彼女たちは対抗戦をする16
第三位アルテア・ハイドは、ひどい緊張の最中にあった。
この勝負、勝つ必要はない。
勝機が皆無である事はもちろん、早々に決着をつけてしまうわけにはいかないのだ。
仲間に任せた作戦が終了するまで、時間を稼がなくてはならない。
そしてその上で問題となるのが、いつまで時間を稼ぐのか分からないという事だ。
対戦中は仲間と会話ができないため、彼らが作戦を成功させたのかが判然としない。
いつまで闘わなくてはならないのか分からないままに、力の限り闘い続けなくてはならない。
「随分とおっかない顔をしているんだね」
対戦者であるヘルネスト・デュウ・ロートリアが話しかける。
一見して規定衣装以外の魔導具を持っていないように思えるヘルネストだが、それが見た目道りではないなどアルテアは知っている。
彼の戦術も、性格も、報告に上がっているからだ。おそらくは衣装の下にさまざまな魔導具を隠しており、彼の特殊戦術を補助する役割を担っている。
決して、断じて、勝てる相手ではない。ヘルネストに対するそんな警戒が、どうやら顔に出ていたらしい。
「そう凄まれるとビビってしまうよ」
口角を上げてそう言うヘルネストは、お世辞にもアルテアを恐れているようには見えない。からかっているのだと、それは一目瞭然だった。
「凄んでいるのではなく、強張っているのだがな」
アルテアも軽口を返す。
「だが、それで相手が警戒してくれるのなら儲けものだ」
「言うじゃないか」
アルテアは不敵に笑う。この勝負、決して不利ではないと感じて。
実力差は確かに明らかだが、この勝負の実態は対等な条件下にない。
平時の通りに闘わなくてはならないヘルネストに対して、アルテアは守りのみに徹して構わないのだ。驕りや自意識過剰などではなく、これは自分に有利な勝負だと感じている。
「両者、構えて!」
審判の声がかかる。
勝ち目がなく、それでいて勝利に大きく関わる対戦が今——
「始め!」
——開始された。
始めに行動したのは、ヘルネストの方だ。
何一つ奇を衒う事なく、ただ真っ直ぐにアルテアの懐に飛び込んだ。
キューにおよばない程度に速く、ヴェルガンダにおよばない程度に強い拳。アルテアはこれを難なく受け止める。
次に駆り出されるのは、死角を縫った蹴り。ダライアスにおよばない程度の力で、エルエクシスにおよばない程度の速度で繰り出された。しかし、今度は防御が間に合わない。
これが、ヘルネストの真骨頂。
一見地味だが、決して無視できない技術。
ここまでの間、ヘルネストはほんの少しも音を立てていない。
柔らかい関節によるバネと魔法による補助で、全くの無音動作を行っているのだ。
あるいは、それがどうしたと考える者もいるかも知れない。
真正面の、奇を衒う事のない攻撃だ。決して不意ではなく、ならば反応は容易い——などという発想は、実際に目の前でそれを見ていれば浮かばないはずだ。
無音であり、無呼吸であり、それ故に無類の挙動。
動作の一々には全て予備となるものがなく、速さではなく早さが異常に感じられる。
近接の距離にあってようやくその脅威をあらわにするその特殊体術こそが、ヘルネストを代表会一位足らしめる第一要素だ。
身体能力で言えばずば抜けているわけではないというのに、それでも後手に回ってしまう。
動作に対し、決して消す事のできないはずの予兆。その内の一つが音だ。ヘルネストは卓越した身体能力と技術、そして魔法の補助によって、予兆なく全ての動作を行う事ができる。
本来ならば、不意打ちによってその真価を発揮する力だ。しかし、眼前でいかんなくその実力を発揮されたなら、アルテアにとって充分な脅威となる。
攻撃を受けたアルテアは僅かに体勢を崩し、ほんの一瞬ヘルネストから目を離してしまう。
たったその一瞬。その瞬く間に、相手を見失ってしまうのだ。その間に、背後や懐のような死角に潜り込まれてしまう。
闘い辛い事この上ない。
もしもこれが真剣勝負であったなら、まず間違いなく勝ち目はなかった。
高い知性から幅広い戦術に通じているアルテアだが、それは器用貧乏である事に他ならない。決定打を持ち合わせていないのだ。
さながら、第三戦のダライアスを相手取るシスのようだ。
打開する策が一切ない中で、イタズラに時間だけを引き延ばしている。
しかし、これは決して無意味などではない。
勝つ必要はない。倒す必要はない。下す必要はない。
この時間をどれほど引き延ばす事ができるかが、アルテアの勝負だ。
内通者を捕らえるのは、思ったよりも時間がかかった。当然、しらみ潰しにするよりはるかに効率的だったのだが、それでも余裕を持たせる事ができたとは言い難い。
ゆえに、レアは今、慌てていた。
アルテアがどれだけ対戦を長引かせられるかがわからない以上、のんびりしていられる時間は一秒もない。
「……手筈は?」
やや棘のある声で問う。相手は、手伝いのために同行していた生徒のうちの一人だ。レアから見れば上級生だが、代表会であるレアに礼を失せずに対応する。
「滞りなく」
「順調ですか?」
「……芳しくありません」
その言葉は、一刻も前から変わらないものだ。
レアの表情は変わらない。しかし、その内側ではどうしたものかと思考を巡らせていた。
ファルハン魔術学園の魔導具を手に入れる事ができたなら、第一戦の結果を覆す事ができる。彼らは不正を働いていたからだ。
義母に勝利を定められた以上、それを違える事はあり得ない。つまり、なんとしてでも魔導具を手に入れる必要がある。
そのために手段を、講じなければならない。
「どうしますか?」
「しばらくはそのまま監視を」
深く頭を下げると、彼はすぐさまその場を後にした。
監視とは、相手校の控え室の事だ。隙を伺って忍び込まなくては、魔導具を手にする事などできはしない。
しかし、控え室ならば当然、常に相手校の誰かが控えている。目を盗む事は容易ではない。
使うべき力はなんなのか。知力か、財力か、人力か、武力か。
代表会の一員であるレアならば、使えない力ではない。自らのではなく、他者の力に頼る事ができる。しかしそれでいて、どうすべきか見当もつかない。
闘技場の中を歩き回る。特に理由があるでもなく、ただ何か案を求めて歩いていた。
こうして歩くのは、義母の癖だ。レア個人としてはジッとしていた方が考えがまとまると考えているが、そうして何も思い浮かばなかったがために、今度は義母の行動を真似している。
「…………」
どうしたものかとただ歩く。
客席を、控え室を、通路を、関係者以外立ち入り禁止の場所を、どこへともなく歩き回る。
道中で何人かに指示を出し、現状の成果を聞くごとに不安が募った。
控え室に人がいなくなる瞬間はいつか。あるいは、控え室から人を払うにはどうするべきか。
なんらかの方法を考えなければならない。
アルテアが倒れれば、その時点で対抗戦は終了となる。
その後は表彰式があるため、探している時間は全くない。
「あぁ! 探したよ、ようやく会えた!」
「……っ!」
不意にかけられた声。
苛立ち、荒んだ心に優しく染みるその声は、レアの最も愛する者の声に他ならなかった。
「義母さん……!」
立っていたのは、アドミナ・スピエル。
レアの義母であり、安産であり、未だかつて唯の一度も勝てた事のない上位者である。
「なぜここに? 対戦は終わってしまったのですか?」
「対戦なんてもう見てないよ。私はレアが闘うところを見たかったのに、レアが出ていないんだからね」
大した事のないように、アドミナはそう言った。
その言葉は、レアにとって聞き流す事ができるものではない。
「いや……勝利したかどうかは確認しないのですか? 勝利せよと言ったじゃないですか」
アドミナがそう言ったからこそ、レアはここまで努力している。それが無意味であるというのだろうか。
そんな疑問を、アドミナは首を振って否定する。
「どうせ勝つでしょ? 貴女が、私のお願いを反故になんてするわけがない」
「…………」
その言葉は、レアの肩に重くのしかかる。その重さは不安を煽る。重いばかりが、恐ろしくもある。
しかし、苦しさはなかった。苦しいどころか、嬉しくもある。義母から受けた信頼が、その身に染みているからだ。
「一人でなく、大勢での勝利は、きっといい経験になる。もう一度言うよ、貴女たち七人を勝利させなさい。これは、きっとかけがえのない経験になるでしょう」
それだけ言うと、アドミナは早々に立ち去ってしまった。
見慣れた装飾過多な外套をはためかせ、どうやら帰ってしまうようだった。
勝手奔放でありながら、何故かその言葉は本質を捉える。
「わたしたち……わたしたち七人の、勝利……」
見慣れた背中を見送り、レアは一人呟く。
義母に言われた言葉を、静かに反芻している。
呆然と、漠然と、瞬きすらも忘れてただブツブツと呟く。この場に人がいない事は幸いだろう。もしも見られていたならば、その不審な挙動を見咎められて警備兵に突き出されていた事だろう。
「……勝てる」
どれほどそうしていたのか。やがて、その目に光が取り戻された。
レアは急ぐ、その足はこの何時間かの間で始めて目的を持って歩いている。
勝利という、目的地に向けて。