彼女は看破する
ディーラーは嗤っていた。
顔には出さず、声にも出さず、腹の中で嘲笑っていた。目の前の少女が、愚かで仕方ない少女が、おかしくて仕方がない。
アストが彼女に敬意を抱き始めていることなど知らずに、下らない正義感をかざす少女を見下していた。
勝てるはずなどないのだ。
彼がその気になれば、山札の内容を把握することなど容易いことなのだから。
魔力とは魔素を変換して生成される魔法の原動力であるが、この世界にありふれているその力は不可視であり、それをどんな形であれ認識することは困難である。
これを可能にする魔法が、一切の危険性を持たないにも関わらず七等級に指定されていることも、その事実を裏付けしている。
彼の持つ魔導具は、これを行う物だ。
両手首につけられた互い違いのリストバンド。これにより、彼は触れた物の魔力を『感じる』ことができる。
カード一つごとに別々の魔力を付加し、それを目印とする。
柄ごとに属性を変え、数字ごとに魔力の強弱を変える。一定の法則を与えることによって52枚のカードを記憶する。
常にカードに触れているディーラーがこれによってカードを確認し、アストにその結果を知らせる。これがこの不正の正体だ。
勝てるはずなどない。
アストに配った手札は、クラブの7、クラブの10、ダイヤのK、クラブのJダイヤのQ。
一見してストレートすら視野に入る手札だが、デッキトップはクラブの9とクラブの8。ストレートフラッシュだ。
対してレアに配ったのは、ハートの6、ダイヤの2、ダイヤの8、ハートのK、ハートの2。
引く可能性があるのはスペードのA、スペードの2、クラブのK、ハートの9、クラブの6。最大でスリーカード。
必勝の確信。
アストに合図を送る。『勝てる』
それを認めたアストは自信を持って答えるのだ。
「ベット」
出すチップの枚数は10枚。
妥当なところだろう。先程までの消極さを見ていれば、ここで大きく賭ければ降りられてしまいかねないことは当然想像がつく。
アストは全くそうは考えていないが、ディーラーはそうであるためだと思った。
アストは単に、普通の勝負を行っているだけだ。
不正を行いつつ、それを選択肢の一つにする。相手を侮らないために、それのみに思考を縛られないために、意識して「もし不正を行っていなかったら」という思考で賭けをする。
10枚というチップ数は、この手札なら自分はこう賭けるだろうという妥当な数だ。決して、相手を貶めようという見下した思考ではない。
この相手は、そんな程度の相手ではない。
それを知らずに、ディーラーは手を握る。
この賭けに勝った時の分け前を思い、デッキを何度も握り直す。初めのうちは手に汗握ったものだが、いつからかそれは無くなっていた。
しかし違和感のようなこの感覚になれたというわけではない。口の中の唾液を飲み下す。再びデッキを握りなおす。荒くなりそうな息を押し殺す。
「コール」
レアの宣言。
それは獲物が手元に一歩近づいてきた声だ。
現在場のチップは25枚。レアがドロップしたとしてもそれだけの枚数がアストに流れる。
笑みを隠し、右手の親指と中指を折る。
ダイヤのKとダイヤのQを捨てる指示。アストの勝ちだ。
指示通りの札を捨てるアストに対して、レアはまたもや全捨て。
全く思考が読めない。しかし構わない。勝てるのならば相手を理解する必要などないのだから。
アストは手札を確認し、眉間にしわを寄せる。口元に手を当て、ため息をつく。
何をそんなに悩む必要があるのだろうか。レアの行動は前二回の勝負と同じだし、手札を考えれば負けるはずなどないというのに。その間はほんの数秒であったが、違和感は甚大だ。
そしてアストは言葉を発す。
ただしそれは、ディーラーには信じられないものだ。
「チェック」
その意味は、自分の賭け行為を後回しにするというもの。
必勝の手を持ちながら、あえて見に回るということだ。
勝ちは間違いないというのに、相手の反応など窺うまでもないというのに、行ったのは大勝を期すための大きな賭けでも、罠のための小さな賭けでもなく、様子見という不必要に消極的な行為。
不審だと思うことは、決しておかしなことではない。ディーラーはそう思った。何をするつもりなのかと。
「ベット」
レアの声がかかる。
その言葉は、アストに対しての不信感を吹き飛ばしてしまうものだった。
25枚。それだけの大金を迷わず場に出す。
50枚にもなってしまったなけなしの賭け金の半分を、なんの迷いもなく支払おうというのだ。
そもそも、レアの手札はスペードのA、スペードの2、クラブのJ、ハートの9、クラブの6で役無しのはずなのだ。
なぜ賭けに出るのか。
そしてレアの宣言を聞き、アストは笑みを強めるのだ。口角は異様に吊りあがり、満面と言って相違ないほどニンマリと。
そうだ。
ここでようやくディーラーは理解した。「レアの事」を理解できないと思っていたが、それは全く違うことだった。「理解できない」のは二人ともだ。
あたかも「アストは」理解できると思っていたことは全くの間違いだった。ディーラーは、この勝負に参加している二人ともを、ほんの寸分も理解できていない。アストとは三年も一緒に賭博場をしている仲だが、それでも全く理解できていなかった。
「レイズ」
アストが提示するのは追加で25枚。それを合わせてレアの持ち金額すべてだ。
勝負に出た。五回の勝負のうち、三回目の今で決めにきた。
「コール」
レアは逃げない。手札は敗北が決まっているというのに、それでも逃げない。
この行為を愚かだと、そう感じたディーラーは、すぐにその考えを改めることになる。彼女の手札を確認して、改めざるをえなくなる。
「ショーダウン」
その手札はディーラーにとって、驚愕すべきものだった。
ダイヤの7、スペードのJ、ハートのJ、ダイヤの9、ダイヤのJ。Jのスリーカードだ。
どうしたことだろうか。
全く違う。ディーラーが見た手札と全く。
いや、厳密にはクラブのJだけは間違えていないが、それでもレアの手札は役無しだったはずなのだ。まさか四枚もカードを読み間違えて、Jのスリーカードになってしまうなんて。
だが、それだけなら問題はない。なにせアストの手札は今、ストレートフラッシュであるはずなのだから。
しかし、レアの手札がそうであったように、異常はアストに対しても平等に訪れている。
クラブの7、スペードの5、スペードの2、クラブの10、クラブの8。役無し。
「私の勝ちですね」
場に出た130枚のチップが、全てレアのものになる。
何が起こったのか、何をしたのか、その一切は不明である。ただ分かるのは、アストは負けて、レアが勝った。
その事実だけだ。
「ディーラーさん」
勝負開始から初めて、レアがディーラーに話しかける。口元に不敵な笑みを浮かべて。
「手、どうしましたか? 先ほどから落ち着きがないご様子」
レアの後ろにいる二人は、どうやらなぜそんなことを今言うのかわからないらしく、お互い顔を見合わせている。しかし、当事者であるディーラーと、勘のいいアストには充分に伝わった。
目線がデッキに移る。先ほどから何度も握り直している左手に。
そこに感じていた違和感は、決して手に汗握る感覚の延長ではなかった。そこに違和感があったのは、興奮にも似たこの感覚が慣れ難いことだったからではなかった。
間違いない。レアは札に魔力を付加したのだ。
「……気付いていたのかい?」
アストが問いかける。ばれているのなら、あえて隠す必要もないだろうと。それよりも、相手の思考を是非理解したいという好奇心が勝った。
「まず、派手なリストバンドが不自然だと思いました。タキシードに合っているわけでもなく、なのにこの部屋のディーラーは皆同じものをつけています」
制服にしてはセンスに欠けると、冗談めかしてレアは続ける。
それは得意げでもなく、ただ事実を述べているだけという平然さの感じられる口調だ。
「先輩の目線をなぞるとディーラーの手を凝視していましたので、おそらく「通し」をしているのだろうということも予想はできました」
凝視だとレアは言うが、アスト自身は、そしてディーラーですらそのようには思えない。
むしろ盗み見るようにしていたはずだ。そう注意していたはずだ。
「ディーラーの立ち振る舞いを見れば、練度がそう高くないことは分かります。きっと積み込みの類ではないだろうと思いました」
アストからすれば充分にこなれた動きだ。言われてもピンとこない。
「となると、裏面にマークをつけたり、カードの大きさを変えたりの細工ではないように思えます。前者はトップしか分かりませんし、後者は手の感覚がモノを言うものですので、素人には扱いが難しい」
レアはそこで山札を指差す。
「この辺りでだいぶ絞れたので、考えられる手段をしらみつぶしに潰していこうかと思っていたんですよ。魔力の目印はわりとありがちなものなので、最初に試してみたわけですが、ドンピシャでしたね」
喋りながら、せっせとチップを回収するレア。それは、特になんてことないだろうと言わんばかりの態度だ。
場慣れ感
アストと、あとディーラーの男はレアの泰然自若とした態度の正体をようやく掴んだ。彼女にとって、この場は全くアウェーではなかったのだ。
焦る。
ディーラーの男は完全に戦意を喪失しており、勝機など微塵も感じられない。
信じて疑わなかった優勢も、嘲笑っていた愚かさも、全ては自分だけが見ていた幻だった。
自分はただ、欲に目が眩んで龍の巣に忍び込むような阿呆となんの違いもない愚か者だった。
かつてただの二人だけ、驚くほどの警戒で不正を行うことができなかった相手は確かにいた。
完全に新品の山札しか使用を認めないという取り決めによって、不正が潰されたのだ。その時はなんの小細工もなしに真剣勝負をし、いつもほどとは行かないまでも充分に危なげなく勝ちを残している。
かつてたった一人だけ、驚くべき豪運で不正を行ったにもかかわらず、勝ち越すことができなかった相手は確かにいた。
選択できる全ての手札で相手の手役を上回ることができなかったのだ。しかし、その時は充分に働いた不正によって最小の負けに抑えることができた。
だが今回はどうだ。
手を見抜かれて初めに保っていた優位はこの一回で崩壊し、むしろ60枚の不利となってしまった。まさかレアというこの少女を相手にしてそれを巻き返せるなどと、そんな楽観的なことを考えるほど耄碌するような年であるつもりはない。
敗北
それを確信した。
「次の勝負だ」
頭を抱えたくなるのを必死に抑えている時にかけられたのがその言葉だ。
それは、改めて確認するまでもなくアストの声であり、ディーラーにとってはとても信じられるものではなかった。
本当なら、それは当然の宣言だ。
勝負を途中で止めることなどできないと言ったのはアスト自身なのだから、まさかここにきて「負けそうだから降参する」などと言えるはずもない。
しかし、それでも声色一つ変えずに、表情に不安すら浮かべずに、むしろ笑って、そんなことを言うのは酷くおかしく思えてならないのだ。
ここは震えながらではないのかと、掠れるような声ではないのかと、なぜ自信すら感じさせる声色で話しているのかと、ディーラーは混乱の最中に落ちた。
やはり、理解していないのだ。できないのだ。ただ人を見下し、金を絞るだけの男に、できるはずなどない。
アストの欲求とは、人を下にすることでなく、自分が上となることなのだと。
幼い頃から劣等感に苛まれていた彼の慰めは、加虐心でなく優越感なのだから。それは相手が上位であればあるほどに、下した時の自分はさらに上であるという事実の裏付けなのだから。
だからアストは笑っていた。想像以上であると、望ましい限りであると。
そう、すでに消沈してしまっているディーラーと違い、アストはここから勝ちに手をかけるつもりでいるのだ。
まだ具体案など浮かばず、たった二回の勝負しかできない中で、これから方法を模索しようというのだ。
達成できたなら、それは何よりもアストの心を満たす思い出となることだろう。アストにとって今までにない劣勢は、これまでにない高揚に他ならない。
必ず
勝ちを掴むと、強く思った。
だからアストの心を砕くのに、次に放たれた言葉はこれ以上になく効果的だった。
「ドロップで」