彼女たちは対抗戦をする15
携帯式呼出鈴。
海を隔てた異国の地で開発されたという世界初の通信魔導具だ。
しかし、その性能は未だ実用に足るとは言い難く、魔力を流す事によって対応するもう一つの魔導具が振動する程度の効果しかない。
ファルハン魔術学園側が内通者に持たせていたのは、確かにこれだ。
「こんな物で内通していたと?」
ヴェルガンダが眉間にしわを寄せる。それもそのはずだ。なにせそれは、単体では意思の疎通もままならない様な欠陥品に他ならないのだから。
「分からないのも無理はありませんね。盲点どころか、完全に可能性を無視してしまっていました」
シスが腕を組む。もし自分であったなら、この魔導具を使おうとなど思うだろうか。否であると、容易く断じる。
「しかし、どうやってこれで内通していたと?」
ヴェルガンダはレアに問い掛ける。
この魔導具では、知った情報を伝える事ができない。この魔導具を使って、一体どうしたというのか。
「モールス信号を使ったものと思われます」
モールス信号。
短点と長点によって一文字を表し、それを連ねる事によって文章となる。多くの場合、第一属性を用いて夜間に行われる通信であり、これの開発によって長距離での意思疎通が可能になった。
「本来ならば可視範囲内のみでしか効果を発揮しないこの通信ですが、確かに携帯式呼出鈴ならその問題は解決します」
確かにそれならば、遮蔽物を気にせず意思の疎通が可能だ。代わりに魔導具の適用範囲内を出ると通信ができないが、闘技場という限られた空間内での行動なら問題にはならない。
「魔導具の形状がわかったのなら、内通者を見つける事は難しくない。他の者も一網打尽にする」
「…………っ」
まずい、と感じた。このままでは、役目を果たす事ができないと。内通者の男は、恐れていた。自らが再び役立たずとなってしまう事を、何よりも恐れていた。
しかし、この状況は変わらない。代表会は、三位を除いて全て揃っているのだ。彼の実力で覆す事ができる限度をはるかに越えていた。
「……クソ」
「はん?」
無意識のうちに、歯軋りをしていた。
「しくじった……私は、再びっ」
学園で全く振るわず、卒業を危ぶまれていた彼に来たのが不正の打診だ。その情報を持って代表会にたれ込むという心配はしていないようだった。
そして、その考えは確かに正しい。自らの心配で手一杯である彼にとって、対抗戦の勝敗など興味の範疇ではないのだ。母校への愛など、つゆほども感じない。そんな状況下で、まさか正義感に目覚めるような事があろうはずもない。
そして、ファルハン魔術学園がよこした使者は、このように言った。
——我が校への編入を推薦しよう。
すでに校内に居場所を持たない彼にとって、願っても無い事だった。さらにその上、進級と卒業を保証するとまで言ったのだ。
どうあがいても活路を見出せないこの学園を捨てての新天地。それは、とても魅力的に思えた。
断る事はできない。
そうして手段を選ばなかった彼は、その最後の手段すら果たせなかった。学園を卒業するという役目を果たすために与えられた内通という役目ですら、彼には荷が重かったという事だ。
これからどうして生きているべきか。
魔術師になれなかった彼は、親の期待に応えられなかった心残りを一生背負い続ける事になる。
彼にとって、それは余りに苦しく、余りに耐えがたい屈辱だった。
——しかし
「アルフ先輩」
不意に、名を呼ばれた。
その瞬間に、心が少しだけ軽くなった感覚がする。
「……は?」
「エイブル・B・アルフ先輩」
エイブルの名前を呼んだのは、代表会準格二位レア・スピエルだ。
彼女はいつもと変わらない口調で、特に深い意味を持つでもなく言葉を紡いだ。
「なぜこのような事を? ご実家に圧力でもかけられましたか?」
知っている事が当然かのように、レアはエイブルに話す。しかし、そんなはずはない。
「覚えているのか、私を」
「? はい。入学してすぐの時、魔導具を貸してほしいと言いましたね」
かつて、たった一度だけ、その時のみ言葉を交わした。
それ以降は、視界の端に捉える事もなく生活していた。
レアが代表会に取り立てられる一方で、エイブルは単位を落としていたというのに、彼女はそんなエイブルを記憶しているのだと言う。
「家は……関係ない」
自然と言葉が漏れた。
自らが肯定されたような気がして、報われはしないまでも救われたかのようにすら思えた。魔術師にも内通者にもなれない自分が行き着く先など、もはや大した問題ではない。
エイブル・B・アルフ
ただ名前を呼んだだけのその言葉が、エイブルの心を確かに救った。それは何気ないもので、なんの気ない言葉だったが、エイブルの心を澄み渡らせるには充分だったのだ。
なにせ、自らが自らであるなどという当然の事を、今はっきりと認識する事ができたのだから。
「……まずいな」
ファルハン魔術学園代表会三位アルバ・タクトは、魔導具に耳を澄ませながら眉間に皺を寄せた。
「何かあったか?」
「どうやらバレたな」
アルバが持つ魔導具は携帯式呼出鈴。相手校に忍ばせている内通者からの情報を受け取るために用意した端末だ。
「報告がない。定時報告だ。あれが来ない」
内通者にはたとえ新たな情報がなくとも報告をあげるようにと言いつけてある。
その報告が、上がらないのだ。
「しかし全員か? 五人はいたはずの内偵が、一人残らず見つかったと?」
エルエクシスが訝しげに首をかしげる。当然だ、こうならないために複数人の内通者を潜ませていた。
「……おそらく、レア・スピエルだろう」
「そいつは準格だろう」
レア・スピエル。
エルエクシスが軽んじるのも無理はないほどの劣等生であり、そもそも代表会に所属している事が不思議な生徒だ。
実技の成績は壊滅的であり、もしも代表会でなかったなら進級は絶望的だろうと思われた。唯一、魔導具技術の授業のみは得意なようだが、たったそれだけで成績を覆す事ができるほど魔術師の世界は甘くない。
ただ、たった一つだけ特筆すべき点があった。
「……聴覚だ」
携帯式呼出鈴の振動を、恐らくは聞き取ったのだろう。
振動する特性上、音を出さない事は不可能だ。常人であれば耳元に近づけてようやく聞こえるか否かという程度だというのに、レア・スピエルはたやすく聞き取ったのだ。
それならば、魔導具が使われるだけでその者が内通者である事が露呈する。自白しているにも等しい行為だ。
それほどまでとは、思っていなかった。
非常に耳がいいとは聞いていたが、正直なところ軽んじていた。
「足元をすくわれた……!」
この内通の肝は、一見して使い物にならないように見える魔導具を使用するところにある。たとえ魔導具の所持を知られても、それが内通の証拠にはならないはずだった。
知識と知恵が必要であると、ならば分かるはずはないと、そう思っていた。
しかし実際には、知恵も知識もあったのだ。
一度実態を知られればその特異性を失ってしまう魔導具は、レア・スピエルという弱点を孕んでいた。
彼女の力ならば、内通者を一網打尽にする事も不可能ではない。人員をうまく使う必要があるが、エルセ神秘学園代表会の頭脳であるアルテア・ハイドがいる以上、不手際があるとは考えられない。
「いやしかし、最早手遅れだろう」
エルエクシスが、口元に笑みをたたえて言う。
「勝ちは揺るがない。もう最終戦だ。奴らは遅れたのだ」
最終戦。
その対戦者は第一位たるヘルネストと第三位のアルテアだ。そこには隔絶とした実力差が存在し、決して覆る事はない。もしも第四戦のようになんらかの仕掛けが施されていたのなら覆るかもしれないが、そう何度も同じような手が使えるはずもない。
だが、アルバの心配はそこではない。
「その魔導具だ……」
アルバは部屋の隅を指差す。
そこにあるのは、キューが使用した不正用の魔導具だ。
「あれがどうしたのですか?」
キューが首をかしげる。
「分からないのか!? 奴らの狙いはその魔導具だ! それを証拠として、第一戦を覆すつもりなのだ!」
部屋の中に緊張が走る。確かにそれならば、最終戦の結果如何に関わらず敗北してしまう。
誰もが生唾を飲み込み、体を強張らせた。ただ一人、ダライアスだけが平然としている。
「代表会全員で一つずつ魔導具を持て。肌身離さず死守するのだ。ここにあるどれか一つでも見つかれば、我々の勝利はなきものと思え!」
最終戦直前。
この瞬間より、この対抗戦は単純な実力勝負ではなくなった。




