格とはいえ代表会だ。レアが彼らを名指しで告発したならば、彼らに弁明の余地はない。既に顔も学年も覚えてしまったのだから、のちのち彼らを学園から探すのはそう難しい事ではない。


 ならば、危害を加えられる前に“答え”を話してしまい、すぐに代表会へ報告してしまうのがいいだろう。もしも二人に手を出すような事があれば手持ちのすべての魔導具を使用して応戦するつもりではあるが、現象でどうこうする必要はないだろう。

 どうせ「この事を漏らせばタダでは置かない」といった類の脅しをされるのだろうが、代表会に罰せられる彼らにレアを「タダで置かない」事ができるかは疑問である。


「待ちなさい、あなた達」


「っ!?」


 不意に、レアたちを呼び止める声がかかった。


「何をしているのでしょう?」


 ライラとリリアは安堵の表情を、レアは当然だという納得を、それを囲む上級生は慌てた顔を、それぞれ浮かべた。

 ここまで目立つ行為をしているのだから、教師や他の代表会員に見咎められる事くらいあるだろうという自覚はなかったらしい。


 しかし、たった一つだけレアも予想していない事があった。


「は、ハンナ……さん」


 彼らを呼び止めたのは、レアの勝負(ゲーム)相手であるハンナだったのだ。


「もう一度聞きます、これはどういう事でしょう。まさかとは思いますが、彼女たちに何か乱暴な事はしていないでしょうね」


「ま、まさか! あぁ……我々は、偶然近くを歩いていただけですとも! そうだろう? なぁ?」


まるで懇願するような瞳をレアに向ける。もしもこの場でその言葉を否定すれば、たちまち泣き崩れてしまうだろうというほどの様子だ。


「……そうですね。はい、間違いないです」


 だから、思わずうなづいてしまった。

 まあ、どちらにせよあっさり許してしまうほうがいいだろうとも思っていたので訂正はしない。

 どうせまだ乱暴はされていないのだから、遺恨を残さないほうが面倒はないだろうとの判断だった。


 ヘラヘラと気持ちの悪い笑みを浮かべて、彼らは早足気味に離れて行った。


「助かりました」


「いいえ、私の知り合いが迷惑をかけました。彼らには後で私から言いつけておきます」


 今にもレアを殺しそうな目をしながら、ハンナはわずかに頭を下げた。ハンナにしてはどうにも拙すぎる不正だと思ったが、どうやら頭の悪い生徒が暴走しただけらしい。


「……私はこんな事しなくても勝ちます」


「そうですか」


 メラメラとレアへの対抗心を燃やすハンナに対し、レアは小さくため息をつきたくなってしまった。

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