彼女たちは対抗戦をする 1
夏の盛り。景色には時折陽炎が見え、陽の光に肌が焼ける季節。多くの貴族が避暑に勤しむこの季節だが、大都市ローネンハイネのみはその限りではない。この街が盛況でない時など、過去十年を見渡しても存在しない。
太陽の燦々とした光も、地面から湧き上がる熱気も、全ては彼らに対する演出の一部でしかない。人々はそれを見て熱狂し、叫び、夏の暑さよりもさらに熱く沸き立つのだ。
剣闘士
闘技場と呼ばれる閉鎖された空間の中で、武器を手に取り戦いを繰り広げる彼らを一目見ようと観光に訪れる富豪は多い。それが、ローネンハイネの興行の四割を締めると言われる剣闘事業である。とある大国のエト・カナックという大都市が起源とされる事業だ。
そして
客席を埋めるほどの盛況が普段通りである闘技場だが、今日この時は、その普段通りを更に倍するほどの盛り上がりを見せている。備え付けの座席だけでは数が足りず、この時のためだけに手配された簡易椅子が通路を塞がんばかりに並べられ、更に立ち見まである状況だ。そして更に驚くべきは、彼らが見に来た本日の目玉演目が、合計でたった十人ばかりの子供によるものであるということ。
魔術学園対抗戦
それ自体はほとんど毎月行われている行事なのだが、その毎回を闘技場で行うわけではない。当然競技内容に適した場所を会場とし、時には一般の観戦が困難な場合もある。となれば、多くはない観戦機会に一目見ようと集まるのも無理はない。
また、そもそも魔術の物珍しさも無視はできない観点だろう。魔術学園は貴族や商人のみならず、才気あるものに等しく開かれてはいるものの、全ての人間に才能があるわけではない。この世の多くの人間は、魔法に対してほとんど無知なままに一生を終えるのだ。それがたとえ生活に強く根付いているものであったとしても、魔導具などによって一般化されているがために、知識を必要としないまま活用できてしまう。
闘技場で行われる多くの競技も、それは魔導具を活用して行われるものに他ならないのだが、剣闘士が魔術の知識を持っていないがために十全な力を発揮させているとは言い難い。燃える剣、地を割る鉄槌、それは見た目こそ派手ではあるが、それをただ払うだけでは複雑怪奇なる魔術の本質からは程遠いものだ。
故に、観客は魔術師の行う競技に強い関心を示す。一人前からは程遠い学生の身ではあるが、観客のほとんどよりもはるかに深い造詣を持つ彼らは、まさしく魔術師の代表というべき立場にあるといって過言ではない。
そのようなわけで、一般に馴染みのない規模の魔術行使が行われる魔術学園対抗戦は、魔術界においても重要な側面を持つのだ。
「もう一度、対戦相手の情報を見せてください」
そう言うと、アルテアが無言で資料を渡してくれる。レアもまた、無言でそれを受け取った。
場所は闘技都市ローネンハイネ。その闘技場内に複数ある控え室の一つ。エルセ神秘学園の代表会は、間も無く開始される対抗戦のためにそこに控えていた。
「規定の確認は充分か?」
「はい」
「もう一度しとけ。一度対戦が始まったら助言はできないぞ」
ヴェルガンダとシスも、レアとは別の資料に目を通している。
今回の対抗戦は、一対一を五回行う方式で行われる。更に安全面の考慮のため、魔法に使用制限がかけられている。一定以下の等級全てと、名称で指定された危険性の少ない高等級魔法のみの使用が許されている。また、対戦相手への危険行為、具体的には怪我をさせたり、魔導具を破壊したりとした行為は即刻敗北と、場合によってはさらなる罰則となる。魔導具は重量に制限がかけられており、あらかじめ闘技場側が用意した数人の審査員から使用許可を受けなくてはならない。
「遠方の声を届けるような魔導具があればいいのだがな」
「海を隔てた向こうの国では携帯式呼出鈴という魔導具があるそうですが、それも声を伝えるようなものではありません。遠隔で震えさせる程度では、意思の疎通は難しいでしょう」
「そんな事は分かっている。いちいち言うな」
あまりにも膨大な資料を前に、ヴェルガンダは苛立ちを隠せないでいた。レアやアルテマですら、眉間によるシワをのばすのに苦労するほどだ。
「過去の対抗戦の資料を見せて下さい」
レアが対戦相手の資料を返しながら要求する。アルテアはまた、返事もせずに手元の資料からひとまとまりをレアに手渡す。なんの資料か確認していないように思えるが、これはどの資料がどこにあるのかを完全に把握しているために確認の必要がないのだ。アルテアはそれほどに資料を読み込んでいる。
「魔導具の審査通りました」
幾人かの男を伴ったハンナが入室する。その手には木箱が収まっている。中身は今回の対抗戦で各々が使用する魔導具だ。
「隅に置いておけ。重ねないようにな」
資料から目を離さず、ヴェルガンダが指示を出す。たまに短絡的な思考が見えるが、彼のこういうところはやはり学園の代表なのだとレアは思った。
「お前も資料に目を通しておけ」
「はい、失礼します」
ヴェルガンダから資料を受け取り、ハンナも輪の中に加わった。脇に控える職員を除き、この場に居る者の全ては座り込んで熱心に資料を読み込んでいる。
「ところで……四位はどこだ?」
不意に、そんな言葉が発せられる。確かに、その場に代表会四位ナターシャ・ステン・ハングの姿は見えない。
「いつもだ。いつも好き放題に行動して和を乱す。こんな時くらい控えて欲しいものだ」
ヴェルガンダが資料から目をあげ、「心当たりはないか」と周りに問いただす。残念ながら誰一人満足のいく回答を持ち合わせてはいなかったが、ちょうどその時、話のナターシャが部屋の扉を開けた。
「ただいまぁ」
「四位!」
間髪を入れずにヴェルガンダが怒鳴りつける。他は我関せずといった様子だ。
「怖いですよ先輩。可愛い後輩に対してなんだって言うんですか?」
「何、だと……? 今、何と言ったのか? 貴様の頭蓋はがらんどうなのか!!」
「そんなぁ。怒らないで下さいよ。別に遊んでたわけじゃあありませんって」
ナターシャは肩をすくめる。
「ほぅ、では今度はこちらが聞く番だな。一体何をしていた?」
「単純です、単純。敵情視察というやつ」
「視察?」
得意げに、ナターシャは腰に手を当てて胸を張る。
「相手の控え室を探して、ちょっと様子を見てきました。反対側でしたよ、ここの」
「なるほど、で、何か分かったのか? 報告するような事、伝えなくてはならないような事」
「全く」
「あ?」
そのヴェルガンダの声は、会話に入っていないレアですら一瞬寒気を感じるような冷たさだった。しかしナターシャは、まるで意に介さないという風に続ける。
「控え室の外にいても、中の会話なんて聞こえませんとも。とりあえず場所だけ確認してきただけですよう」
「それに一体何の意味がある!」
「やる事なかったので、何かないかなぁって歩いていたら見つけたんですよ。別に意味を求めて散歩する人なんていないでしょ?」
レアは代表会に入って長くはないが、この問答が延々と続くことははっきりと理解していた。それはもう、初めての会議の時点で半ば確信に至るほどの明瞭さだ。その予感に反さず、係員が「間も無く開始です」と呼び出しに来るまで長々と飽きもせずに続くことになる。これからが試合本番だというのに、ヴェルガンダはすでに疲労困憊となってしまっていた。
なお、ナターシャは平気そうだ。
対して、エルセ神秘学園控え室の真反対。闘技場の中央を挟んで点対称の位置にあるファルハン魔術学園控え室は、正反対の雰囲気を醸し出していた。
雑用として連れられた何人かの使用人と、今日の試合に参加する五人の代表会員。そして予備選手として登録されている準格代表会員の誰もが、全く言葉を発しないのである。しかし、それは生命を一切感じさせないような静寂ではない。誰もいない部屋に漂う、独特の静けさとは断じて異なるものだ。むしろ、そこにいるそれぞれの息遣い、気迫、鼓動までひしひしと感じられる。彼らは静けさの中にあって、しかしその脈動を滾らせていた。精神の統一、肉体の鍛錬、魔術の訓練、皆様々ではあるが、試合に向けてギリギリの瞬間まで最終調整を行っていた。
言葉を発しないのは、敢えてそうしているわけではなく、必要がないためだ。必要事項はすぐに伝え、それを違える様な輩は一人もいない。相手の情報、自らの戦略、望ましい試合運び、それらは一月も前にはすでに議論を終了した事柄であり、彼らの頭には完全な状態で記憶されているのだ。今更何かを伝え置く必要などほんの少しもありはしない。
そんな彼らではあるが、彼らを彼ら足らしめる特徴は他にある。その雑多さを一目見て、彼らを記憶にとどめない事はまず出来ないだろう。
代表会一位、純人のヘルネスト・デュウ・ロートリア
代表会二位、森人のエルエクシス
代表会三位、純人のアルバ・タクト
代表会四位、猫獣人のキュー
代表会五位、半山人のゴルド
五人四種。この世界のどこを探したとしても、これほど多様な種族で作られた集まりはないだろう。世界で唯一、異種族間交流を掲げてつくられたファルハン魔術学園ならではだ。
そして、彼らはただ見目が華やかだと言うわけではない。全世界でも最大の生徒数を誇るファルハン魔術学園の頂点に立つということは、無論それだけの競争率の中勝ち抜いて来たということだ。種族が分かれたのは全くの偶然だが、ある意味彼らはそれぞれの種族代表とも言える。
折り紙つきの実力
種族を背負う責任
身体と精神の両面において、彼らは高い水準に達している。隙は無く、驕りは無く、油断は無い。並々ならない才覚とたゆまぬ努力の賜物だ。
時は、間も無く対抗戦が始まることを告げている。彼らは終ぞ、何一つの会話をすることなく控え室を後にした。




