彼女たちは対抗戦をする 2
——天気は快晴。絶好の闘技日和。
主催のそんな言葉で始められた開会式は、つつがなく進行した。
拍手、喝采。そんなものでは到底治らないような怒号に包まれ、掻き消されないように大声で宣誓を行ったため、ヴェルガンダはしきりに喉を押さえている。
開会式は手伝いのためについてきた生徒まで参列しなければならないため、声を張り上げなくてはその全員に宣誓が届かないのだ。
「野蛮だ」
ヴェルガンダがこぼす。
レアにとってみれば、小汚い見た目の大人が唾を飛ばしながら叫んでいるところなどは珍しいものではない。日が落ちた後の酒場に行けば、そんな姿は絶え間なく目につくことになるのだ。なんなら賭場でも同じことが起きる。しかし、生まれてこの方貴族という枠組みの中からほんの少しもはみ出したことのない代表会の面々からみれば、平民の活力ある様子も蛮族のそれにしか見えないらしい。
「きっと喉が鉄で出来ているのだろうな」
「庶民に教養をつけさせるべきではないでしょうか?」
いかにも暇を持て余していると言わんばかりに、皆口々にと言葉を発する。
これから行われる第一試合。それに参加しないのなら、少なくとも次の試合までは予定などない。レア達からは、ハンナが先発を行うことに決定していた。
先発という、非常に重要な役割にハンナを推薦したのはレアだ。相手の手の内が最も不明瞭な場面ではあるが、レアの講じた策の力を発揮させるには先発であることが最も望ましい。すでに代表会の面々にはその旨を説明し、承諾を得ている。最善であると理解もされた。
「そろそろ時間です」
ハンナが立ち上がる。その姿は、普段着ている学園指定の外套ではなく、この闘技場における規定衣装だ。
知っている者ならば、それはとある小国の「忍び」という諜報員の装束に似ていると感じるだろう。肌と布の間に隙間を作らず、可能な限り動きを阻害しない様に工夫がなされたそれは、闘いにおいて常に最適化がされてきた結果の形状だ。ただし唯一、顔を隠していない事だけが忍び装束と違っている。相手に正体を露呈しないための物であるそれは、今回の対抗戦には不要だからだ。なのでハンナは、その小動物のように愛くるしい顔と茶色い髪を露出させている。
それら衣装は高度な魔導具でもあり、身に纏う者を保護する魔法が幾重にもかけられている。布の継ぎ目には白い線が見て取れるが、これに注目すれば細かい魔法回路であることがわかるだろう。
その装いが、まずは基本。
ハンナはその上に、さらに外套を羽織っている。魔術師が外套を纏うのは所持する魔導具を覆い隠すためだということはよく知られた事実である。
対戦相手については、試合直前であっても知らされない。闘技場の中央に顔を見せて初めて、相手が誰かを確認できるのだ。
そう言う“建前”である。
実の所、相手の情報のほとんどは掴むことができる。レアでは行うことのできない何らかの諜報活動が行われており、互いの手の内の多くは知られてしまうのだと言う。
それだけに、ほとんど不意打ちとも言えるハンナの手は隠し通す必要があった。代表会の中でも、口には出さないように言い含めているし、訓練もレアとハンナと二人きりだ。ハンナが何らかの手を講じていることは分かっても、それが何なのかまでは到達できない。
その筈なのだ。
ハンナは、闘技場の中央、ひらけた砂場の部分に足を進ませる。周りの客席はハンナの入場を見下ろし、空の彼方まで響く歓声をあげた。
他の代表会員は、観客席の最前列よりもさらに前、特別席にて観戦を行う。手伝いとして連れてこられた使用人や生徒の姿はない。忙しなく至る所を駆け回っているのだろうと思うと、少し申し訳なくも感じられた。
ほんの少し遅れて、反対側の入場口からハンナの対戦者となる生徒が入場する。
種族は猫獣人。名はキュー。亜人の多くはハンナ達のような純人とは生活圏を違えており、キューのように他種族と生活する者は稀だ。それ故に、名の付け方からしてそれぞれに特色を持つ。獣人の場合は、純人のような家名を持たない。
逆関節とも呼ばれる脚部はネコ科の動物の特徴だが、実際に膝の関節が逆向きについているわけではない。つま先が長く、他種族の膝に位置する高さに踵があるゆえにそのように見えるだけだ。その独特の身体特徴から得られるバネは凄まじく、訓練された猫獣人は魔術の補助を受けた純人を凌駕する。また、踵を地につけず日常的に二足歩行を行うためには卓越した平衡感覚が必要だが、純人ならば訓練を不可欠とするこれを猫獣人をはじめとするネコ科の獣人は生まれつきの身体能力のみで行なっている。踵が接地しない身体構造の生き物の中で、直立二足歩行なのは獣人のみだ。
種としての得意魔法は第八属性。力場の制御を担うその属性は、高い身体能力を持つ多くの亜人と高い親和性を発揮する。
ハンナは、出場が決まった時から幾度となく繰り返し記憶してきた相手の情報を今一度頭の中で反復する。
腕は肘から先が体毛で覆われており、爪は鋭く尖っている。ただし指は純人と同じ様に細く長い形状をしており、道具を取り扱えるだけの器用さを有している。現に今も、その手には魔導具が一つ携えられている。その魔導具は短刀に似た形状をしている。今回の対戦では一定以上の殺傷力を持つ魔導具の使用を禁止されているため、その刃の部分はある程度丸みを帯びた分厚い物となっている。それは、ここ数ヶ月もの間キューが訓練中に使用しているという情報を受けていた武器に間違いない物だった。
気をつけるべきはそんなところだろうか。優れた聴力を発揮する三角形の耳も、暗闇でも役割を失わない瞳も、この試合の中ではあまり関係のない力だろう。
地方によっては不吉の象徴ともされる黒猫の獣人は、温和そうな笑みを浮かべて観客に手を振っている。諸手を挙げてはしゃぐ姿は一見してこれから対戦に臨む者のそれではないが、その鋭い眼が映す視界の端には常にハンナを捉えている。最低限の警戒を、怠ってはいないのだ。
油断ならない。そう考えている
それは、ハンナにとって好ましいことではあっても、望ましいことではない。一学年であるハンナを警戒すると言うことは、ハンナの実力を認めることに繋がるわけだが、戦いの最中に油断に漬け込むことができないからだ。
「両者、控えて!」
魔導具によって拡大化された審判の声が、闘技場の中に余すことなく響き渡る。控える、と言う指示は、対戦に備えると言うことであり、開始の前振りだ。ハンナとキューは、闘技場の中心を挟んで十メートルほどの距離をとる。
「構えて!」
その声により、二人は構えを取る。
キューが取る構えは、端的に言うならば異様な前傾姿勢。短距離走の駆け出しにも似ているその構えは、開始した瞬間の直線運動を隠そうともしない。それは、ネコ科のバネと自らの魔法に絶対の自信を持つことの表れだ。事実、単なる力押しであってもハンナに対処しきれるとは思えない。ただ真っ直ぐに突き進むだけの行動が、卓越した身体能力によって必殺にまで高められる。キューならば、十メートルなど、一足跳びに越えられる距離なのだ。それは、眼前に剣を向けられていることと何も変わらない。
対するハンナは、その場で構える。腰を落としてはいるものの、積極的に動き回ろうと言う意思はない。対応できるはずもない速度の暴力を前にして、あえて待ち構えている。これは、単なる考えなしなどではない。どれほど集中しようとも、ハンナでは初撃を避けることなど出来ようはずもない。ならば、動き回ることと動きを止めることの間に、どれほどの違いがあるだろうか。合図とともに飛び出すことによって隙を晒すくらいならば、万全の体勢を作り迎え撃つべきだと判断したのだ。
そしてもう一つ、ハンナは手元を外套の中に隠す。これは手を見せたくないと言うよりも、その手に持つ魔導具を晒さないための行為なのだとキューは察する。キューの反応をほんの少しでも遅れさせるために、ハンナは「正体不明」を眼前に突きつけているのだ。
すなわち、この勝負は「剣」と「不明」の鍔迫り合い。始まりは、そのような様子を見せた。
「始め!」
単純にして明快な合図。その瞬間に、十メートルで迫りあっていた二人の均衡は崩れた。
始めに動いたのは、やはりキューだ。彼女はまるで弾丸のような速さで飛来する。まさしく、「飛来」。正面から受ければ、たちまちうち沈められてしまう驚異の暴力。
当然、一学年であるハンナにはそれを躱すことも防ぐこともできない。創意も工夫もない行為だが、それが回避不能防御不能の攻撃となる。キューは、ほんの一秒未満で試合を終了させるつもりだ。
しかし、ハンナとてそれを甘んじて受けるつもりはない。
回避も防御もできないながら、たった一動作を間に合わせることに成功した。
それはあまりにもささやかで、本来ならば悪足掻きにもならないほどの挙動のはずだった。ハンナが服の内側から取り出したのは、木製の小さな小瓶。それを、キューの移動地点上に放り投げたのだ。
当然、たったそれだけで進行を妨害出来るはずなどない。それだけならば、せいぜい手で弾く程度の労力を使わせたに過ぎず、ほとんどなんの妨害にもなっていないといえる。
ならばなぜ、そんなことをするのだろうか。当然、意味があるからに他ならない。
その小瓶に入っているのは、レアがアドミナから貰い受けた物。世にも珍しい砂粒状の魔導具だ。これは物によって様々な効力を発揮するが、ハンナが今投げた物の特性は衝撃の炸裂。小瓶が割れた瞬間に中の砂が炸裂するように設計されており、この飛び散った砂一粒ずつには破壊を伴わない衝撃が内包されている。決して攻撃に使えるような規模ではないが、体の重心が崩されることを無視はできない。ほんの少しでも触れようものなら、どれほど上手く対応したとしても足を止めざるを得ないだろう。
しかし、キューはそれを辛うじて避ける。
体を捻り、体勢を崩しながらも、優れた体幹が転倒せずに走り抜けることを可能にした。未だ必殺の威力を内包しつつ、キューの攻撃はハンナの喉元に到達しようとしていた。
その行動は、決してぶっつけの対応ではない。
ほとんど不意の一手だったからこそ成し得る行動であるがために、ハンナとレアは情報の流出には細心の注意を払っていた。で、あるにも関わらず、キューの動きは知っている者のそれに相違なかった。
これこそが、魔術学園間対抗戦の真骨頂。
生徒同士の力のぶつかり合いを行う裏で発生する情報戦である。ハンナの持つ魔導具についての詳細は代表会以外に知る者はいないはずの情報だが、如何なる方法か、すでに知られているということだ。
それは、決して無視することのできない圧倒的な優位性。ともすれば、それだけで勝敗が決してしまうような事実。
ただし、それは一方的であった場合の話だ。
もしも、これが実戦で、ハンナの情報が相手に漏れていたというのであれば、なるほどそれは致命的だ。それは、相手の驚異的な情報収集能力によって行われたからに他ならず、いったいどのような情報がどのような形で伝わっているかなど知りようもない。しかし、今回は違う。
どんな形であれ、情報が漏れることなど予測できていた。知らぬ間にではなく、わかりきっていた。
この違いは大きく、つまり、キューがハンナの行動に対応することは充分予測できたということだ。
あえての情報流出。相手が知っている事を知っているという事実は、少なくない実利となる。
ハンナは、キューが対応するだろうことを予測していた。そして、それが辛うじてだろうということも。
「——!」
必殺ではあろうとも必中でなくなったキューの攻撃は、ハンナの全霊を持ってであれば回避することも不可能ではない。それも、予期できていたのであればなおさらだ。
それは紙一重でなく、無駄が多く、あまりにも不恰好な動きではあったが、確かにハンナはキューの初撃を回避する。キューの攻撃は、ハンナの茶色い短髪の先端にすら擦りはしなかった。今にも転びそうな体勢で、相手に背中を見せ、驚くほど隙だらけにキューの小脇を抜ける。
それは一見して追撃の好機を与える行動だが、たった一ヶ月とはいえ、ハンナも訓練を行った身だ。当然ただ無防備を晒すだけの行動などとるはずはない。
ハンナの方を振り向くよりも先に、キューは眼前に浮かぶ小瓶に気が付いた。すれ違いざま、ハンナが後ろ手に投げたのは、つい今しがた投げたのと同じ物だ。衝撃の魔法を内包させた魔導具。それはキューの顔の高さまで到達すると、一つ目の物とは違い、ひとりでに魔法を起動させた。
抗いがたい反発の力を一身に受け、キューは体の向きとは反対側へと飛ぶことになる。そして、そこに待ち構えるのはついたった今通り過がったハンナだ。
完全な無防備で飛来するキュー。ハンナ自身も万全の態勢とは言えないが、見送る選択肢などありはしない。
キューの背に、ハンナの肘が深く入った。軽くあてがうように優しい動作ではあるが、衝撃に飛ばされるキューにとってはたったそれだけですら充分な威力を孕むことになる。
「——!!」
背を打たれ、思わず息を吐き出す。しかし流石は獣人と言ったところか、その体勢から反撃を返した。
それは体重も乗らず、腰も入っていない、ただ腕力によって振られただけの裏拳だが、予想外の行動はハンナから防御の選択を奪った。
決め手とはなり得ないながらも、後頭部を正確に立たれたハンナは、次なる一手を遅れさせる。背に受けた衝撃に逆らわず前に転がるキューとの間合いを離した。
互角。観客の全てが、そう認識した。
一学年のハンナが、五学年であるキューと。
第一試合は、そんな、予想外の展開で開始された。




