彼女たちは対抗戦をする 9
ダライアスとシスの対戦は、誰が見ても勝敗は明らかだった。
身内びいきをどれほど入れたとしても、エルセ神秘学園側ですら勝利の目が全くないように見えた。
シスは本来、繊細な魔法制御が得意な魔術師だ。魔術戦においては苦手とするヴェルガンダにすら勝利経験のある彼女だが、それは力比べが得意であるからではない。相手の魔法に干渉する事、それがシスの本領だ。対魔術師においてなら、校内に彼女よりも優れた生徒は存在しない。
しかし、それはすなわち弱点が明白であるという事でもある。魔術師に対して最も有効な戦術を最も高度に使いこなす彼女が、一位になれない理由は瞭然なのだ。
その洗礼された魔法制御を除けば、シスが他の代表会員に勝るところはほとんどない。
搦め手においては達人と言えるだけの実力を持つシスだが、小細工なしの正面戦闘では同学年の平均をわずかに上回る程度。魔術師に最も必要な技能を備えているものの、今この場においては致命的な弱点だ。
なにせ、ダライアスは魔術に頼らなくとも充分に強い。方向性で言えば、ヴェルガンダに似ている。元の身体能力を生かした、紛う事なき戦士だ。
相手が魔法を使うからこそ実力を発揮するシスにとって、最悪とも言える相手である。
「……ッ!!」
身体強化と肉体強化を幾重にも重ね、それでもなお埋まらない実力差に声が漏れた。拳も、蹴りも、ダライアスの反応速度を上回る事はなく、その強靭な腕で弾かれてしまう。さらに言えば、仮に渾身の一撃がダライアスの腹部をとらえようとも、それが致命の一撃になるとは思えなかった。
分厚く、硬く、それでいて柔軟で、故に強固。その鱗に守られた肉体は、とてもシスが突破できるような防御力ではない。衝撃はあっけなく吸収され、ダライアス自身には撫でられた程度の感覚も与えられない。
シスの全霊をもってして、依然勝利には程遠い。
拳を繰り出す。しかしダライアスは容易くあしらう。それは卓越した技術によるものではなく、驚異的な動体視力と身体能力によってなされる技だ。シスの渾身を、ダライアスは余裕をもって手のひらで受ける。
蹴りを繰り出す。しかしダライアスは軽くあしらう。それは熟練の技術によるものではなく、生まれ持った肉体の強固さでなせる技だ。逆に、蹴り付けたシスの脚の方が痛む始末である。
ダライアスがその気になりさえすれば次の瞬間には勝負が決まってしまうというのに、気まぐれなのか侮りなのか、ダライアスはシスに攻撃しようとしない。シスが倒れていないのは、その実力が原因ではないのだ。
手詰まりを、予感していた。
誰もがダライアスの勝利を疑わず、誰もがシスの敗北を確信し、誰もが一方的な展開が覆る事はないと思っていた。
たった一人、シスを除いて。
ダライアス・エンドラゴという人物は、まるで情熱を持たない事で知られていた。
彼は三学年次の途中で龍人の国から留学してきたためにファルハン魔術学園への在学期間はまだ一年ほどなのだが、それでも学内に彼の事を知らない者は一人たりともいない。様々な種族が通うファルハン魔術学園ですら、龍人の生徒はダライアスのみなのだ。ならば、否が応でも目立ってしまう。
そんな全ての生徒に知られるところの彼に対して、そのほとんどの生徒が抱いている印象こそが「無感情」「物静か」そして「情熱を持たない」といった、非常に偏ったものだ。
仲のいい生徒は特におらず、授業中も特に発言をしない。休憩時間には何処かに消えて、休日にその姿を見た者はいない。
噂好きの女子生徒の間では、彼は幻なのだと冗談めかして語られている。
抜群の成績と圧倒的な実力を持ちながらそれを誇示する事はせず、誰もの目を引く種族でありながら誰とも話そうとしない。嫌味であるよりはるかにマシであるものの、近寄りがたい雰囲気を感じざるを得なかった。
学内にいる全ての人間が、彼を詰まらない男だと思っている。
情熱などという言葉は、きっと彼のためには存在しないのだろうと考えられていた。
それが、誰もがダライアスに抱いている印象だ。
それが、ダライアス自身でも思っている印象だ。
「打ち込みが甘い」
「……!」
「もう半歩、踏み込むべきだ」
シスの攻撃にダメ出しをする。
それは対戦相手に対してあまりに不敬な行為だが、ダライアスは改める気にならなかった。なにせ、不敬であれど驕りでなく、不遜であれど侮辱ではない。そこにあるのは埋めがたい実力差という、ただの事実に他ならないのだ。
たとえ誰であろうと、ダライアスを相手にしては等しく無力なのだ。
かつては、そんな事はなかった。
ダライアスが龍人の国にいた時であれば、周りは互いを高め合う好敵手ばかりだった。ダライアスの種族的優位などなく、己の磨いた技術や蓄えた知識などによって競い合える友ばかりが周りにいたのだ。
留学の話を受けた時は、より様々な者たちと知り合えるのだと心が踊った。様々な種族が通う学園であると聞いていたため、自らが今まで知り得なかった事を学べるのだと、そう思っていた。
しかし、ダライアスは幻滅する。
彼は知らなかったのだ。たとえあらゆる種族から集められた選ばれし天才たちであっても、最強者である龍人の前には凡夫と何も変わらない事を。彼は知ってしまったのだ。他種族に、自らの力を脅かすような存在がいない事を。
現在、ダライアスはつまらない日々をただ過ごしている。熱意など、起こるべくもなくして。
この対抗戦においても、ダライアスは決して負けないのだ。他の者であれば驕りだと糾弾される事ではあるが、ことダライアスに対してのみは単なる事実だ。
ほんの僅かでも自らを脅かしてはくれないかと、そういう思いから意見する。対戦相手への助言など腹を立てられても仕方がないが、どうやらシスは気にするような人物ではないらしいのでそのまま続けた。
「足運びが雑すぎる。狙われればひとたまりもあるまい」
そう言って軽く足を払う。半歩足りないというダライアスの言葉を気にしたのか、今度は踏み込み過ぎていたのだ。
崩れた体制を即座に整えたのは、流石に代表会員である。しかしその程度では、やはりダライアスにはほど遠かった。
やはり、自らの勝利は揺るがないのだと、ダライアスは喉元まで出かかったため息をなんとか飲み込んだ。
あと少し、ほんの少し。
シスは、様子を伺っていた。ダライアスが即座に勝負を決めてしまわない事をいい事に、必要以上に苦戦しているふりをしながら、自らの思惑を通すための隙を伺っていた。
ともすればこのまま押し切られてしまいそうな状況ではあるが、闇雲では勝ちを引き寄せる事などできるはずもない。
何のつもりか分からないが、ダライアスはシスの行為にダメ出しをしてくる。これを利用できないだろうか。
右の拳を打てば、踏み込みが甘いと言われ簡単にあしらわれる。
相手の攻撃を避ければ、足運びが雑だと言われ足元を払われる。
踏み込みの甘さも足運びの雑さも手を抜いているため当たり前だが、ダライアスを相手にしてはどうせ本気でも変わらないだろう。今重要な事は、ダライアスが逐一シスの行動に反応を示すという事だ。
「……っ……ッ!」
わざと必死そうな声を出し、わざと拙く攻撃する。
ダライアスは苛立ちを隠さず、シスを軽く小突いて距離を置いた。
仕切り直しと言わんばかりの行為だが、シスにとってはそうではない。
第二属性:辛—八等級《ファイアボール》
「——!!」
試合開始から始めて、ダライアスの顔に驚愕が浮かんだ。
ダライアスがシスの肩を小突く際、当然ダライアスには死角が生まれる。自らの腕の向こう側、そこは、相手に手が届くほどの近距離においては蔑ろにできないだけの死角となる。
ならばそこで魔法を発生させる事など、代表会員であるシスには造作もない。ダライアスは、突如として眼前に現れた火球になすすべもなく飲まれる事となった。
反応も、防御も間に合わない超近距離での魔法行使。これこそが、シスが先程から考えていた奥の手に他ならない。
たしかに、相手が魔法に頼らないのであれば、シスが最も得意とする魔法干渉の戦術を取る事はできないが、だからと言って魔法が使えなくなるわけではない。むしろ、相手が魔法の使用を控えているとなれば、それはシスの優位性に他ならない。
そして、そこで手を止めるほどシスの詰めは甘くない。その火球は過剰攻撃とならないために威力を抑えてあり、せいぜいが視覚的恐怖を煽る事と目隠し程度の役割しか期待できないからだ。
第五属性:庚辛—七等級《アース・ガントレット》
「シィィイャャヤッ!」
渾身の打ち込み。拳を包む岩石は、硬さのみならず重量まで補助して威力を高める。
第四属性:辛—七等級《ウィンドランス》
第六属性:丙丁—七等級|《雷拡》
それぞれの魔法を三連。宙を舞う不可視の槍が殺到し、地を這う光の網が逃げ場を奪う。いずれも禁止されていない等級ではあるものの、ともすれば大怪我となりかねない強力な魔法だ。これで過剰攻撃を取られればシスの敗北だが、龍人の肉体強度に賭けた。
倒れたか、怪我はないか。
もしも命に関わるほどの大事になっていた場合は取り返しがつかないが、シスはその心配をしていない。今までの攻防によって、ダライアスの肉体はこの程度で打ち砕かれるような柔さではないと考えていたからだ。
「……っ!!」
炎の幕はすぐさま消えて、視界は明瞭に確保された。
ダライアスが傷ついていたならばシスの敗北。傷つかずに倒れるか、そうでなくても膝をついていたならばあとは詰めるのみ。
その状況下において——
「——思い切ったな」
全くの無傷。
ダライアスは、微笑をたたえて立っていた。ただ自然体で、ただ笑っていた。
「……参りましたね」
シスは、苦虫を噛み潰したような表情になる。先ほどまでの演技と違い、実際に万策が尽きてしまった。




