彼女たちは対抗戦をする12
「やあやあ、どうもどうも!」
意気揚々とナターシャは観客に諸手を振る。まるで舞台に立つ名女優かのようなその振る舞いには、対戦相手のエルエクシスも呆れてしまった。
彼らは勝利するためのこの場に立っており、そのためには笑顔を振りまく必要はないからだ。ならば、彼女の行為はただ客に媚びを売るだけの低劣な行いに他ならない。
エルエクシスはただ佇まいを正し、審判が宣言する試合開始を待っていた。
「おやおや、あなたは手を振らないの?」
「……振る意味がないからな。そんな事よりも、お前は四学年だと聞いていたが?」
回りくどく、嫌みたらしく、敬語で話せと、そう言っているのだ。
しかしナターシャは観客に向けているのと変わらない笑顔で、エルエクシスと会話を続ける。
「よく調べているわ。流石に二位だけあって、最初の二人とは違うようね」
「当然だ」
返す言葉は、たったそれだけ。
ファルハン魔術学園においてエルエクシスを越える生徒など第一位であるヘルネスト・デュウ・ロートリアを除けばダライアスという例外しかいないのだ。当然その程度の情報はナターシャも持ち合わせているに違いなく、わざわざ確認するような事ではない。
「ノリが悪いわ、ツレないわ。まるでレアちゃんみたい」
ナターシャはカラカラと声で笑う。エルエクシスにとっては、非常に不快な態度だった。
「小馬鹿にしている。侮辱だな」
「まさか、まさか、褒めてるわ」
「どうだか。レア・スピエルは準格だろう」
「大切で大切で、その上可愛らしい後輩だわ」
エルエクシスは武器構える。未だ審判から声は掛からないが、それでもはやる気持ちが行動として出てしまった。
エルエクシスの武器は、身の丈ほどもある長杖だ。その太さは腕の半分もなく、外見上はただの鉄棒に見える。しかし、対抗戦の規定から考えればただ大きいというだけの魔導具が持つ意味は決して薄くない。
合計10キログラムという重量制限をそれだけで満たしてしまうためだ。つまり、エルエクシスは他の魔導具を所持していない。
「随分と自信がおありなのね」
「当たり前だ。負けるつもりで勝負の場になど立つか」
二人の視線が交差する。対抗戦第四試合の開始は、もう間も無くだ。
闘技場のあちらこちらを駆け回り、レアはようやく控え室まで戻る事ができた。本当ならこの後もしなければならない事があるのだが、それでもわずかな時間を見つけて戻る必要があった。
「ハイド先輩!」
「戻ったか」
代表会の頭脳、アルテア・ハイドに用件があった。
「首尾は……?」
「良いとは、言えません」
部屋の外を注意深く確認しながら、互いにしか聞こえないほどに声を落とす。ここからの話は、誰にも聞こえてはならないからだ。
この場で話される内容は、代表会員以外に漏れる事は許されない。たとえ同じ学園の生徒であろうとも、その使用人であろうとも、信用などできるはずがない。
「内通者は見つけられそうもないか……」
内通者。恐らくは単数でなく、幾人もの人間が内偵しているはずだ。
そうでなくては、ここまでの情報漏洩はあり得ない。ただ、当然レア達も手をこまねいていたばかりではない。
まず行われたのは、アルテアによる情報統制だ。全ての情報を全員に共有するのではなく、それぞれの人物で知っている情報に差をつけた。その上で、誰が何を知っているのかを細かく管理したのだ。
これならば、流出した情報から誰が内偵したのかを知る事ができる。レアが行なっていたのは、相手にどのような情報が流れているのかの調査だ。
「思ったよりも多くの情報が流れているな」
「はい、私たちの身長や体重まで調べられています」
アルテアはレアが持ち込んだ羊皮紙に目を通す。そこには、レアが集めた情報がまとめられている。
レアの優れた聴覚は非常に役に立った。仕事をしているふりをしながら建物内の至る所に入り込み、あらゆる人間の会話を盗み聴く事ができたからだ。対抗戦が始まる前にナターシャが見つけていた相手校の控え室の前を何度も通り、相手校の生徒と思われる人物を軽くつけてみたりした。
その上で得られた情報を見れば、これが一筋縄でいかない事態である事は瞭然である。
「ハンナさんが使った魔導具の情報が漏れています。彼らはその性質を知っているような会話をしていました」
「…………」
ハンナの使った魔導具とは、言うまでもなく砂状になっていた物だ。あれの情報はハンナとレアの間でのみ交わされていたものであり、手伝いの生徒はおろかほかの代表会員ですら今日までその存在を知らなかった。
「ハンナ・S・ムーアが内通している……というわけでもないだろう」
「まず間違いなくそんなはずありません」
もしもハンナが内偵ならば、キューとの対戦であそこまでの接戦を演じる必要などなかったはずだ。最初の一撃に反応できずにやられてしまう事だって充分に考えられたのだから。
——そしてハンナが内偵でないとなると、いくつかの疑問が浮かび上がる。
「ムーア嬢の手の内が分かっていながら、なぜキューは対策を練らなかった?」
「…………」
レアは、アルテアの言葉に口を挟まない。何を言おうとしているのか分かったからだ。その言葉をただ聞き、答えを待った。
「我々が、彼女の扱う魔導具についての詳細を知ったのは、対戦の直前だ。それまでは、どのような物なのかくらいは知っていても、その真なる性質について全く無知だった」
「…………」
つまり、内通者もその時点で魔導具の詳細を知ったと思われる。
「だというのに、今現在はその詳細を知っているらしい」
「……つまり」
「そう、つまり……」
二人は目を合わせる。互いが同じ答えにたどり着いたと分かったからだ。
「我々に魔導具の性質が知らされてから、試合が始まるまでのわずかな時間に流れた情報という事だ」
そう、それならば、キューが魔導具の性質を知っていながらまともな対策を立てていなかった事に説明がつく。
この事実は、言葉以上に重大な意味を持つ。
手伝いで集まった者たちには、現状ほとんど単独行動を取らせていないはずなのだ。これも当然内偵への対策なのだが、それが意味をなしていない。
「一体、どのような手で相手校と接触を……?」
「それがわかれば苦労はしない。しかし、ここからの二戦も我々の情報は漏れていると考えて良いだろう。二位も苦戦を強いられるだろうな……」
二人は、揃って考え込んでしまう。
情報戦においての圧倒的な遅れ。それを考えれば、ここからの対戦が楽なものであるなどという楽観ができるはずもない。
しかし、それでも、諦めるつもりがあるわけではない。当然だが、ここからでも勝利するつもりでいる。
「先輩、よろしいですか?」
「聞こう。妙案なのだろうね?」
ここから話すのは、勝利するための秘策。決して確実でなどあるはずもないが、勝利に最も近いと思われる搦め手だ。
レアは、あらゆる手をもって勝利を模索する。それが、義母から言われた事だから。
代表会三位アルバ・タクトは、控え室から離れていた。エルエクシスを万全な状態で送り出した以上、彼の役割はひとまず終わったのだ。なにせ、彼は対抗戦には出場しない。
ダライアスという大型戦力を投入するためには、当然誰かが出場を辞退する必要があったためだ。
種族の栄誉のために出ているキュー、ゴルド、エルエクシスは決して辞退などしない。そして、代表会一位を差し置いてアルバが出場するなどという事になるはずもない。そのようなわけで、アルバは進んで裏方に回った。
だが、裏方であるという事は役に立たない事と同義ではない。むしろ、アルバは自らの能力を最も活用できるのは今だと考えている。決して矢面に立たず、状況を判断し、他者を指揮する。それこそが、魔導具師としての能力と自らの知力を最大限に発揮できる状況であると理解していた。
「おや、アルバじゃないか」
闘技場の通用廊下。対戦中である今は客の通りもなく、一見すると誰もいないようなその場所に、アルバを呼ぶ声が響く。
声の方向は、おそらく背後。アルバは特に驚いた様子もなく、振り返りながらこう言った。
「ヘルネスト、悪ふざけはよせ」
かけられた声は、ファルハン魔術学園代表会一位ヘルネスト・デュウ・ロートリアのものに相違ない。まるで気配は感じなかったが、相手から視認されるような距離にいる事は間違いない。
しかし、振り向いたその先には誰もいなかった。
「どっちを見てるのさ」
楽しげに、得意げに、一位の声は背後からかけられた。肩に腕を回されて、耳元でケラケラと笑われるまで反応ができなかった。
もしもこれが実戦であったなら、アルバの首はたやすく落ちる。代表会三位のアルバをして、まるで手も足も出ない。これが、ヘルネスト・デュウ・ロートリア。ダライアス・エンドラゴを除けば、ファルハン魔術学園の最大戦力である。
「悪ふざけは……」
「よせって? 二度目だよ。もう聞いたよ」
「だったらやめろ」
アルバのその言葉に、ヘルネストは返事をしない。代わりにふふんと鼻で笑って、アルバに背を向けるのだった。
「ところで何の用だい? 僕を探していたんだろ?」
そう、アルバが闘技場を歩き回っていたのは、ヘルネストを探していたからに他ならない。手洗いのためと言って一度控え室を離れたきり戻らないヘルネストを、出番が近づいてきたために手の空いたアルバが呼びにきたのだ。
「のんきをするな。エルエクシスが勝利すればお前の番だぞ」
「エルエクシスが勝ったら僕たちの勝ちじゃないか。僕が行く必要ある?」
そう言って、ヘルネストは肩をすくめた。
しかし、それがただ戯れているだけなのだとアルバは知っている。ヘルネストはこう見えて敵の情報を隅々まで記憶し、相手が取りうる様々な戦術を予測し、その対策を徹底的に考察する努力派だ。アルバも意見を求められた事は多く、決して対抗戦を面倒がったりするような性格ではない。
それでもあえてそのように演じるのは、その努力を他人に悟られないため。
少しでも相手の油断を誘い、少しでも勝利する可能性を上げるため。それが分かっているから、アルバはあたかも呆れたような口調で返す。
「勝とうと負けようと、対戦は全て執り行われる。知っているだろう」
「知ってはね、いてもね」
そう言って不敵に笑う。
いつもの調子だ。決して負ける事はないと、アルバは確信していた。




