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彼女たちは対抗戦をする 10

 龍人(ドラゴニュート)は、亜人の中でも特に強大な力を持つ種族である。

 膂力や腕力はもとより、純人(ヒューマン)森人(エルフ)をはるかに上回る魔法適正を持ち、さらには肉体強度に由来する強力な魔法耐性を備えている。

 その強力さたるや、対抗戦における使用可能魔法では突破できないほど。ダライアスは決して負けないというファルハン魔術学園の考えは、決して驕りでも過信でもないのだ。

 初めから、シスに勝ち目などなかった。


「なんだ、思ったよりもずっと強いな」


 余裕の表情。無傷の身体。シスとの実力差は明白だ。

 シスに出来た事といえば、せいぜいが服を汚す程度。しかしそれも、ダライアスを下すには及ばないばかりか、服の下は全くの無傷だ。


「貴方もずっと、ずっと強い」


 ダライアスを下すには、より強力な魔法が必要だ。そして、シスの実力ならば打てる手は無数に存在する。これが対抗戦でなかったのなら、あるいは勝機を見出せていたかもしれない。当然、それでも敗北は限りなく濃厚だが、少なくとも必敗ではなかったはずだ。

 それだけに——


「——残念だな」


 ダライアスは肩を落とす。


「残念とは?」


 その言葉の意味は、シスには理解できなかった。

 できるはずもない。ただ名を上げるため、ただ名声を得るため、ただ勝利するために死力を尽くそうというシスに、戦い甲斐を求めるダライアスの思考など分かるわけもないのだ。


「残念でならない。こんな試合なんかではなく、本気で勝負をしたかった。命を取るとまではいかなくとも、全力が出せたなら幸せだったろうな」


「私と貴方の幸福は、どうやら意味が違いますね」


「そのようだ。しかしそれは大した問題じゃあない」


 俄かに、ダライアスは力を込めた。両腕には、目には見えない力の奔流が感じられた。生半可な実力の魔術師では感じる事すらできないその力は、一般に魔力と呼ばれるそれに他ならない。


 第八属性:(つちのえ)—七等級《ドラゴネスインパクト》


 鱗の張った両手の拳を打ち鳴らす。本来ならばカチカチという軽い音がなる程度だろうその動作は、魔力の補助によって強力な現象を引き起こす。

 衝撃波である。

 波紋のように打ち広がる衝撃。それは抗い難く、シスは無理に対抗するのをやめた。後方へ自ら飛び下がり、体勢が崩れるのを最小限に抑える。無様に地面を転がる事だけは避けられた。


 第八属性:(つちのと)——七等級《ドラゴンハウル》


 ダライアスの行動を言い表すのなら、ただ吠えただけだ。魔力を感じられない者にとっては、そのように見えた事だろう。

 それは、指向性を持たされた音波攻撃。攻撃の最中にいない者にはただの声にしか聞こえず、しかし攻撃に晒される者には破壊の空間が出現したかのように思われる。

 その魔法がシスの体を優に覆い尽くすほどの規模を持つ事を見れば、ダライアスがただ力が強いだけの人物ではない事が伺える。魔術師としても、すでに一流の実力を持っている。

 ——しかしそれは、シスも同じ事。


「……!!」


 魔力操作の精密性からくる、高精度の干渉力。相手の魔法に自らの魔術を干渉させて、その魔法を自らの制御下に置く事こそが、シス本来の戦い方だ。


「っ……やるじゃあないか」


 結果、シスは無傷。

 ダライアスの音波攻撃は狙いをそらされ、遥か後方の客席前で霧散した。

 正面を切り、不意を打つわけでもない魔法では、シスを傷つける事はできない。

 だが、それでなお、シスは冷や汗を抑える事ができない。


「…………」


 無言でダライアスを見る。それは、ただ会話する程度の集中力すら欠く事ができないと判断したためだ。ダライアスを前にしては、シスがどれほど実力を発揮しようとも勝機は皆無。であるならば、最大を上回る最上の力を出す必要がある。

 今、ダライアスの魔法に干渉したシスはその力をそのままダライアスに返すつもりだった。魔法の制御を完全に掌握し、最小限の力で有効打とするつもりだった。だというのに、実際には力の方向をそらし、自らを射線上から外す事が限界。

 あたかもその実力を遺憾なく発揮したように見えるシスではあるが、実際には自らの土俵でなお完全な優位を取れない事に焦りを感じている。

 ダライアスの力強い魔法の前には、シスの技術もたんなる小細工に他ならない。

 だが、だからといってこのまま大人しく勝ちを譲る気は無い。


「何度でも、何度でも……撃ってくるといいでしょう」


 ダライアスが行動を起こさないとみて、そんな事を言った。

 実情を言えば強がりと何ら変わらない言葉だが、あたかも自信を持っているかのように言うのなら、それは確かな意味を持つ。


「やめておこう、無闇では意味もない」


 要はハッタリである。

 シスはダライアスの魔法をほんの少しだけそらす事が精一杯であり、それも続けられればいつまで持つかわからないような状況である。しかし、こうも自信をもって話されてしまえば、あたかも容易に魔法干渉を行ったかのように見える。

 結果、ダライアスは警戒を余儀なくされた。


「もっと隙を見て、不意を打つ事としよう。でなくては骨が折れそうだ」


「隙など晒しませんよ、不意など打たせませんよ。ここからはずっと」


「そうか、そうか……!」


 先ほどまでのつまらなそうな表情とは違う、満面の笑みでダライアスは笑った。

 たったそれだけが一つの魔法であるかのように、シスはたちまち気圧される。足が地面を擦り、後ずさろうとする。


「多少、遊ばせてもらおう!」


 日和るシスの事を、ダライアスが気にとめるわけなどない。


「……っ!!」


「楽しいな、楽しい……!」


 笑いながら、喋りながら、ダライアスは猛攻を緩めない。シスが一言も話させないほどに必死だというのに、遊ぶと言った言葉の通りに余裕を全く崩さない。

 拳も脚も、魔術も、全てを使って猛攻を仕掛ける。時折交える尻尾の攻撃は変則的で、対処には相応の集中力を必要とする。ほんの一時も息をつく事が出来ないほどの乱撃は、ほんの少しでも気を抜けばその瞬間にシスの体を滅多打ちにする。

 ——だが、


「……攻め切らんなっ!」


 ダライアスがそれほどの攻撃を行ってなお、シスが屈する事はない。


「ようやく勝負らしくなったじゃあないか!」


「っ……!」


 先程まで、ダライアスは手を抜いていた。適当に流して適当なところで勝負を決めてしまえばいいと思っていた。だから、本格的な攻撃には転じなかった。

 そして、シスもまた本気とは言い難かった。本当なら余裕がある状況下で、あたかも切羽詰まったかのように振舞っていた。それは逆転の一手を狙っての事ではあったが、純粋な立会いという目線で見れば本気とは言えない。

 それが、今は違う。

 二人が二人とも適当に流していた先程までとは全く違う。互いが相手を下すために攻撃を行っている。確かにダライアスは全力を出していないが、それでもシスを倒さないように気を使っているわけではない。次の瞬間に勝負が決まってしまうと感じるだけの力を出して、それでも倒れないシスに驚愕していた。

 そしてシスも、ちぐはぐとした感覚を覚えている。

 先程までの手を抜いていた時よりも、今の方が余裕を持っているように感じるのだ。

 当然、ダライアスの猛攻を捌く事が容易いという意味ではない。少しでも足を滑らせれば瞬きの瞬間に敗北しかねない現状が、シスにとって好ましいものであるはずがない。

 しかし、肉体でなく精神に、シスは余裕を持っている。

 魔法を絡めての猛攻を捌く。それは、シスが最も得意とする戦況に相違ない。たとえ息つく暇もないほどに追い詰められていようと、心の余裕が冷静な行動を促している。

 ——故に膠着。

 ダライアスがその気になれば崩れてしまう程度の均衡だが、それでもシスが龍人(ドラゴニュート)に食い下がっているという事実は観客を驚愕させた。


「そろそろ疲れた頃か? 私はまだまだ遊び足りないぞ!」


「なんっ……! とも、まあ……っ! 楽しそうでッ! 羨ましい、ですね!」


 途切れ途切れに、ようやく返事をする。

 ダライアスは、まだ勝負を決めるつもりはない。久方ぶりの戦闘らしい戦闘に、己の昂りを抑えられないでいる。終わらせてしまう事を、惜しんでいるのだ。

 自らの五体に加えて魔術まで用いて、それを捌ききる相手は同族を除けばただの一人もいなかった。

 シスは後の先を得意とする魔術師であるため、攻撃への対応はお手の物だ。エルセ神秘学園の面々から見れば、むしろシスが反撃の好機(チャンス)を作れないでいるという事にこそ驚愕する。あまりにも高い龍人(ドラゴニュート)の実力には舌を巻く。


()えるな、()えぬな」


()えますとも……! ()えませんともっ!」


 この試合の結末は、すでに見えていた。

 誰もがそう思っている。攻撃に転じられないシスには勝ち目がなく、余裕を持つダライアスは倒れたりしない。ならば、シスが倒れてしまうまでこの攻防は続き、シスの体力が尽きてしまう事によって勝負は決する。

 控えの代表会員も、ダライアスも、観客も、シス自身ですら、そうなるだろうと確信していた。

 当然だ。ダライアスは無尽蔵とも思える体力でシスを攻め立て、シスは一切の有効打を持たずに防戦一方だ。頼みの綱であった魔法干渉も、ダライアスに対しては決め手となり得ない。

 ダライアスはいつまでもこの戦いを続けたいと思っており、シスは決して膝をつくまいと思っている。この対抗戦で名を挙げなくてはならないシスにとって、敗北はあっけないものであってはならないからだ。

 故に足掻かなくてはならない。逃亡の許されないこの円形の内側で、彼女はあがき続ける必要がある。

 ——逃亡の、許されない。


「……? ……!」


 自らの思考の中に、シスは光明を見つけた。確実とは言えないまでも充分勝機と言えるだけの策を、つい今しがた思いついた。

 目まぐるしい攻防の最中に垣間見た勝利に手を伸ばすため、シスは一層集中力を高める。たとえこのまま一時間だろうと一日だろうと堪えるつもりで、息つく暇もない猛攻を息をするのも忘れて捌き続ける。

 決して怪しまれぬ様に、手を抜いていると思われぬ様に、ゆっくりゆっくり後ずさる。

 やがて、背後に壁を背負う。一見すれば、それは追い詰められている様に見える。

 だがしかし、壁にかかとを付けるほどに押入られたこの時こそが、シスがようやく反撃に転じる時だ。

 振り抜かれるダライアスの拳を、シスは()()()()()()


「ぃッ……!」


「何……!」


 避けられる事、あるいは捌かれる事を想定していたダライアスは、不意に受けた衝撃によってほんの少し体勢を崩す。当然それは体を転ばせるほどのものではないし、ダライアスの行動に支障などでない。だが、それでも次の行動は一瞬遅れ、僅かばかりではあるものの隙が生まれている。

 そして、本来ならば魔法の使用制限と対戦者の自衛によって守られる互いの安全は、ダライアスほどの突出した実力の持ち主には十全に保証されないのだ。ただの正拳突きすら必殺となり得るダライアスには、対戦相手の安全に対してより深い注意が必要となる。まさか自ら攻撃に飛び込んでくるとは思わないダライアスは、シスの身に怪我をさせないためにわざわざ手を抜かなくてはならないのだ。

 そんな二つの要因によって生まれた好機は、シスにほんの一瞬だけの攻撃を許した。


「シィッ……!」


 懐を取られたダライアスにその魔法を避ける事など出来ない。

 足元を蹴り飛ばすと同時に顎を掌底で打ち上げる。その程度でダライアスが倒れない事は分かっているため、さらにそこから追い打つ。指をダライアスの胸ぐらに絡め、体重をかけて投げ飛ばす。


 第八属性:(ひのと)—十等級《リペル》


 満を持して、たかだか二桁台の魔法を行使する。

 力の方向と大きさを司る第八属性によって発生させられた反発力は、シスが投げ飛ばした力と相まって龍人(ドラゴニュート)の強靭な肉体を宙に舞わせる。


「うぉっ!」


 たったそれだけ。

 ダライアスに有効打を持たないシスにとって、たったそれだけが精一杯の抵抗だ。

 ただ相手の体を浮かせただけ。たったそれだけ。ダライアスはシスの身長の三倍か四倍ほどの高さまで打ち上げられ、そこを頂点として緩やかに下降する。

 そしてその足は——客席に着地する。


「ぅ……っ!」


 自らの体も一緒に投げ出すほどの勢いで腕を振り抜いたシスは、不恰好に倒れ込んで身体中に砂を纏わせた。しかしそのまま倒れているわけにもいかず、飛び上がるように体勢を立て直して空を見上げた。

 自らの力が少しでも足りなければ成立しないような下らない策だ。もしそうなってしまったら、ダライアスはただ優雅に着地をするだけで何一つ起死回生の一手などではない。

 故に、確認が必要だ。ダライアスが客席に足をつけてしまったという事実の確認。自らが確かに勝利したのだという確認。それがなくては、安堵のため息を出す事もままならない。


「——!!」


 果たして、ダライアスの体は確かに客席よりも高く舞い上がっていた。そのまま落ちればそこは場外であり、シスの勝利が審判の口から叫ばれるその位置に、ダライアスは確かにいた。


 第四属性:(かのと)—七等級《ドラゴニックフライ》


 本来ならば空を飛ぶような高位魔法は使用する事ができないが、龍人(ドラゴニュート)の高い魔法適性と翼の存在がシスに災いした。純人(ヒューマン)であれば三等級にもなるフライの魔法を、龍人(ドラゴニュート)はたかだか七等級で行使する事ができる。


「なかなか邪険にしてくれる。私はまだ遊び足りないんだが?」


 ふわりと優雅に降り立って、ダライアスはシスに笑いかける。当たり前というべきか、シスに打ち上げられた顎を気にするそぶりは見えない。


「……お断りですよ」


 得意の魔法干渉も防戦にしか使えず、攻撃は何一つ通用せず、場外にもできないとなれば、今度こそ打てる手は全て打ち尽くしてしまった。無理をした事が祟ってもはや体力は限界であり、とてもではないが戦える状況とは言えない。


「降参、します」


 その言葉と同時に、シスは尻餅をついた。

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