彼女たちは対抗戦をする17
敗北は初めから覚悟していた。
おそらくは勝てないだろう事は、分かりきっていた。
勝ち目など全くなく、その事に疑う余地はない。
だから下手な色気を出さず、完全に防御に専念しようとしていたのだ。
——にも関わらず。
「っ……」
「随分と疲れているじゃないか」
アルテアとヘルネストの間には、明確な差が存在した。
積極的に動いているのはヘルネストの方だというのに、消耗しているのはむしろアルテアなのだ。
ヘルネストの攻撃を受けるたびに削られる体力。魔力を込めるために失われる波力。
息も絶え絶え。
戦闘行動をとれる時間は、そう長くない。
身体能力に重きを置いた戦術を取るヘルネストは、当然魔導具もそれを補助する事に特化させている。
実力で劣るアルテアでは、魔導具の補助を受けたヘルネストとの持久力勝負に勝利する事ができない。
しかし、それを差し引いても想定より苦戦を強いられていた。
防戦に特化した魔導具で身を固めていてなお、魔力的優位を確保できないでいる。
「不思議かい?」
「…………」
アルテアは答えない。ジッと、ヘルネストを見返すだけだ。
正直なところ、不思議でならない。ヘルネストの波力がここまでのものだと、報告には上がっていなかったからだ。これも情報操作の結果なのだろうか。
否、もしそうであるならば、ヘルネストは無尽蔵の波力を持っているという事になる。それほどに、両者の間には絶対的な差が存在する。
アルテアはその頭脳をもってして代表会三位の座を勝ち取ったわけだが、しかしそれは実力が他よりも劣るという事ではない。確かにヴェルガンダやシスには遅れを取るものの、彼もまた一流である事に疑う余地はない。
そのアルテアが防戦に徹し、それでなお息が上がるほどに消耗し、対するヘルネストは顔色ひとつ変えない。不可思議という他なかった。
この対戦、時間稼ぎすら困難だ。それは思っていたよりもはるかに。
「なんだ貴様……っ!」
「静かにしておけ。人が来ると困る」
そこは人通りのない関係者通路。ファルハン魔術学園代表会の手伝いに来た男が、全身を黒い装束で隠した男に組み伏せられていた。
黒装束は男の口を塞ぎ、その首元に指を触れさせる。ほんのわずかな魔力を込めると、男は簡単に意識を手放した。
「……手間をかけさせてくれる」
その呟きは、目の前で眠っている男に対してのものではない。ため息を我慢しつつ、黒装束は上着を脱いだ。
彼の名はアイギス。エルセ神秘学園代表会の使者をしている男だ。
アイギスは、目の前で倒れる男の外套を奪う。
当然、アイギスに男色の気があるわけではない。用があるのは外套の方だ。その外套には、ファルハン魔術学園の校章が印されている。残った男は、見つからないような場所に縛って転がしていればいい。
口には布を詰め込み、猿ぐつわをする。声も出せず、身動きもできずでは、助けを呼ぶ事もままならない。すぐに見つかってしまうような事はないだろう。
この行動は、全てレアの指示によるものだ。
かつては敵対する側に与した事すらある彼だが、今では代表会となった彼女には従う他ない。
アイギスは黒装束を脱ぎ、男から奪った外套を纏う。顔が隠れるように深めに頭巾を被りこの場を後にする。
向かうのは、ファルハン魔術学園の控え室。
場所はナターシャが見つけていたため、迷いなくたどり着けた。もし辺りを確認しながら歩いていたならばすぐに見咎められていた事だろう。
努めて堂々と、あたかも疑われる余地などないかのように。
まっすぐと歩き、歩幅を一定に保ち、速度を緩めない。
そんな平気な顔をして、アイギスは相手校の控え室に入り込んだ。
出入りの激しい室内は、アイギスの入室などをいちいち気に留めたりしない。ほんの僅かに目をやると、すぐに興味をなくして自らの作業に戻る。
アイギスは、部屋の中を盗み見る。
まじまじとではない。なにせアイギスは、幾度もこの部屋に出入りしているはずの生徒なのだ。居心地の悪そうにあたりを見回すのは賢明ではない。
エルセ神秘学園の控え室と違い、管理が行き届いている。
資料は適切にまとめられていて、床に落ちている物は一つもない。誰一人も話し込んだりせず、驚くほどに静かだ。
代表会の面々の姿は見えない。おそらくは、エルセ神秘学園と同じく運営の手伝いに駆り出されているのだろう。
決してエルセ神秘学園代表会が不真面目という事ではない。
このファルハン魔術学園代表会は、全員が高い意識を持っている。それぞれがどこか自己中心的なところを持っていながら、自らのために他者と手を取り合う事を否定しない。
それは協力ではなく利用と呼ぶような関係ではあるが、間違いなく驚異的な統率力を発揮する。
対してエルセ神秘学園は、それぞれがそれぞれの努力によって最善を尽くしている。
何一つ悪いなどとは言えないが、これが集団戦である限りその差は確実に存在する。
事実、対抗戦は多くの遅れをとりながらのものとなっている。
全ては、第三位アルバ・タクトの功績だ。
単純な頭脳はもとより、彼の指揮能力はアルテアすらも上回る。彼が要となり、代表会をまとめているのだ。
アイギスが担う策は、およそ正攻法とは呼べないものではあるが、この奇策をもってであれば勝利をものにできる。
いや、むしろこれ以外では勝てないとすら思っていた。
相手の失敗した搦め手を利用する小賢しいものだが、これが唯一の起死回生なのだ。
この重要性は、アイギスも理解している。
現在闘っているアルテアは、まず間違いなく敗北する。決して弱者ゆえではなく、単純な実力差ゆえに。
学園で三番手を担うその実力には、何一つ偽りはない。その明晰な頭脳によって運用される高い魔法技術は、すでに一流と呼ぶに相応しい。
だが、ヘルネストには勝てない。
もしもヘルネストが特殊戦術に頼るのみの者であったならば、間違いなくアルテアは対応してみせただろう。
しかし、彼の強みはそれのみではなく、身体能力と魔法技術を高水準に併せ持ち、その上で知力も申し分ない。
苦手を持たない代わりにずば抜けた得意のないアルテアには辛い相手だ。
できる事といえば、せいぜいが時間稼ぎ。
だからアイギスはここにいる。アルテアが倒れていない間に、この起死回生を果たすため。
——だというのに。
部屋の中は綺麗に整頓され、資料なども見やすいように並べられている。
魔導具も、部屋の隅にしっかりと整理されており、初めて目にするアイギスですら何がどこにあるのか判断するのに全く不自由しなかった。
それ故に、不測の事態はすぐに発覚したのだ。
目的の魔導具が、無い。
当然、隅々までくまなく探すわけにはいかないのだから、見落としの可能性は捨てがたい。
しかし、それは充分な問題だ。
あからさまに探しまわる事ができない以上、アイギスは魔導具を瞬く間に見つける必要があった。
何気無い風を装って魔導具を持ち出し、誰にも見咎められる間も無く立ち去らなくてはならなかった。その前提が、ことごとく崩れた。
こうなっては、アイギスにできる事は少ない。今のところは引き返し、ありのままに報告を上げる事のみだ。魔導具を手にする事ができなかったと、その後の指示を仰がなくてはならない。
そのまま何もせずに出て行っては怪しまれるかもしれないので、適当な資料に目を通す。エルセ神秘学園代表会についての情報だった。
よく調べられている。得意な魔法と戦術はもとより、身長や体重、好きな食べ物、果ては対人関係まで網羅されていた。
「おい、君」
「——!!」
資料を元の位置に戻すその瞬間に、背後から声がかけられた。
「……なにか?」
動揺を悟られぬよう、努めて冷静な表情を心掛けた。それはアイギスの得意分野であり、だからこそこの潜入を任されたのだ。
振り返り、アイギスはもう一度驚いた。当然、顔には出さないものの、心の中で舌打ちをする事までは止められない。
そこに立っていたのは、ダライアス・エンドラゴだった。
代表会員だ。手伝いのためについてきた生徒などではなく、代表会として対抗戦に参加した選手が目の前にある。
手伝いの生徒であったならば、対抗戦の目的は評価を得る事だ。勝利も敗北も二の次で、自らに責任がかからないように当たり障りのない対応をする事は充分に考えられる。
少なくとも、顔に見覚えがないからといってその者を見咎めたりはしないだろう。それは、初めて目にした場合とただ覚えがない場合と区別がつかないからだ。
しかし、代表会員ならどうだろうか。
その目的は、おそらく勝利だ。勝利する事こそが本懐であり、そのための努力を惜しまない。ならば、疑わしきを罰する事もありうるのではないだろうか。
「その資料、相手校のものだな?」
「はい。そうです」
ダライアスが指差すのは、アイギスがつい今読んでいた資料だ。
それを丁寧に手に取り、ダライアスに手渡す。
一瞬、たとえ強引にでも逃げてしまうかと考えた。だが、その考えをすぐに破棄する。
相手の実力を鑑みれば、アイギスが逃げられると思う方が無理な話だ。他の誰かが相手ならばともかく、龍人ダライアス・エンドラゴに対してはそんな楽観的な考えは捨てるべきだ。
資料に目を落としたダライアスは、その場に立ったまま資料を読み始めた。
「ところで、うちの三位はどこに行ったか知らんか?」
資料から目を離さずに、ダライアスがそう尋ねる。
あわよくばこのまま何気ない顔で出て行こうと思っていたアイギスの思惑は、簡単に否定されてしまう。
「いや……分かりませんね」
「そうか」
刹那。
アイギスは思考する。この場を後にするために最も適した言葉は何か。
あまりあからさまでは、怪しまれる可能性がある。ならば、相手が代表会であり、自らが一般生徒である前提としての答えが必要だ。
相手は目上、それを踏まえれば、ともすれば邪険に取られるような言葉を言えるはずもない。
「他に何かありますか?」
あるいは、別の要件を言いつけられてしまう危険がある言葉だが、これが最も自然であると考えた。なまじ何か言いつけられたとしても、そつなくこなして出ていけばいいだけの話だ。
そしてあわよくば——
「いや、構わない。呼び止めて悪かったな」
「いえ」
——こうして自然に退室する事ができる。
誰に怪しまれる事もなく、誰に止められる事もなく、アイギスはその部屋を後にする。
結局、魔導具は見つけられなかったが、その心配はアイギスがするべき事ではない。
……嫌味な奴だ。
言葉には出さず、アイギスは顔をしかめた。
ダライアスの表情を思い出し、ダライアスの態度を思い出し、思わず舌打ちをしそうになってしまう。
なにせダライアスは——潜入に気がついていたのだから。




