彼女たちは対抗戦をする 8
学園二位であるシス・ハイネは、当然魔術師として高い技術を持っている。
シスの家は、この国においては魔法爵と呼ばれる地位にあたる。これは、世襲権をもたない準貴族であり、魔法研究において国家に重要な貢献をした者に与えられる称号である。
ゆえに、彼女は厳密には貴族ではない。
彼女の目標は、自らの家が正式な貴族位に就く事である。世代を超えて国家に仕えた事によって爵位を与えられた前例は多く、つまり彼女の差し当たっての目標は自らも魔法爵を賜るほどの働きをする事であるのだ。
彼女の行動意欲は、全てがその夢に支えられている。産まれ持った才能に溺れず、たゆまぬ努力を続け、現在では学園の次席という高評価を受けている。その純然と規律を重んじる態度も、その評価にふさわしい人間になろうという意識の表れだ。
この学園間対抗戦は、その意味で大きな役割を担っている。国の重鎮も注目するこの場での活躍は、学生にとって小さくない将来の足がかりとなるためだ。
誰にも悟られない緊張を胸に、シスは観客の前に姿を現した。
その格好は、これまでの誰よりも闘技者然としたものだ。
所持している魔導具を全て統一していたハンナとも、わざわざ手加減するための魔導具を所持していたキューとも、ただ一点のみに狙いを定めていたヴェルガンダとも、ヴェルガンダの対策のみに狙いを絞ったゴルドとも違う。両手に漆黒の手袋をはめている以外、特段語る事のないような風貌だ。確かに全身を無数の装飾品が飾っていはするが、それは魔術師として何ら特別な事はない。全く対称の位置に対称の形状をしている魔導具を装備している事は確かに特徴的ではあるが、それ自体は彼女の戦術に影響を及ぼすものではない。
観客に手を振る事もせず、ただその場で微動だにせず、ただ相手の入場を待っている。歓声を一身にうけ、しかし全く気にも留めない。その泰然自若とした様こそが、彼女にとっての理想なのだ。たとえ浴びせられるのが歓声であろうと罵声であろうと、彼女はその態度を崩さない。
わっ、と。
やがて歓声はより大きくなる。それはシスの向かい側、対戦相手であるダライアスの入場に合わせてだ。
一目で、これは並々ならない闘いになる事がわかる。ただ姿を目にするだけで、その会場にいる全員がそう感じた。
ダライアスは、なんと規定装束以外の魔導具をその身につけていない。隠し武器の可能性も無いではないが、彼がその様な搦め手に出るとはどうしても思えない。彼の実力ならば、その必要はないだろうはずだからだ。
「龍人……!」
身体の大部分は鱗で覆われており、背には翼としっぽを持っている。強靭な肉体と高い魔法適性を持つ、最強の亜人種である。
準格であると聞き、実力が劣るものであるとばかり思っていた。情報の広まっている上位者よりも、知られていない下位者の方が良いと考えたものとばかり。
しかし実際はまるで違った。
現れたのはむしろ、情報が無い上位者だ。二つに一つと言わず、まるで悪いところどりをしたかのような現状には、泰然自若で知られるシスですら表情を曇らせる。
「宜しく」
笑いもせず、無表情で、ダライアスは手を差し出す。その腕も鱗に覆われており、さらにその鱗の下にある強靭な筋肉が肉眼でもはっきりとわかった。シスは慄いている事を悟られないように、目一杯に普段通りを意識して握手に応じた。
「こちらこそ、宜しくお願いします」
ダライアスはシスよりも頭三個分も背が高く、随分と見上げるような姿勢になってしまった。
「……迂闊だぞ。亜人相手に、あまり握手をしない方が良い」
首を傾げ、ダライアスは子供に諭すような声色でそう言った。
「体に毒を持つ者もいる。さり気なく、ほんの僅かに、多少であったなら、ともすれば気づく事が出来ないかもしれない。純人は亜人に詳しくないからな」
「はあ……気をつけます」
二人は距離を取り、審判の指示を待った。
この時点で、シスは敗北を覚悟している。つい先ほどまではどんな者が相手でも一勝をもぎ取らなくてはと意気込んでいたが、相手が龍人であるというならばそう簡単にはいかない。
全ての亜人を合わせてなお足りないほどの魔法適性を持ち、鳥人を凌駕するほどの飛行能力を持ち、虎人と鬼人を合わせた以上の筋力を持ち、猫人にも等しい柔軟性を持ち、馬人でも敵わないほどの脚力を持っている。
とてもではないが、学生が打倒しようという相手ではない。
「両者、控えて!」
審判のその言葉は、シスには必要のない事だった。何せ、控えるまでもなくシスは身を引いているのだから。全くの無意識下に、ダライアスから距離を取ろうと体が反応していた。
それほどまでに、恐れていた。
「構えて!」
その言葉もまた、言われるまでもない事だ。シスの体は充分に強張っており、すでにこれ以上構えられないほど臨戦となっているのだ。意識するまでもなく、ダライアスを前にして無防備を晒す事などできない。
対するダライアスは、今まさに開戦というこの時に至って全くの自然体だ。片手を腰に当て、もう片方はだらりと脱力している。とてもではないが、臨戦とは程遠い。
「おい君! 構えて!」
審判がダライアスを見てもう一度指示を出すが、ダライアスにそれに答える様子はない。
「始めてもらって構わない。私はこのままでいい」
審判は納得のいかない様子だが、そう言われてしまっては食い下がる事もできない。
仕方なしに、この試合は開始された。
「始め!」
「…………」
「…………」
誰もが激闘を予測した。龍人が闘う以上、それが生半なものとなるはずがないと、選手を含めた会場中の誰もが考えていた。
仮に決着が一瞬であろうとも、その中は幾重にも駆け引きが行われ、幾度も状況が変わってしまうような「濃密の一瞬」であるはずなのだと、そう思われていた。
しかし、開始の宣言から三十秒経過しようとも、両者は微動だにしない。
「えっとぉ……?」
審判も困惑し、選手二人を交互に見合わせている。
「ああ、別に聞こえていないわけじゃないとも」
「……そうか」
首を傾げながら、審判は下がった。納得はしていないものの、試合に巻き込まれるわけにはいかない。
「どうした? 別に来ても構わないんだぞ?」
「…………」
シスは答えない。
この膠着状態は、決して示し合わせたものではない。当然といえば当然だが、全くの偶然によって成り立っている。
シスが動かないのは、先んじる事を敬遠したためだ。先んじていながら相手がそれに対応した場合、相手の行動にさらに対応する事が困難になる。ならばこの場は相手に先んじさせ、万全の体制を持って対応する事こそが最善であると判断したのだ。
そして、もともとシスの得意とする戦術が後の先を取るものであるという事もある。
対するダライアスは、見たところ単なる余裕によるもののようだった。シスをよく観察し、一体何をするのか観察している。そこにあるのは警戒などではなく単なる興味。とてもではないが、敵に対するものではない。
試合開始前にわざわざ助言などしてきたことを思えば、全く相手になどされていないのだろう。鎧袖一触で倒せてしまうような相手に対しては、ほんのわずかな警戒ですら不要だという事だ。
不快だとは、思わなかった。
生真面目な性格のシスはあらゆる事柄に手を抜いたりしないため勘違いをされるが、他人の行為に目くじらを立てたりはしない。ナターシャの突飛な行動に腹をたてるのはいつもヴェルガンダだし、レアが代表会に入る時も反対しなかった。爵位を賜るために必要なのはあくまで自らの努力であり、他人がどうあれど関係がないという考えだからだ。
それを思えば、ダライアスの行為に不快感など覚えるはずもない。
その油断によって、自らの敗北がほんのわずかでも遠のくのなら、それはむしろ好ましい事であるとすら思う。
「月並みだが、そちらが来ないのならこちらから、というやつだな」
「——!!」
後手に回るという状況は、自らが最善であると判断した結果だ。そこに疑う余地はなく、今もって先手を取るよりはるかにマシだと思っている。
しかしそれでいて、対応は全く間に合わなかった。
ダライアスは、何一つ奇を衒ってなどいない。ただ走り、ただ近付き、ただ拳を打った。その拳も単なる正拳突きで、なんらかの拳法を修めた回避困難の技術で打たれたものではない。それは身体能力に任せただけの一撃であり、言ってみれば完全な素人のものだ。体運びはもとよりわずかばかりの魔法も付加されていない。
だというのに、シスは対応する事ができなかった。
後の先を取ろうとしたシスをさらに先んじる、つまりは先の先にあたる一打。後方へとなすすべもなく飛ばされてしまったシスはには、辛うじて受け身を取る事が精一杯だった。
「っ!」
迅速に、体制を立て直さなくてはならない。次の瞬間には、怒涛の追撃が行われる。
——そう、思っていた。
「…………」
ダライアスは、相も変わらず余裕の表情でそこに立っていた。追撃はおろか、今もって構えすら取らない。
打ってこいと、そういう事なのだろう。
侮られている。しかしそれでいてなお、シスに怒りは湧いてこない。彼女にある考えは怒りなどではなく、次に取るべき行動の分析だけだからだ。追撃を受けない事は都合のいい事であり、怒りを感じるような事ではない。
後の先を取る事が困難であるとわかった以上、再び受けの体制を取る事はあり得ない。多少の無理を押してでも、先んじざるを得ない。そう判断したシスの行動は、実に迅速なものだ。
魔素を魔力に転化する速度と効率は、流石は代表会序列二位といったところか。さらに魔術の展開速度、その精度共に一位にすら匹敵する。
『我は強く、我は硬く、我は気高く』
第八属性:戊—九等級《金硬》
自らの肉体を硬質化させる魔法だ。シスが持ち込んだ魔導具は全てが魔法行使の補助に使われる物であるため、武器は己の肉体を置いて他にないのだ。
「こういうのは、一位の方が得意なのですがね」
ここからは、小細工なしの正面戦闘だ。己の身のみがものをいう力比べであり、それならばシスに勝ち目は一切ない。




