彼女たちは対抗戦をする 3
キューは、純粋に驚いていた。
ハンナが自らの初撃に反応することなど、全く予想だにしていなかった。猫獣人として持てる最大の膂力、鍛えられた脚力、学園で学んだ魔術による補助、キューが出し得るすべてと言っていいほどを乗せたそれは、ともすれば自らの代表会一位にすら届き得る必殺の一撃だった。
それは、ほんの僅かに反応することすら不可能なはずだった。ただ目撃するのみが精一杯で、次の瞬間には勝敗が決しているはずの一撃だったのだ。
本当なら、もっと慎重で注意深い試合運びを予定していた。それは、今回の対抗戦における司令塔の役割を担う代表会三位アルバ・タクトからの指示でもある。
しかし相手は一学年
アルバが言った、「様子を見て手の内を見極める」必要などほんの少しもなかった。扱う魔導具もすでに判明しており、それでなお脅威に値しないと判断していた。
その結果がこれだ。
ただ、対戦を見守るアルバも、キューを一方的に責める気にはならなかった。キューが指示を無視したことは事実だが、その判断を特別間違っていると感じなかったのだ。それは身勝手ではなく、むしろ柔軟に対応しているように思えた。
この場で注目すべきは初動を誤ったキューではなく、見事に行動してみせたハンナだ。
実のところを言うと、ハンナは特別早い反応速度を見せたわけではない。キューが審判の声と同時に飛び出したように、ハンナも開始の合図で魔導具を投げたという、それだけのことだ。
それは、キューの動きや思考を読んだわけではなく、ただキューと同じように相手よりも先んじようとしたに過ぎない。飛び出したキューと、ハンナが投げた魔導具が噛み合った結果だ。
しかし、それを知らないキューは警戒を余儀なくされる。
これが、ハンナにとって非常に望ましい展開だ。卓越した身体能力を持つキューの攻撃は、とてもではないがハンナに見切れるようなものではない。なので、ハンナに取れる試合運びは、必然的に相手に「溜め」の動作を行わせないことの一点に絞られる。しかし、例えどんな高速戦闘を行おうとも、試合開始時点では当然万全を期しているのだ。なので、先手を打つ為に行動した。
ハンナの戦術は一択だったのだ。キューが開始時点で行動を起こそうと、様子見を選ぼうと、攻撃の一択。
それを読み負けたと勘違いしたキューの行動は、自ずと待ち主体とならざるを得ない。彼女の目には、数合わせのために入れられていたハンナが正体不明の強者に見えている。
注意深い試合運びが必要だと、そう考えている。
キューの姿勢が下がる。それは、つい今しがた行った飛び掛かるための構えではなく、その場にどっしりと待ち構えるためのものだ。身体のバネを利用するために関節を曲げたのではなく、重心を落とすことによって姿勢を安定させている。
これを好機と睨んだか、今度はハンナがキューへと飛び掛かる。
それは、キューが行ったような速度に任せた必殺ではなく、手数にものを合わせた猛撃だ。当然、キューの反射神経と動体視力と運動能力の前に、ハンナの扱える全ての魔法はほぼ無意味だが、それはハンナ自身も理解している。ただし、アドミナ魔導具師の手掛けた魔導具を用いたならばその限りではない。
ハンナが無数に持つ小瓶の一つ一つが、魔法の威力をキューの防御を越えるまでに高めてくれる。本来ならば避けるまでもないはずのハンナの魔法が、今日この時のみは脅威となりある。ならば、キューに取れる行動はそう多くない。
故に——
「——!!」
その対策もまた、単純なものだ。
ハンナは外套の内側から、魔導具の小瓶を大量にばらまく。その一つ一つが一定の威力を持つ以上、決して無視できるような攻撃ではない。
意図的に強度を落とされた小瓶が、僅かな魔力によって容易く砕かれる。中から飛び出すのは、一見してただの砂のようにしか見えない魔導具。その威力は、ほんの数秒前に証明されたばかりだ。
人の身で雨を避けることができないように、降り注ぐ砂つぶから身を守ることなどできるわけがない。
キューは、咄嗟に両腕で顔を覆う。予想外の行動に、目を守ろうという本能が働いたのだ。
身体中を、無数の小魔法が襲う。衝撃が、雷が、炎が、風が。無作為に、無差別に、無造作に、無秩序に、キューの体を余すことなく攻め立てた。
その何一つが勝敗が決するような威力など持たないが、それでも無視できるほどの数ではない。怯まないことなど、できようはずもない。
その場で踏みとどまらなくてはと思う心とは裏腹に、体は一歩だけ退く。しかしその隙は、決して見せてはならないものだ。
後ずさるということは、ほんの一瞬とはいえ体を支える足が片方のみになるということだ。その最も平衡感覚が悪い一瞬は、卓越した身体能力を持つキューをして明確な隙となる。
当然、それを逃すハンナではない。ほとんど全てでキューを下回るハンナは、ほんの僅かな好機ですら逃すわけにはいかないのだ。
手始めと言わんばかりに、無防備な腹部に拳を一発。特別体を鍛えているわけではないハンナではあるが、魔法に補助された拳が急所に入ったのならば、例え獣人といえども無視できるような威力ではない。
キューが体をくの字に曲げる。ただ、それが自ら体制を崩すことによって衝撃を受け流したのだと言うことが、キューの足取りから見て取れた。
ならば、と
僅かに崩れた顔の防御から覗いたキューの顎に、渾身の打ち上げが入る。これも行うのがハンナでは腰も入りきらないような弱々しい拳だが、顎を捉える正確さと魔法による威力補助によって実戦に足るだけの威力を維持している。
八方から降り注ぐ魔法の雨と、そこからさらに畳み掛けるハンナの猛攻に、キューは後退を余儀なくされる。
——しかし
初めに気がついたのは誰だろうか。防戦一方を余儀なくされるキューと、果敢に攻め立てるハンナの、一体どちらが優勢なのか。
徐々に、壁際へと追いやられるキューだが、幾度となく急所への攻撃を受けながらはっきりとした足取りで立ち続けている。明白に、攻めあぐねているのだ。
倒れない
たったそれだけの事実が、ハンナを追い詰めていた。
そして、当然それに気がつかないキューではない。
手も足も、出ないのではなく出さないのだ。出すまでもないのだ。何もしないままにハンナを追い詰めているキューにとって、策や機転など働かさせるまでもないからだ。
幾度となく急所へと攻撃を入れられながら、体制を崩されながら、後ずさりながら、キューはただ、何もする必要がない。
やがてキューの背後には壁が迫り、すぐにでも背と触れ合う。未だ観客の誰も事実に気が付きはしない。気が付いたのは、「その時」が訪れてからだ。
防戦一方に見えたキューが、ようやく動きを見せる。もう何度目になるか分からないハンナの拳がキューの顔を捉えようとした時、キューはその右手に携えた魔導具を振るった。
「——!?」
目にも留まらぬ速さだった。
猫獣人の身体能力を考慮して、代表会員としての魔法行使技術を想定して、そろそろ反撃を行う頃だろうと予期してなお、ハンナはその攻撃に反応することができなかった。
それは、至極単純な横薙ぎだ。攻撃を受けながら、壁際に追いやられながら放たれた一撃には当然全力など乗せられようもないが、それでもハンナの細身を数メートル後方に弾き飛ばす程度の威力はあった。
反撃の隙を与えないための猛攻だったが、人の身である以上真に飽和攻撃など行えるはずもない。どこかにムラがあり、どこかに癖が出る。加えて、絶え間無い攻撃は当然、ハンナ自身の体力も蝕んでいく。何をどう取り繕おうと、永遠に行動を縛り付け続けることなどできようはずもなかったのだ。
ハンナは背から地面に落ち、全身の筋力を総動員して即座に跳ね起きる。攻撃の瞬間を辛うじて予期できていたことが幸いして、防御も回避もできずとも受け身を取ることには成功していた。
しかし、それでも
「っ——!」
眼前には、すでにキューの姿があった。
ハンナを正体不明の強者であると錯覚した時とはもう違う。幾度も打ち込まれたハンナの攻撃の一つ一つが、キューに対してハンナの実力を知らせることとなっていた。底知れない力のほんの一部と思われていた部分がほとんど全力であると看破された以上、もうハンナが先んじられるような隙は生まれない。キューが取るべき手の内にはすでに「待ち」などなく、後にあるのはただハンナを打ち倒す単純な「力押し」のみだ。キューの実力ならば、ハンナに対して一切の策は必要ない。
何一つ機を衒うことなく、キューは短刀を振るう。
死角を縫わず、不意を打たず、急所も狙わず、一切の思惑も介在せずに振われた一撃は、しかしハンナにとっては必殺に他ならない。避けることを諦め、ある程度の損害を覚悟する。攻撃を受けつつ、それでいて止めず、最小限の被害に止めるのだ。
ただし、それは一度ではない。
二度目の攻撃は顔。顎や頭に受けるわけにはいかないため、身体を回転させつつ、攻撃を腕で受け止める。響く衝撃はハンナを地面に転がすには充分過ぎるものではあったが、なんとか体勢を崩さずに受けることはできた。
続く三撃目——
そして四撃目——
五撃目——
「なるほど……」
客席の最前列。控え室と直接繋がれたその場所は、参加選手と関係者のみが立ち入ることを許された特等席だ。控えの選手は、その場で試合の成り行きを見て自分の出番を待つ。
そんな場所が対象の位置に二箇所。言うまでもなく現在対戦中のそれぞれの学園の代表会が使用している。
その、対戦を観るうえで最も適した場所からハンナを見下ろし、レアは納得の声を上げた。それは、相手校のキューが持つ魔導具の性質に予想がついたためだ。
刃を引かれ、もはや見た目通りの用途をなさないその魔導具は、まず間違いなく何らかの特殊な効果を発揮するはずなのだ。それは、その魔導具の情報を聞いた瞬間からわかっていた。
故に調べたのだ。どれほどの細事であろうと聞き逃さないほどの慎重さを持って情報収集に努めた。しかし、決定的な情報を掴むには至らなかったのだ。
と言うのも、得られた情報を集約すれば、あの魔導具に与えられた力は大したものではないはずなのだ。キューの実力を鑑みれば、無手であってもより強い攻撃を、より早く、より深く、より正確に行えるはずなのだ。強靭な肉体を持つ獣人が、わざわざ片手を塞いでまで扱わなければならないような武器ではないと、そう判断された。
それだけに、レアは正確な情報を掴むことができなかったのだと思った。無意味な情報を身代わりにされたのだと、そう思ったのだ。
だが、それは誤りだった。
レアの得た情報は、確かに正しくキューの魔導具の性質を表していた。それが大した魔導具ではないことも、キューの力を増すような力がないこともまさしく真実であった。
しかし、キューはそんな魔導具を持ち込んでいる。当然それは、無意味な行為などではない。
「……手加減、ですか」
苛立ちに、つい言葉が漏れる。
あれは、おそらくハンナのために用意された魔導具だ。あまりにも弱過ぎるハンナを、キューの卓越した戦闘能力で傷付けてしまわないように配慮したものなのだ。
学生同士の競いごとである対抗戦は、当然規則の段階から安全への配慮がなされている。攻撃過多は即時失格と定められているし、大事に至る前に幾人も控えている警備員が止めに入る。万が一を起こさないために、あえて攻撃を弱くしているのだ。
それは、疑いようもない侮りである。
勝利のために全力を尽くすハンナを、そのために頭を絞るレアを、これ以上なく蔑ろにする行為である。あまりに、我慢ならない事実であった。
——しかしそれ以上に、レアには注目しなければならないことがある。
キューがそれを持っていると言う事実に。
キューがどのような魔導具を扱うかは、一月近くも前から決まっていたことだ。つまりは、一月も前からハンナが先鋒を務めることが知られていたということに他ならない。情報という点に関して、レア達は大きな優位性を取られてしまっている可能性がある。
もしそうだとしたら、相手校の情報収集能力は想像以上だ。こちら側の情報は全て、完璧に把握されていると考えられる。
たった一つ、レアの用意した奥の手を除いて。