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彼女たちの休暇はあける

 天気は快晴。わずかずつ熱気を失いつつある空気は、あと一ヶ月もしないうちに涼風となろうかというそんな日。

 学園には一ヶ月あまり振りに喧騒が戻っていた。


 長かった夏季休暇を終え、学園は再び多くの生徒で賑わっていた。

 休暇期間を利用して家に帰っていた生徒たちが戻っているのだ。


 学園に残った生徒、あるいは早く戻った生徒は、遠目に学園入り口の門を眺めている。

 親しい友人であったり、憧れの先輩であったり、あるいは逆に腹立たしい相手であったりが、いつ学園に戻ってくるかと確認しているのだ。


 そして、レア・スピエルもまたその中の一人であった。


 友人二人は、戦勝祝いが終わった次の日には帰ってしまった。実家で色々忙しいのだそうだ。

 貴族であるライラは、ここぞとばかりに夜会へ参加していたらしい。学園は住み込みなので、貴族としての顔つなぎがままならないのだ。

 そしてリリアも、実家の手伝いに駆り出されているらしい。家業のパン屋がこの時期忙しいらしく、久々の仕事という事もあり、どうやら張り切っているのだそうだ。


 だから、この夏季休暇はつまらなかった。


 学園で、親しい人間もおらず、ただ勉強と代表会の仕事だけしているだけの休暇だった。

 義母(はは)はたまに顔を出す程度で、ほとんど話す事もできなかった。

 早く二人に会いたいと、まるで主人の帰りを待つ犬っころのような心境になってしまっているのだ。


「……!!」


 今、門を越えた馬車を見る。おそらくはライラの家のもので間違いない。馬車の形はあんな感じだった気がするし、御者の男に覚えがある。


 心なしか早足で、その馬車に近づいた。


「あぁ! レアさん!」


 馬車から顔を出して、ライラが顔を綻ばせる。


「リリアさんも一緒ですのよ。道中でお見かけしたもので」


「お邪魔してますっ」


 恥ずかしそうに、リリアが声をあげる。

 リリアの身分では、おそらく馬車など初めて乗るのだろう。せいぜいが乗合馬車程度か。どちらにしても、貴族が使うような個人用の馬車など学園に入学するまでは見た事すらないはずだ。


 レアはライラに手を差し出す。

 淑女であるならば、馬車から誰の手も借りずに飛び降りるなんてはしたない事ができるはずもないからだ。ライラはレアの手を取って、非常に優雅な動作で馬車を降りた。


「リリアさんも」


「は、はい!」


 ライラほどうまく降りれないリリアは、少し飛び込むようにして地面に降りた。レアは、リリアを支えるように身体を寄り添える。


「うぅ……お恥ずかしいところを……」


「大丈夫ですよ。気にする必要はありません」


 いくつかの荷物を馬車から運び出すのは、レアも手伝って三人で行った。

 それが終わるとライラが一言二言御者に声を掛け、御者は馬車を裏に回す。


「行きましょうか」


「荷物運び手伝います」


「私も!」


 手の空いているレアは、いくつかあるライラの荷物のうちの二つを持つ。リリアは自分の荷物もあるので、一番軽そうな麻の袋を手渡した。


 貴族の淑女ともなれば、あらゆるところで物がかかってしまう。

 長い髪の手入れは毎日欠かせないし、外套(ローブ)以外の私服も必要だ。レアのように、多少の日用品と細かな魔導具ばかりというわけにもいかない。

 しかし、それでもまだまだ少ない。貴族としては末端もいいところのライラでこれなのだから、当然大物貴族は桁が違ってくる。


「おっと……遠回りしましょうか」


「そうですね……」


 丁度、レアたちの目の前を長蛇の列が横切った。

 黒い風に身を包んだ男性の集団は、一人残らず両手に荷物を抱えている。これほどの荷物を運び入れるのは、個人部屋を与えられている有力貴族の他にはいない。ならば、この集団は間違いなくどこかの家の使用人だ。

 ——いや、()()()などではない。よく見れば、見知った顔がその近くにあった。


 同年代だというのにレアよりも10㎝近く高い身長。女性的な色気というものが見え隠れしている声と表情からすでに、やがて男を魅了してやまない魔性の美貌をもつのだろうと予感させる。

 一切のくすみのない腰まで伸びる赤い髪と、少し気の強そうな顔立ちを合わせれば、まるで烈火のような人物だと感じられた。

 体つきは外套(ローブ)に隠されていてよくわからないが、おそらくは十三歳の少女とは思えない女性的曲線を描いているに違いない。


 学年主席。天才リスリー・ペル・イスマイルの姿がそこにあった。


 手荷物など一つも持たず、大貴族らしい優雅な立ち居振る舞いを見せていた。

 今日は、いつも周りを固めている他の貴族たちはいないようだ。まだ、家から戻っていないのだろう。


「…………」


「ぅ……っ」


 レアが動きを止め、リリアが声を漏らす。

 二度も因縁をつけられた二人が、リスリーに苦手意識を持ってしまうのも無理からぬ事だろう。


(わたくし)、挨拶してまいりますわ」


「え、あの人にですか……?」


 リリアが嫌そうな顔をする。温厚な彼女にしては珍しい態度だが、レアはそれを不思議とは思わなかった。


「夜会で何度も顔を合わせましたもの。ここで無視すれば不敬にあたりますわ」


「私たちは先に荷物を運んでおきますね」


「そうしてくださいな」


 レアとリリアは部屋に急ぐ。遠く道を回って、貴族が連れている使用人を避けて通った。

 面倒事はごめんだからだ。


「わたし、あの人苦手です」


 あの人というのは、言うまでもなくリスリーの事だ。実際のところ、あまり印象がいい接触ではなかった。嫌いだとは言わないまでも、レアも苦手意識を持っていた。


「でもライラさんは貴族ですから、距離を置くわけにもいきません」


「……そうですね」


 どうにも渋い表情で、リリアはレアと荷物を運んだ。


 部屋に戻ると、ライラが来るまでは二人でお喋りに花を咲かせる。

 レアはあまり話す方ではないが、リリアは年頃の少女らしく色々な話題で会話を絶やさない。


「本当は三人でお話ししたかったです……」


 不意に、リリアがそう漏らす。


「仕方ありませんよ」


 レアがそう返す。


「でも、レアさんもこれから忙しくなるじゃないですか。三人でいられる時間が少なくなるのは寂しいです」


「それは……私もそうですが」


「あんなに楽しみにしていた公開祭ですけれど、今になって憎く思えて来ました」


 公開祭

 その日は授業過程を行わず、学園を一般公開するのだ。校内では生徒が行う様々な催しが企画され、来場者に対して日頃の学習成果を披露する場となる。

 対抗戦と同じく対外的な催しなので、学園側は当然力を入れる。代表会も駆り出されて大忙しだ。そうなれば、当然二人との時間も少なくなってしまう。


 ただ、レアには一つ考えがあった。


「リリアさん、実はですね——」




 まもなく日が暮れる。空は紅に染まっていた。そんな時間。

 ハンナ・S・ムーアは急いでいた。ハンナが学園に戻って始めにしなければならないのは、自らが敬愛する()()()への挨拶だからだ。

 いち早くそばに控えねばならないと、今日の読書や勉強すらそこそこに駆け出していた。


 場所は第二棟の最上階から二番目。そこが、()()()に与えられた部屋だ。


 他の弱小貴族のような相部屋ではない。

 あの人ほどにもなると、学園から個人部屋を与えられる。当然それでもあの人に相応しいそれからは程遠いが、少なくとも有象無象とは比べ物にならない評価を受けているという事だ。


 急いでいながらも、息を上がらないように気をつけて走った。

 息を切らせてあの人の前に立つ事など許されないからだ。


 だから、意識して優雅に、できるだけ美しく、そう見えるように急いでいた。


 当然あの人とハンナでは比べるべくもないが、それでもおざなりになどできない。


 ようやく部屋の前に着き、扉を軽く叩く。中指の背を使い、軽い力でも部屋に響くように叩いた。


「——どうぞ」


 おそらく部屋を整えていたのだろう使用人の男がハンナを招き入れた。

 昂ぶる息を抑えて、ハンナはようやく入室する。


 お気に入りの椅子に腰掛けるあの人を見て、ハンナはようやく自らが帰ったのだと実感した。


「……お久しゅうございます」


 深く、深く、頭を下げた。

 礼という意味はもちろん、直視する事すら憚られてしまったのだ。


「————」


 敬愛する者の声は、耳ではなく体で感じる事ができる。全身に染み渡るその声は、大きく張り上げたわけでもなくハンナの心に深く響いた。


 頭を上げるようにと言われた。その言葉がなくては、ハンナは永遠に床を見続けていた事だろう。


 改めて、その人物を視界におさめる。

 その動作の一つ一つが洗練されており、頭の頂点から足の先端に至るまで美しく、それでいて力強い。


「————」


「はい、すぐに」


 紅茶を淹れるようにと言われた。


 柑橘系の果実を仄かに香らせたそのお茶は、甘味と酸味をほどよく内包したハンナの自信作だ。その人のお気に入りでもある。


 ハンナが淹れたお茶で口を湿らせるその人の後ろに立ち、うっとりと背中を見つめた。


「————」


「!!」


 相変わらず美味しいと、そんな言葉をかけられた。

 なぜ腰が砕けてしまわないのかわからないほどの歓喜がハンナを襲う。辛うじて声をあげなかった自分を褒めてやりたいとすら感じていた。


「……ありがとう、ございます」


 震えそうな声を抑えて、なんとかそれだけ言葉にできた。


 あぁ、なんと自分は幸せなのかと、ハンナは自らの幸福を噛み締めた。


 そうだ、私はこの人のために働かなくてはならない。ハンナはそう確信した。

 この人のために()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

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