彼女たちは対抗戦をする18
疲労。
相手と比べて、不自然なほどの消耗。
その正体に気付いた時には、状況は取り返しのつかない段階まで差し迫っていた。
「……ッ」
「苦しそうだね。そろそろ終わり?」
アルテアの様子を見て、ヘルネストは笑みを浮かべる。
しかし、それに腹をたてる事などできない。あまりにも当たり前だからだ。立場が逆であったなら自分もそうしただろうと、アルテアは嘲笑気味の笑いを漏らす。
その意味を理解できなかったヘルネストは、笑みを崩して眉間に皺を寄せた。
「……自分で、自分がおかしいのかな? あまりに無様だから仕方がないけれど」
「そうだな。そうかもしれないな」
何とか息を落ち着け、アルテアはどうにか笑ってみせる。
互いに警戒は怠らず、余裕を見せるために言葉を放つ。ヘルネストは挑発のため、アルテアはハッタリのため。
前者は勝負を急かんがために、後者は勝負を長引かせんがために。
「まさかここまで気が付かないとは。あまりに間が抜けていたな。いつもの私ならあり得ない事だ」
いつものアルテアといえば、その高い魔法制御技術と豊富な知識による対抗魔法を得意としている魔術師だ。
相手の魔法を瞬時に分析し、最も効率よくそれを打ち消す学園内随一の技術者。将来は研究者として期待されており、本来ならば拳を打ち合うような闘いの場に身を置くような人物ではない。
そんな彼が模擬戦を行う際に重要となるのが、相手の魔力を分析するために使う魔導具だ。
その魔導具から得た情報によって、アルテアはどのような魔法を使うべきかを検討する。
しかし、今はその魔導具を持っていなかった。
魔導具に所持制限がかけられている以上、その魔導具を持ち込む余裕が作れなかったのだ。
それが、あまりに痛手となった。
「私は、お前の攻撃を全力で防御する必要がある。決して負けられない立場にある私は、万一にも倒れてしまうわけにはいかないからだ」
ヘルネストの攻撃を無防備に受ければ、アルテアは立ち上がる事ができないかもしれない。それほどまでに実力の開きがあり、防戦ですらやっとの思いだった。
その前提が、アルテアの目を曇らせたのだ。
「お前の攻撃は全てが脅威であり、何一つ受けるわけにはいかないと思っていた。実際には何発か受けてしまったわけだが、少なくとも私はそのつもりで防御していた」
それが、過ちだったのだ。
ここまでくれば、ヘルネストにも何が言いたいのか理解できる。
それは、確かに自らの意思で行なった小細工だ。正面から挑んで息を上がらせるのを良しとせず、余裕を持って勝利を取ろうと考えての行動だった。
「お前、全力ではなかったな?」
「…………」
ヘルネストは言葉を返さない。
しかし、その無言である事こそが如実に語っている。アルテアの言葉が事実であると。
「偽りを交えていたな? 全力を尽くさず、時折攻撃の振りをしていただろう。ようやく気が付いた」
まるで魔力を込められていない拳や蹴りを全力で防御するアルテアは、さぞ滑稽に見えた事だろう。
通りで疲れないはずだ。疲れないはずないのだ。アルテアが体を強張らせている最中に、ヘルネストは脱力して休憩を取っていたのだ。
どうせ攻撃しないのだと看破し、防御はおろか攻撃すらもまともに行わない。時折威嚇の意味を込めて腕や脚を振るえば、アルテアは疑う事もなく魔力で防御する。
あまりにも間抜けだ。
本来なら、いつも通りに闘うヘルネストに対して防御に徹しているアルテアが有利になるはずだった。勝利できないまでも、敗北を引き延ばすには充分であるはずだった。
しかし現実は、全力で防戦に徹するアルテアに対する、何もしていないヘルネストだ。より消耗が少なく済むのがどちらかなど、一々考えるまでもない。
「……で、それがどうしたというのかな?」
僅かばかり余裕を取り戻したヘルネストが答える。
「それが分かったからと言って、どうしたというんだ。君はもう息も絶え絶えで、打つ手は完全になくなったと見える。もうこれまでじゃないか」
「…………」
ヘルネストは嘲笑う。手も足も出ないがために苦し紛れの悪態をついていると思っているのだ
そして、それはまさしく偽らざる事実。アルテアには、この状況を打破する策が何一つなかった。
そして、打破するつもりすら、微塵もなかった。
「小細工は手軽く君に勝とうという考えであり、君を下す事くらい腕尽くでも充分なんだ!」
ヘルネストがその気にさえなれば、すでに疲弊したアルテアを下す事など容易い。そのための小細工だった。
「そうだな」
「…………」
肩で息をしながら、声を震わせながら、アルテアは不敵に答えてみせる。
真逆だ。有利と不利が、完全に真逆。
勝利を眼前に見据え、手をかけているのはヘルネストの方だ。あとほんの少し指に力を入れるだけで、難なく勝利を収める事ができる。
だというのに、余裕の表情を見せているのはアルテアの方だ。
次の瞬間に倒れてしまってもおかしくない状況下にありながら、アルテアは余裕そうに笑っている。
「お前は簡単に私を倒す事ができ、私はそれに抗う術を持たない。事実だ。この勝負、あと数分もなく決する」
「分かっていてなぜ笑う! 一体何が可笑しい!」
可笑しくなどあるものか。アルテアが倒れてしまいそうな事は嘘じゃない。策がないのも、ヘルネストが警戒などせずに攻撃すれば倒れてしまうのも疑いようはない。
アルテアは、無理を押して立っているのだ。
訝しみ、疑いながら、ヘルネストはアルテアを下す。
摺り足で近づき、手の届く範囲の直前でアルテアの死角に入った。視界の外から放たれた拳など、今のアルテアが抵抗できるはずもなかった。たとえ正面からかられようとも、避けたり受けたりする余力などないのだ。
充分な時間をかけ、不必要なほどに慎重に、ヘルネストは勝利を収める。
審判が勝敗を宣言した時、眉間に皺を寄せるヘルネストと対照的に、アルテアは笑っていた。
地面に背をつけ、肩で息をして、立ち上がる事すらかなわないほど疲弊して、それでもなお笑っていたのだ。
「アルバ、いるか!」
「なんだ、なんだと言うんだ」
控え室に戻るなり、ヘルネストは怒鳴るようにアルバを呼びつけた。
先ほどまで運営の手伝いに駆り出されていた代表会の面々は、対戦終了の報を聞いて部屋まで戻ってきていた。
「なんだもなにもないっ。さっきの対戦について聞きたい事がある!」
「聞きたい? それは今更じゃないか。見事な勝利だったぞ」
「そう、完膚なきまでの勝利だった。そして相手は惨めな敗北だった」
自信を持って、ヘルネストはそう言う。そして、会場中の誰が聞いても、その言葉を否定しないだろう。
しかしそれでいて、ヘルネストには納得のいかない事があった。
「なぜアイツは時間稼ぎなどしていたんだ!」
なんらかの策があるものと、ヘルネストは思っていた。だからこそ慎重に試合を運び、あえてその時間稼ぎに乗っていた。今までの奇策を警戒するのなら、それが悪手となるようには思えなかったのだ。
「やつは何をしていたんだ! 一体何のつもりで時間稼ぎなんて……」
「落ち着け。安心しろ、我々の勝利だ」
諭すように、アルバは優しく言い聞かせる。
「奴の……奴らの狙いはこれだ」
アルバは、懐から魔導具を取り出す。キューが第一戦で使った、不正を働くための魔導具だ。
「奴らはこれを証拠として、第一戦を覆したいんだ。我々の控え室からこの魔導具を盗み出し、おそらくは運営にでも突き出すつもりだ」
「……対戦中にという事か。それで時間稼ぎを……」
しかし、それももう終わった。
エルセ神秘学園は、最終戦が終わるまでの間に魔導具を手にする必要があった。時間制限は、その瞬間までだった。
「着替えを急げヘルネスト。表彰はすぐに行われる」
この対抗戦に参加した全ての人物が参列を義務付けられる表彰式がある以上、剣闘外の攻防はこの場で幕となった。
参加者である代表会とその手伝いである生徒にできる事は、迅速な移動を置いて他にない。
勝負は、ファルハン魔術学園の勝利で終幕となった。




